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遺書
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会社のゲートをくぐると、その先には史がいた。もう空調の利いていないエントランスのソファーに座っている。
「お待たせしました。寒かったでしょう?」
「大丈夫。カイロ持ってきたから。」
その言葉に晶が笑う。
「おじんは冷えやすいんだろ?」
「お前等もすぐこの歳になるよ。二十代はあっという間だったからね。」
冗談を言い合いながら、三人は裏口へ向かった。そしてそこを出ると、清子は携帯電話を開く。
「はい……。今終わりました。すいません。遅くなってしまって。」
電話の相手は、二十四時間しているファミレスにいるらしい。駅前にあるそれは、きっと居酒屋のようになっているのだろう。
「ファミレスね……そんな大事な話なんて、個室じゃなくていいのかな。」
史はそう言うと、清子は首を横に振った。
「たぶん、話していても誰のことを言っているかわからないと思いますよ。」
今度の土曜日に、清子は自分の板あの海辺の町へ戻るつもりだった。そしてそのついでに冬山祥吾の様子を見に行こうと思っていたのだが、今日の昼間、清子の元に弁護士を名乗る男から連絡があったのだ。
冬山祥吾は現在、意識が戻ったり無くなったりを繰り返しているのだという。もうどちらにしてもそんなに長くないのだ。その前に、遺書を確かめてほしいと清子に申し出たのだ。なるべく早くして欲しいという申し出に、慎吾との約束が今日はあったのだがそれをキャンセルした。
そして史にそれをいうと、史もそしてそれを小耳に挟んだ晶も付いてくるのだという。
「それにしても、遺書ね。身内ってお前しか居ないんじゃないのか。」
「そうですね。一番上の叔父は拘置所ですし、父はどこにいるのかわかりませんから。」
おそらく一番上の叔父は、実刑になる。それでも雇われていた障害者の家族は納得できないと、叔父の会社に詰め寄っているのだという。清子のことがばれなくて良かったと、そのときだけは希薄な関係に感謝した。
「もし亡くなったりしたら、葬儀はどうするんだよ。著名人だろ?一応。」
「えぇ……それも含めて弁護士さんとお話をしないといけないのでしょうから。」
名刺を確認した。それは「林倫太郎」と書いてあり、弁護士事務所はここよりも少し離れた町にある。
「初めて会うんだろう?目印になるようなものがあるの?」
史はそう聞くと、清子は少しうなずいた。
「喫煙席にいてグレーのスーツに、グレーのハットを席に置いているそうです。」
「わかりにくいな。」
「でもあちらは私を知っているようなので、行けば声をかけると。」
やがて指定されたファミレスに到着した。そのファミレスは一階は駐車場になっていて、二階からが店舗になっている。夏頃に史といった店舗のようになっていた。
階段を上がると、店舗の中に入る。暖かい空気が三人を包み込んだ。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか。」
「あ、待ち合わせ。」
「どうぞ。」
若い男の店員は三人を促すと、清子はそのボックス席に目をやる。この店舗ではいすといすとの間に目張りがしてあるので、向こう側の人が見えることはない。半個室みたいな感じになっている。
清子はその一つ一つを見ていき、一番奥の席にやってきたとき足を止めた。
「あ、徳成清子さん?」
グレーのスーツと、横に置いてあるグレーのハット。この人が林倫太郎なのだろう。少し中年太りした額が広い男だった。もう食事を終えたようで、目の前には空の鉄板が置いてある。
「初めまして。林です。名刺を……。」
清子たちが席に着く前から、ごそごそと名刺入れを探っている。のんびりしたタイプではなさそうだが、慌てるタイプなのだろう。
「あぁ。あった。これ……。」
そう言って差し出した名刺を清子は手にして首を横に振る。
「違いますよ。」
突き返された名刺には、キャバクラの屋号と女性の名前が書いてあった。
「あぁ……悪い。悪い。」
慌てて名刺をしまうと、晶はこそっと史に聞く。
「こんなんかよ。弁護士って。」
「そう言うな。うちの顧問弁護士と一緒にしたらいけない。」
「三島出版」の顧問弁護士を、史も晶も一度見たことがある。きっちり眼鏡をかけて、細くて、きっと学生の時はがり勉だったのだろうと想像がたやすい男だった。
だがその名刺を手渡す男は全くそう言うタイプに見えない。暑いのか、汗をかいていてあまり清潔そうにも見えなかった。
やっと席について、清子に名刺を渡す。確かに清子が以前冬山祥吾から貰った名刺と同じ名刺だ。冬山祥吾はこの人物を指定していたのだろう。
「そちらは、上司と同僚だと言ってましたが。」
「あぁ。こちらも名刺を。」
史はそう言って名刺を差し出す。すると倫太郎は驚いたように史を見た。
「「pink倶楽部」の編集長さん。あぁ。私ずっと拝読してまして。」
「そうだったんですか。」
「あの読み物が好きでねぇ。秋野さんの。」
ここでも評判がいいのだ。最近、秋野という名前でコラムを書いているが、作家である春川と同一人物だと告白したのがさらに拍車をかけている。女性であんなに露骨でエロい文章を書くのだからと、期待した読者は春川の姿を想像するが、普通の色気のかけらも感じない春川に驚いた読者ばかりだ。
「それにあなたもお見かけしたことがある。」
「え?」
「画面の向こうでね。」
「あぁ……。そういうことですか。」
「いや、お恥ずかしいですがね。この歳になって、そういうものばかり観てるのもね。でもまぁ、趣味なんで気にしないでください。」
「そういう人もいますよ。別に抜くだけで観るわけではない人もいますから。」
「えぇ。その通りですよ。」
抜く以外に何の目的があるのかね。晶はそう思いながら、灰皿を寄せる。だが清子は仕事で観ている。それで濡れたりはしないのだろう。
「そちらは。」
晶の方を見て、倫太郎は少し笑った。すると晶もポケットから名刺入れを取り出して、名刺を倫太郎にて渡す。
「久住です。」
「頂戴いたします。あぁ。カメラマンですか。」
「女の裸を撮ったり、美味そうな飯を撮ったりしてますよ。」
「なるほど。なるほど。で、どちらが恋人で?」
すると清子は史の方を見上げる。すると史は少し笑った。
「俺は、幼なじみだよ。この間ぽっと出てきたような恋人よりは、清子のことをわかってるつもりだけどな。」
むっとしたように晶は言うが、実際は十年も一緒にいなかったのだ。他人と言ってもいいだろう。
「はぁ……。」
「で、あんたは冬山祥吾の何だよ。」
「あ、私はですね、徳成祥吾君とは大学の同期になるんですよ。」
冬山ではなく、徳成と本名で呼んだ。おそらく本当なのだろう。
「あいつは文学部で私は法学部でしたけど、同じ文芸サークルの仲間でしたね。もっとも……私はそのあと忙しくなったので、文芸サークルは一年もいませんでしたが。」
「……はぁ……仲が良かったんですか。」
「別にそこまでは。ただ、いつだったか……七年前くらいだったでしょうか。急に連絡を貰いましてね。」
倫太郎は手元にあるコーヒーを手にして、ふと三人をみる。
「あぁ。何か飲みますか。言うのを忘れてた。そうだ、食事は?」
「いいえ。あ……じゃあ、コーヒーを。」
「俺も貰うよ。三つかな。」
ファミレスに来ているのだ。何も注文しないまま、話だけ聞くわけにはいかないだろう。先ほどの店員がやってくると、コーヒーの注文を受けて下がっていく。その後ろ姿を見て、史は昔の自分と重ねていた。
「お待たせしました。寒かったでしょう?」
「大丈夫。カイロ持ってきたから。」
その言葉に晶が笑う。
「おじんは冷えやすいんだろ?」
「お前等もすぐこの歳になるよ。二十代はあっという間だったからね。」
冗談を言い合いながら、三人は裏口へ向かった。そしてそこを出ると、清子は携帯電話を開く。
「はい……。今終わりました。すいません。遅くなってしまって。」
電話の相手は、二十四時間しているファミレスにいるらしい。駅前にあるそれは、きっと居酒屋のようになっているのだろう。
「ファミレスね……そんな大事な話なんて、個室じゃなくていいのかな。」
史はそう言うと、清子は首を横に振った。
「たぶん、話していても誰のことを言っているかわからないと思いますよ。」
今度の土曜日に、清子は自分の板あの海辺の町へ戻るつもりだった。そしてそのついでに冬山祥吾の様子を見に行こうと思っていたのだが、今日の昼間、清子の元に弁護士を名乗る男から連絡があったのだ。
冬山祥吾は現在、意識が戻ったり無くなったりを繰り返しているのだという。もうどちらにしてもそんなに長くないのだ。その前に、遺書を確かめてほしいと清子に申し出たのだ。なるべく早くして欲しいという申し出に、慎吾との約束が今日はあったのだがそれをキャンセルした。
そして史にそれをいうと、史もそしてそれを小耳に挟んだ晶も付いてくるのだという。
「それにしても、遺書ね。身内ってお前しか居ないんじゃないのか。」
「そうですね。一番上の叔父は拘置所ですし、父はどこにいるのかわかりませんから。」
おそらく一番上の叔父は、実刑になる。それでも雇われていた障害者の家族は納得できないと、叔父の会社に詰め寄っているのだという。清子のことがばれなくて良かったと、そのときだけは希薄な関係に感謝した。
「もし亡くなったりしたら、葬儀はどうするんだよ。著名人だろ?一応。」
「えぇ……それも含めて弁護士さんとお話をしないといけないのでしょうから。」
名刺を確認した。それは「林倫太郎」と書いてあり、弁護士事務所はここよりも少し離れた町にある。
「初めて会うんだろう?目印になるようなものがあるの?」
史はそう聞くと、清子は少しうなずいた。
「喫煙席にいてグレーのスーツに、グレーのハットを席に置いているそうです。」
「わかりにくいな。」
「でもあちらは私を知っているようなので、行けば声をかけると。」
やがて指定されたファミレスに到着した。そのファミレスは一階は駐車場になっていて、二階からが店舗になっている。夏頃に史といった店舗のようになっていた。
階段を上がると、店舗の中に入る。暖かい空気が三人を包み込んだ。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか。」
「あ、待ち合わせ。」
「どうぞ。」
若い男の店員は三人を促すと、清子はそのボックス席に目をやる。この店舗ではいすといすとの間に目張りがしてあるので、向こう側の人が見えることはない。半個室みたいな感じになっている。
清子はその一つ一つを見ていき、一番奥の席にやってきたとき足を止めた。
「あ、徳成清子さん?」
グレーのスーツと、横に置いてあるグレーのハット。この人が林倫太郎なのだろう。少し中年太りした額が広い男だった。もう食事を終えたようで、目の前には空の鉄板が置いてある。
「初めまして。林です。名刺を……。」
清子たちが席に着く前から、ごそごそと名刺入れを探っている。のんびりしたタイプではなさそうだが、慌てるタイプなのだろう。
「あぁ。あった。これ……。」
そう言って差し出した名刺を清子は手にして首を横に振る。
「違いますよ。」
突き返された名刺には、キャバクラの屋号と女性の名前が書いてあった。
「あぁ……悪い。悪い。」
慌てて名刺をしまうと、晶はこそっと史に聞く。
「こんなんかよ。弁護士って。」
「そう言うな。うちの顧問弁護士と一緒にしたらいけない。」
「三島出版」の顧問弁護士を、史も晶も一度見たことがある。きっちり眼鏡をかけて、細くて、きっと学生の時はがり勉だったのだろうと想像がたやすい男だった。
だがその名刺を手渡す男は全くそう言うタイプに見えない。暑いのか、汗をかいていてあまり清潔そうにも見えなかった。
やっと席について、清子に名刺を渡す。確かに清子が以前冬山祥吾から貰った名刺と同じ名刺だ。冬山祥吾はこの人物を指定していたのだろう。
「そちらは、上司と同僚だと言ってましたが。」
「あぁ。こちらも名刺を。」
史はそう言って名刺を差し出す。すると倫太郎は驚いたように史を見た。
「「pink倶楽部」の編集長さん。あぁ。私ずっと拝読してまして。」
「そうだったんですか。」
「あの読み物が好きでねぇ。秋野さんの。」
ここでも評判がいいのだ。最近、秋野という名前でコラムを書いているが、作家である春川と同一人物だと告白したのがさらに拍車をかけている。女性であんなに露骨でエロい文章を書くのだからと、期待した読者は春川の姿を想像するが、普通の色気のかけらも感じない春川に驚いた読者ばかりだ。
「それにあなたもお見かけしたことがある。」
「え?」
「画面の向こうでね。」
「あぁ……。そういうことですか。」
「いや、お恥ずかしいですがね。この歳になって、そういうものばかり観てるのもね。でもまぁ、趣味なんで気にしないでください。」
「そういう人もいますよ。別に抜くだけで観るわけではない人もいますから。」
「えぇ。その通りですよ。」
抜く以外に何の目的があるのかね。晶はそう思いながら、灰皿を寄せる。だが清子は仕事で観ている。それで濡れたりはしないのだろう。
「そちらは。」
晶の方を見て、倫太郎は少し笑った。すると晶もポケットから名刺入れを取り出して、名刺を倫太郎にて渡す。
「久住です。」
「頂戴いたします。あぁ。カメラマンですか。」
「女の裸を撮ったり、美味そうな飯を撮ったりしてますよ。」
「なるほど。なるほど。で、どちらが恋人で?」
すると清子は史の方を見上げる。すると史は少し笑った。
「俺は、幼なじみだよ。この間ぽっと出てきたような恋人よりは、清子のことをわかってるつもりだけどな。」
むっとしたように晶は言うが、実際は十年も一緒にいなかったのだ。他人と言ってもいいだろう。
「はぁ……。」
「で、あんたは冬山祥吾の何だよ。」
「あ、私はですね、徳成祥吾君とは大学の同期になるんですよ。」
冬山ではなく、徳成と本名で呼んだ。おそらく本当なのだろう。
「あいつは文学部で私は法学部でしたけど、同じ文芸サークルの仲間でしたね。もっとも……私はそのあと忙しくなったので、文芸サークルは一年もいませんでしたが。」
「……はぁ……仲が良かったんですか。」
「別にそこまでは。ただ、いつだったか……七年前くらいだったでしょうか。急に連絡を貰いましてね。」
倫太郎は手元にあるコーヒーを手にして、ふと三人をみる。
「あぁ。何か飲みますか。言うのを忘れてた。そうだ、食事は?」
「いいえ。あ……じゃあ、コーヒーを。」
「俺も貰うよ。三つかな。」
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