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本編
第一話 序奏:青薔薇のメヌエット※
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どこか遠く遠く。
作り話じゃなくて、ほんとうにあるところ。オフィーリアという国で。
とても広いオフィーリア城の、特別広いとある一室に――【何か】が居た。
夜の静寂。暗がりを割るのは、大きな天窓から差し込む月明かりだけ。
月光の舞台照明の下、【何か】は二本の足で立っていた。
部屋は、二種類の生臭さで満ちている。
ひとつは血の臭い。
絨毯を犯す生ぬるい血溜まりは、全てを呑み込む底なし沼のよう。壁や天井をじっとりと濡らす血液の臭いが、むわっとした熱気とともに立ち込めて、嫌でも鼻につく。
そこに立つ【何か】のものではない。
おそらくそばに散らかされたいくつかの塊――かつて人間だったもの――のそれだろう。
もうひとつの臭いは。
惨状の真ん中でじっと宙を見つめている【何か】の股間から射たれた真っ白な体液。
血の臭いと混ざりあってかすかな異臭を放ち、転がる塊にネバネバとまとわりついている。
城を囲む森のなかでは、獣すら眠りについている隙間の時間。
その空間には、血と、闇と、肉塊と。
そして、月の光が生み出した黒い影の。
【何か】が居た。
***
眠そうな鳥かごみたいな丘の上に、静かな家がひとつある。
その家のなか、ベッドの上に読みかけの絵本をひらいたままで、夢を見ている女の子がひとり。
ずっと待ってた車の音がだんだん大きくなって、女の子は元気に顔を上げた。
「パパだぁ!」
父の仕事は貿易商。世界中のいろんなものを買ったり売ったりするお仕事で、遠くへ行くときは長いあいだお留守。今日はそのパパが久しぶりに帰ってくる日。急いでホールへお迎えに。
「お帰りなさぁい」
「ただいまカミィ。ほら、お土産だよ」
"タラーン!"とポケットから出てきたのは、手に乗るくらいの小さい宝石箱。
「わぁい」
すぐに箱を開けて、カミィと呼ばれた女の子はジャンプ。
「コサージだぁ。可愛いねえ。パパありがとう。だいすき!」
「こらこら。赤ちゃんじゃないんだから。お父様と呼びなさい」
「だって、おみやげとっても嬉しいから」
困った顔するパパの後ろから、くすっと笑う声がした。見てみると、母がのんびり歩いてくる。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま。何か変わりはなかったかい?」
「特には何も無かったわ」
「そうか、それは良かった。いつも寂しい思いをさせてすまないね。愛してるよ」
遅れてお迎えに来たママに、パパはハグとキスをプレゼント。
カミィは少し離れて、さっそくおみやげを胸につけて鏡の前へ。
白桃色の髪と桃色の目は今日もおいしそうで、自分の髪だけどよだれが出ちゃいそう。編んだ前髪をとめる蝶のクリップは耳の横で、もらったばかりの薔薇のコサージと、どっちが青いか競争してる。
鏡を覗き終わったら、お手紙を両手に持ったパパと目が合った。
「なにするの?」
「留守でずいぶんたまってしまったからね。返事が必要なものとそうでないものに分けるんだよ」
箱をふたつ並べて、こっちはいるもの。こっちはいらないもの。ぱたぱたと手紙があっちこっち。
面白く見ていると、急にパパの手が止まった。手のなかには他のお手紙とはちょっと違う、お月さま色の封筒。
「ほう。城から招待状が届いていたよ。来週、王子様主催で舞踏会が開かれるようだ。伯爵程度のうちにまで招待状が来るとは、相当大規模だな。明るい催しで、王子様が少しでも元気を取り戻されると良いのだが」
「そうねえ。王族の方が次々とお亡くなりになって、王様も今は病に臥せっておられるのでしょう? 王家の血筋のなかで、お元気なのはもうトーマス王子おひとりだとか。たまには息抜きが必要よねえ」
「あの王子様は立派だよ。王の代理になってすぐ、領土争いが続いていた隣国と停戦協定を結ばれた。そのおかげで私もずいぶん安心して商談に出られるようになったからね。ああいう有能なお方に娘を嫁がせたいよ。年齢としてはほんの少しだけはやいが、見た目だけならじゅうぶんに可愛らしく育っていると思うのだが?」
「いやあね、あなた。それは親馬鹿と言うのよ」
「良い機会だし、家族で参加させていただこうか。カミィも行くんだよ」
振り返るパパはとっても笑顔。一緒にカミィも嬉しい気持ち。
「わぁ~。お菓子いっぱいあるかなぁ?」
「お菓子はどうだろうね? 仮面舞踏会らしいからマスクを用意して、ドレスもとびきり素敵なものをオーダーしてあげよう」
「ふわふわのがいいなぁ」
はじめての舞踏会。いったいどんなところかな。甘い甘い場所だといいな。
作り話じゃなくて、ほんとうにあるところ。オフィーリアという国で。
とても広いオフィーリア城の、特別広いとある一室に――【何か】が居た。
夜の静寂。暗がりを割るのは、大きな天窓から差し込む月明かりだけ。
月光の舞台照明の下、【何か】は二本の足で立っていた。
部屋は、二種類の生臭さで満ちている。
ひとつは血の臭い。
絨毯を犯す生ぬるい血溜まりは、全てを呑み込む底なし沼のよう。壁や天井をじっとりと濡らす血液の臭いが、むわっとした熱気とともに立ち込めて、嫌でも鼻につく。
そこに立つ【何か】のものではない。
おそらくそばに散らかされたいくつかの塊――かつて人間だったもの――のそれだろう。
もうひとつの臭いは。
惨状の真ん中でじっと宙を見つめている【何か】の股間から射たれた真っ白な体液。
血の臭いと混ざりあってかすかな異臭を放ち、転がる塊にネバネバとまとわりついている。
城を囲む森のなかでは、獣すら眠りについている隙間の時間。
その空間には、血と、闇と、肉塊と。
そして、月の光が生み出した黒い影の。
【何か】が居た。
***
眠そうな鳥かごみたいな丘の上に、静かな家がひとつある。
その家のなか、ベッドの上に読みかけの絵本をひらいたままで、夢を見ている女の子がひとり。
ずっと待ってた車の音がだんだん大きくなって、女の子は元気に顔を上げた。
「パパだぁ!」
父の仕事は貿易商。世界中のいろんなものを買ったり売ったりするお仕事で、遠くへ行くときは長いあいだお留守。今日はそのパパが久しぶりに帰ってくる日。急いでホールへお迎えに。
「お帰りなさぁい」
「ただいまカミィ。ほら、お土産だよ」
"タラーン!"とポケットから出てきたのは、手に乗るくらいの小さい宝石箱。
「わぁい」
すぐに箱を開けて、カミィと呼ばれた女の子はジャンプ。
「コサージだぁ。可愛いねえ。パパありがとう。だいすき!」
「こらこら。赤ちゃんじゃないんだから。お父様と呼びなさい」
「だって、おみやげとっても嬉しいから」
困った顔するパパの後ろから、くすっと笑う声がした。見てみると、母がのんびり歩いてくる。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま。何か変わりはなかったかい?」
「特には何も無かったわ」
「そうか、それは良かった。いつも寂しい思いをさせてすまないね。愛してるよ」
遅れてお迎えに来たママに、パパはハグとキスをプレゼント。
カミィは少し離れて、さっそくおみやげを胸につけて鏡の前へ。
白桃色の髪と桃色の目は今日もおいしそうで、自分の髪だけどよだれが出ちゃいそう。編んだ前髪をとめる蝶のクリップは耳の横で、もらったばかりの薔薇のコサージと、どっちが青いか競争してる。
鏡を覗き終わったら、お手紙を両手に持ったパパと目が合った。
「なにするの?」
「留守でずいぶんたまってしまったからね。返事が必要なものとそうでないものに分けるんだよ」
箱をふたつ並べて、こっちはいるもの。こっちはいらないもの。ぱたぱたと手紙があっちこっち。
面白く見ていると、急にパパの手が止まった。手のなかには他のお手紙とはちょっと違う、お月さま色の封筒。
「ほう。城から招待状が届いていたよ。来週、王子様主催で舞踏会が開かれるようだ。伯爵程度のうちにまで招待状が来るとは、相当大規模だな。明るい催しで、王子様が少しでも元気を取り戻されると良いのだが」
「そうねえ。王族の方が次々とお亡くなりになって、王様も今は病に臥せっておられるのでしょう? 王家の血筋のなかで、お元気なのはもうトーマス王子おひとりだとか。たまには息抜きが必要よねえ」
「あの王子様は立派だよ。王の代理になってすぐ、領土争いが続いていた隣国と停戦協定を結ばれた。そのおかげで私もずいぶん安心して商談に出られるようになったからね。ああいう有能なお方に娘を嫁がせたいよ。年齢としてはほんの少しだけはやいが、見た目だけならじゅうぶんに可愛らしく育っていると思うのだが?」
「いやあね、あなた。それは親馬鹿と言うのよ」
「良い機会だし、家族で参加させていただこうか。カミィも行くんだよ」
振り返るパパはとっても笑顔。一緒にカミィも嬉しい気持ち。
「わぁ~。お菓子いっぱいあるかなぁ?」
「お菓子はどうだろうね? 仮面舞踏会らしいからマスクを用意して、ドレスもとびきり素敵なものをオーダーしてあげよう」
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