【完結】砂の香り

黄永るり

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不安

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 生まれて初めて外門を出たサマラは門外のありさまに驚いて何も言えなかった。
 門前で翌朝の開門を待つ行列が整然と並びながら夜営の準備をしている。
 そして外門の周囲には、他国や他の町や村から流れてきて門内に入れない人間が群れをいくつか作っては集落を形成していた。
「門の外にもこんなにたくさん人がいるんだね」
 王都の外にもう一つ町が形成されている感じだ。
 本当に外門を出たのだろうかと戸惑ってしまった。
「ああそうだ。ティジャーラの王都は砂漠に囲まれているからな。砂漠から何とか乾燥死を免れた人たちが目印のようにこの外門周辺に夜ごと集まってくる」
「そうなんだ」
 あまりに人数が増え続けるから、治安維持のために軍の一部が警備に駆り出されてしまっているらしい。
 そういえば、ティジャーラ軍の兵士たちの姿もちらほら見かける。
「おわかりになられたのでしたら、さっさと参りますよ」
 物珍しそうなサマラを置き去りにするように、ファジュルはさっさとラクダを前に進めていく。
「あの、ちょっと待って。待ってください!」
 慌ててファジュルの後を追う。
「何でしょうか?」
「タージル殿の仰っていた待機している方と合流しなくていいのですか?」
 どうにも、このまま二人だけで門から離れていくような気がしてならない。
「ひょっとして門から離れたところで待ち合わせていらっしゃるのですか?」
 タージルほどの商団ともなればこのような小さな集落に待機していれば目立ってしまうだろう。それを考えてのことだろうか。
「まあそんなところです。早く門から離れますよ」
「わかりました」
 ファジュルの言葉を信じて後からついていく。
 しばらく進み、外門を囲む灯りが遠くに見えるようになった頃、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
 ファジュルはなぜかそこで夜営の準備に取りかかった。
 サマラも勝手がわからないなりに、天幕の設営をファジュルの指示を受けながら手伝った。
 夕餉や寝床の準備も全てファジュルに聞かなければ何もわからない。
 何か他のことを話そうとしても、すべてファジュルの指示が返ってくるだけだったので、ひとまず全て黙って指示に従った。
「あの……」
 パンと干したナツメヤシの実という簡素な夕餉を食べ終わった頃、おずおずとサマラは口を開いた。
 ファジュルはサマラの向かいでゆっくりと食後のミント茶を飲みながら、焚火の火加減を見ている。
「何だ?」
「どこでタージル殿の商団の方々と合流するのですか? 近くに全く人のニオイがしませんけど」
 どこかで商団と合流する場所があらかじめ決められているのだろうか。
 この時点でも、サマラはまだそう思っていた。
「さすがですね。あなたさまの嗅覚は」
 観念したようにそう呟くと、ファジュルはどう伝えたものか? と思いあぐねながらも、結局は口を開いた。
「確かに私たちの周りには誰もいません」
「え?」
「私たちを待っている商団などありはしません」
「は?」
「あの親父殿の言葉は、あなたさまをさっさと王都の外へ出すためと、最初から不安にさせない方便です。つまり、あなたさまの付き人は私一人ということなのです」
 ファジュルの言葉の全容をサマラの脳が理解するまでに数十秒かかった。
「嘘……」
 理解した途端、サマラの顔から血の気が引いた。
「あなたと二人きりということですか?」
「そうです」
 大商人タージルに頼めば、それ相応の人数を護衛も兼ねて準備してくれるものだと勝手に思っていた。
 たった二人だけの旅になってしまうのなら、何もタージルのような大商人には頼まない。そこらの徒党を組んで砂漠を行く小さな商団の列に加えてもらったほうがよほどましだ。
「失礼を承知で申し上げてよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「何のためにタージル殿に依頼したと思ってるのよ! って思ってるだろ?」
 ファジュルの瞳が焚火の灯りを受けて意地悪く光っている。
「思ってるわよ! ええ、思ってますとも! 思ってて何か悪い?」
 ここにきてサマラも丁寧な言葉遣いをやめた。
「そのために私は真っ先にタージル殿にお願いしに行ったんです! それなのに同行者があなた一人ってどういうことなんですか?」
 もしかして最初からタージルは『ティジャーラの宝』を諦めているのだろうか。
 ラガバートが枯らしてから百年経って今さら、乳香と没薬の苗木が見つかったなどとおかしな情報一つでジャミールもサマラも踊らされているのを薄ら笑っていたのだろうか。
 同行者もどうでも良さそうな三男坊だし。
「どうでも良さそうな三男坊って思ってるだろ?」
「あなた魔法使いなの? そうそう私の心を読まないでよ! 気持ちが悪い!」
「お前は顔から考えてることがダダ漏れなんだよ! それでも王族か? 王族ともなれば一応は外交で他国の要人や客人の前で恥をかかないためにも駆け引きの仕方とか叩き込まれるだろ? 違うのか?」
「ひどい!」
 悔しい。こんな自分と年の変わらない少年に小馬鹿にされるとは。
 そもそも王女として育てられていない自分に、外交上の王族としての駆け引きのやり方なんてわかるわけがない。
 サマラのこれまでの職人としての生活に駆け引きなど必要なかった。
 職人としての自分も否定されたようで余計に腹が立った。
「確かにここには俺しかいない。だが、これでも親父殿は短時間の間に裏で色々と手を打っている」
「どんな?」
「まずあんたは護衛が心配なんだろう?」
「まあそうね」
 砂漠は盗賊の類が当たり前のように出没すると言われている。そんな中で、たいした護衛もいない二人だけの旅というのは、襲ってくれと言っているようなものだ。
 それに男と二人旅も心配だ。
「それについては親父殿お抱えの護衛集団がつかず離れず俺たちの周囲にいる」
「本当?」
「気配を消しているだけだ。専門家だからな。それにお前の嗅覚に感知されないようにいつもより少し距離を取っているだけだ」
 それを聞いてサマラはあからさまにほっとする。
「それから、商人同士だから情報合戦がすでに始まっている。カーズィバの配下が、密かに親父殿やあんたの動向を探っている。むろん、親父殿のほうからも逆に探りに行ってるけどな」
「そうだったんだ」
「その情報も俺たちに必要だと親父殿が判断したら、いつでも届くようになっている。安心していい」
 サマラの身体の力が抜けた。
「ありがとう」
「別に。礼なら帰ってから親父殿に言え。納得したらさっさと寝てくれ。俺はもう少し火の番をする」
「わかった」
「それから、この旅の間、他人に女だとか悟られないように俺たちは兄弟ということにするからな。俺が兄貴であんたが弟だ。名前は、そうだな……。サマラだからサマルって呼ぶことにする」
 サマラは黙って頷いた。
 何と言ってもサマラは旅人としてはまだまだ初心者だ。
 ここまでファジュルに偉そうに命令されても、旅を円滑に進めるための話なら怒るに怒れなかった。
 サマラが寝床に入ったところを見届けると、ファジュルは焚火の火を最小限にして自分も仮眠体制に入った。
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