そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ

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外伝(むしろメイン)

番外八   囚われたはなし

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※メイン:大臣 ジャンル:やみ



*********


「あひぃいいい! お赦しください。あんなことをするつもりは無かった……!」

 満月の夜。建物内に反響するのは、狂った痛悔。

 辺境の町のはずれにある、ひそやかな入院施設。
 ここでは様々な事情をかかえた患者が、心の安寧を求めて日々を過ごしている。

 本日の夜勤を務めるのは、この施設に来たばかりのまだ年若い新米医師。

「お赦しください。お赦しください。仕方が無かったのです」

 突き刺すような悲痛な念を耳に、医師は手にしたカルテをめくる。カルテの至るところに貼り付けられた付箋は、先輩がつけてくれた手書きのメモだ。新米医師のためにと、専門用語はできるだけ噛み砕かれ、先輩の所感や注意点が記されている。

 メモによれば。今夜の勤務でとくに注意しなければならない患者は、先程から絶えまなく続く痛悔の主。

 件の患者はもともと、この国の大臣という地位についていた。やや肥満気味だが心身ともに健康で、朗らかな人物だった。と、周囲は評価している。
 ところがあるときを境に、見るまに痩せ衰えた。何らかの内臓疾患を疑った周囲のすすめにより検査を受けるも、肉体に異常は無し。原因不明のまま、当時の担当医師はひとまず神経症と診断して投薬を開始。しかし効果は薄く、ついに革命の終わりには、昼夜問わずうわ言を繰り返すだけの憔悴した状態となっていた。

 ここまでは、国の中央病院での記録を遡って調査したもの。
 以降は、患者がこの施設に来てからの記録となる。

 施設に来てからの患者は、俗世と切り離された静かな環境のおかげか、改善の兆しを見せている。
 来た当初は、昼夜問わず落ち着き無く視線をさまよわせ、何かに怯える様子がうかがえた。それに比べ、ここ最近は健やかな笑顔を取り戻している。おおらかで、会話もしっかりし、施設が治療の為に課す作業にも人一倍熱心。

 ところが。満月の夜にだけ、患者は必ず発作を起こす。
 格子の嵌まった窓からさす眩い月光が、患者の心を底なしの狂気へと誘うらしい。

 患者はなぜ、月を恐れるようになったのか。
 日中のカウンセリングにて、患者はこう答えた。
 
「月の裏側を見てしまったのです」

 月の裏側。一見するとロマンに満ちた話だが、患者にとっては免れない問題である。おそらく、月に関わるできごとで、大きなショックや恐怖に晒されたのだろう。時間がたっても心の傷が消えず、満月を見るたびにパニックに陥るようになったようだ。いわゆる、心的外傷後ストレス障PTSD害と呼ばれる症状。

 月明かりを遮るようカーテンを設置しても、患者自らの手によって翌日には外され、丁寧に折りたたまれてベッド脇に置かれてしまう。
 数度繰り返すも、毎回同じ結果。月に恐れを抱き、しかし遮断はしたくないらしい。
 よって、患者は満月の夜ごと、空へ赦しを乞うている。赦しを得られれば、何らかの後悔によって檻に閉ざされた彼の精神は開放されるのだろうか?

 特記事項:この患者に問題行動はほとんどない。ただし、満月の夜だけは、注意深く接するように。


 カルテを読み終えた新米医師が時計に目をやれば、針の位置はちょうど定時巡回の刻。
 覚えたての巡回ルートを脳内で復習し、待機室から踏み出せば、長い廊下に出迎えられる。

 入院患者の個室は、症状によっておおまかに分類され、区画がわけられている。
 医師がまず向かったのは、比較的安定している患者でまとめられた区画。件の患者の部屋もこの区画にある。

 区画に到着すると、医師はひとつひとつドアの前からなかの様子をうかがっていく。ほとんどの患者は、静かに夜を過ごしている様子。先輩から聞いていた通り、この区画では医師の負担はすこぶる軽度。ときどき眠剤を求める声にこたえるか、深夜で沈んだ気分を落ち着かせる手伝いをする程度。

 ほどなくして、響く痛悔が異彩を放つ部屋に到着。
『この患者は問題行動もほとんどない。しかし、満月の夜だけは、注意深く接するように』。先輩のメモ書きが新米医師の脳裏に浮かぶ。意を決して、医師は慎重にドアノブに手をかけた。

「大丈夫ですか? お薬は飲みましたか?」
「月が……月の笑い声が聞こえる! だんだんおおきく! 耳を塞いでも!」
「大丈夫、あなたは安全です。恐ろしいことは何もないですよ」

 窓に背を向け、毛布に包まり震える患者。医師のかけた声は、”月の笑い声”とやらにかき消され、届かぬようだ。
 そっとしておくべきか、距離をつめるべきか。医師は悩み、ひとつの案を思いついた。

「そうだ、赦しをお求めでしたら懺悔をなさいますか? 心が楽になりますよ。教会から神父様を呼び」
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 途端、絶叫にも近い慟哭。

「落ち着いて。何もしません! 何もありませんから!」
 興奮した患者に困り果て、新任医師は逃げるように部屋から飛び出さざるを得なかった。

「神父は……神父は……私のせいでは……。たすけて、たすけて……!」
「これは、まだまだ時間がかかるかもしれないなぁ」
 ドア越しの悲鳴に隠れ、医師は苦しげに呟いた。赦しを乞う声は、おそらく月の残光が消えるまで続く。

 実のところ、この患者の個室に鍵は無い。
 ここから出ようと思えばいつだって自由になれる。彼次第で、どこへだって行ける。
 にも関わらず、彼はあえて月光降り注ぐ位置の部屋を希望し、自ら囚われ、未だに幻想の檻のなかで過ごしている。まるで、月の魔力に魅入られたように。

「月の裏側、か」

 廊下の窓から外を眺めれば、いつにも増して見事な満月。輝く月の表面は美しく魅力的でこそあれ、本質的には表も裏も同じもの。
 裏側を覗き込んだとて、それほど恐れるべきものには思えない。ただどこまでも虚無が広がっているだけであろう。

 そこに何を見出すかが、ロマンであるのかもしれないが。

 番外八 END





***


 施設のさらに奥、本物の檻からは怒号に近い叫びがこだまする。
 
「出せー! ここから出せー!」
「禁断症状が抜けるまでは、ダメですよ」
 
 自傷や他害の恐れがある患者達が集められた区画まで行き、医師は片足が義足の男に厳しい視線を向けた。

 この男はここに来る前、人体に害のある薬と酒に溺れ、中毒症状に陥っていた。その勢いで犯罪を犯し、裁きの前にまずは治療のため、ここへ送られて来た。
 男は今もまだ凶暴性を失わず、昼夜問わず職員に危害を加えようとする。懺悔の男よりもこちらのほうがよほど危険だが、先に檻から抜けるのは得てしてこういう人物のほう。

「出てもまた檻、にはなるだろうけど」

 いつだって出られる檻に自ら入りたがる者と、出られない檻から抜け出したい男。
 ふたりの男の狭間で、「世の中うまくはいかないもんだな」と、医師はもどかしく息を吐いた。

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