不完全な人達

神崎

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 直売所では今朝取れたての魚というわけにはいかない。今日は休日で、漁は出ていないのだ。それでも取れたての鰺を開いて塩水で付けたものを干した開き、いかの一夜干しなどが冷凍である。それを見ながら、少し清子は笑っていたように思える。懐かしいものなのだろう。もちろん晶にとってもおなじみのものだ。こういうものを食べて育ったので、味には敏感だ。
 いつか清子の家で食事をしたことがある。その一つ一つは清子の家で作っていたのだろう。懐かしい味がした。今はそれを味わうことは出来ない。一緒に暮らしている愛が口にするものは決められていて、料理を愛はするがその食事は極端に炭水化物や糖質を抜いたもので、ウサギの餌かと思ったくらいだ。もちろん魚を食べることはあるが、生は食べない。と言うか、おそらく愛は生の食材を食べない。それが体を作る基本なのだろう。
 清子は手に取ったのは、釜揚げチリメンを冷凍したものだった。
「それどうするんだ。」
「釜揚げチリメンはどうにでもなる。塩が利いてるから、和え物に加えても良いし、そのままどんぶりで食べても美味しいです。」
 夜遅くに帰ってきたときはこういうものがちょうど良いかも知れない。そう思ってそれをかごに入れる。
「貝はないですね。」
「春先のものだしな。でもほら、剥いてるヤツならある。」
「貝は鮮度が一番だと、祖母が言ってました。」
 いつだったか生牡蠣を飲み会の席で食べたことがあるが、その日の夜は吐いたり、下痢をしたりで大変だった。そのときやっと祖母の言っていたことが正しいと思えた。
「生の魚はないな。」
「今日は休日ですから、漁が出てなかったのでしょうね。」
 清子はそう言って他の食材に目を移した。わかめなら生がある。これをポン酢で食べると美味しいだろう。
「久住さんは買わないんですか?」
「いつか言っただろ?決められたものしか食べないんだよ。あいつ。」
「でも……いつかファミレスのものは食べてたのに。」
「あぁ。あのときは仕方なかったからな。それにファミレスってカロリーとか糖質とか書いてるだろ?それ見ながら食べたはずだ。」
 体が売り物だから仕方ないのかも知れないが、それにあわせるのは苦痛ではないだろうか。
「……よく耐えてますよね。」
「え?」
「好きなものも食べれなくてよくつきあっているなって。それだけ好きなんですね。」
 清子はそう言って野菜に今度は目を移した。すると晶はムキになったように言う。
「別にそんなんじゃねぇよ。俺が食べてる分には何にもいわねぇから。」
「別にどうでも良いです。」
 銀杏がある。銀杏は酒の宛にぴったりだ。最近は炒らなくても、レンジで食べることが出来る。ただ、レンジの中が臭くなるが。
「銀杏はよく拾いましたね。持って帰ると祖母が喜んでくれたから。」
 祖母の料理はいつも美味しかったが、茶碗蒸しが特に美味しかった。手間がかかる割には主食にならないので滅多に作ってくれなくてたまに作ってくれるとそこに銀杏があって嬉しかった。
「ばあさんの話よくするな。思い出したのか?」
 すると清子は銀杏を置いて、少し黙り込む。
「えぇ。少し思い出しました。」
 すると晶はそのおいた銀杏を手にする。
「食べると、食中毒になるってうちの祖母さんは言ってたな。」
「何でも食べ過ぎると良くないのでしょう。」
「……どうでもいいや。これつまみに飲まないか。」
 銀杏を清子の前に見せる。すると清子は少しため息を付いていった。
「恋人と食べればいいじゃないですか。」
「あいつ、絶対食べねぇな。だから。」
「やです。他の人と食べてください。」
「なぁ……これからお前の所に行って良い?」
 こそっとそう言うと、清子が持っていたかごに銀杏を入れる。
「やです。帰ってください。それに……私、帰ったら用事があるし。」
「何?編集長と会うのか?」
「……。」
 否定はしないまま、その銀杏を棚に戻す。本当にそうなのだろうか。晶はいらっとしながらレジへ向かう清子を見ていた。
「発泡スチロールに入れますか?」
 店員が清子にそう聞く。確かに冷凍物があるので、このまま持って帰ったら、家に帰り着くまでに溶けてしまうかも知れない。
「いいえ……ビニール袋に保冷剤で……。」
 清子がそう言うと、晶もレジにかごをおく。
「これも一緒に入れて。発砲で良いよ。」
「久住さん。」
「街まで送るよ。そっちの方が安心だ。郵送するとまた金がかかるだろ?」
「送料は確かにクール便なので、割高ですね。」
「ほら。そうしておけよ。」
 一緒に帰ることが前提なのか。清子はそう思いながら、忌々しく発泡スチロールを用意されているのを見ていた。

 車に発泡スチロールを乗せると、晶は車に乗り込み、清子も助手席に乗った。まるでドライブデートの帰りのようだ。
「愛さんは今日は?」
「仕事。どっか地方の方って言ってたかな。CMに出るんだとよ。」
「有名人みたい。」
「有名人だよ。俺と違ってな。」
 この国で外国のモデル事務所に撮られることは少ない。愛のようにブランドと契約していることも難しいのだ。だからこの国に帰ってきたら、愛のような人がCMに出るのは大きな広告にもなるのだろう。
「でもさっきメッセージ来たわ。見事に着物が似合わないって。」
 そう言うメッセージも軽く送れるのだ。やはり恋人というわけだ。清子はそう思いながら、外を見ていた。
「お前は浴衣案外似合ってたな。」
「褒められた気がしませんよ。」
「あれほら、タオルとか巻いてたのか?」
「バスタオル。」
「あーだろうと思った。お前細いもんな。着物ってのは寸胴じゃねぇと似合わねえからな。でもその帯をくるくる回してぇ。」
 呆れたように清子は見ると、少しため息を付いた。
「何だよ。男の夢だろ?AVでもよくあるし。ほら、時代物とかあるじゃん。」
「あれしか見たことないですね。」
「あれ?」
「女くのいちみたいなヤツ。」
「あぁ。敵の城に入って、捕まって、陵辱されるヤツか。それか、SMだろ?って言うかそんなもん観てるのか?」
「観てはないけど、ホームページの新作紹介でみました。」
「あぁ。そうか。サンプルみた?」
「一応。でも寄ってたかって一人の女性を辱めるなんて、それが男の願望ですか?」
「人によるだろ。女に辱められる男のヤツもあるし。」
 性癖は人それぞれだ。だが、少なくとも清子の趣味じゃない。
「……そんな話してたらしたくなったな。ホテルにでも行くか?ほら。そこにあるヤツ。」
「いやです。帰りますから。」
 町を離れるとぽつぽつとラブホテルが見える。こんな場末のラブホテルなどたかが知れているだろうが、内容は以前史と行ったところと一緒だろう。
「けち。減るもんじゃあるまいし。」
「減るものではないですけど、今日は愛さんが帰ってくるのでしょう?」
「そりゃな。」
「そのとき愛さんの目を見れるんですか。」
 言葉が詰まった。確かにそうだ。だがまだ帰ってくる時間じゃない。抱きたい。そう思っていたが、清子はそう思っていないのだろう。
「……それに私は祖母と違う。」
「え?」
「誰とでも寝ることはしませんから。」
「編集長となら寝るのか?」
 今度は清子の言葉が詰まった。すると晶は運転する手を片手で握り治すと、清子の手を握った。
「これ、編集長からもらったのか?」
「……。」
「昨日はなかったよな。で、今日はある。ってことは、昨日編集長と会っていたんだろ?それでこんなものでお前を縛り付けようと……。」
「縛り付けられた気はない。それ以上言うんだったらここで降ります。」
 まだ車は走っている。だが遠慮無く清子はシートベルトをはずそうとした。
「待てよ。危ねぇから。」
「……。」
 信号がない山道で良かった。本当に降りそうだったから。
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