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誰も行なくなった食堂の中で、累は悩んでいた。時計を見ると十六時。今から仕込みをして、掃除をする。仕込みといっても保存食づくりなのでそんなに大量な数はしないので早く終わるだろう。
明日は市場が休みだ。ゆっくり寝ることも出来るだろう。少なくとも彩が来なければ。
彩がここへ来るのはだいたい日が変わってから。彼女が自由にできる時間は四、五時間といったところだろうか。
その時間に弁当を作り、花街へ行く?
会えるとしても一瞬だ。それに彼にも彼の都合があるのだろうし。会えるとは限らない。だけど……。
炊飯器の中を見る。ご飯が少し余っている。ため息を付いて、彼女はそれをボウルに入れた。そして高菜漬けを刻んだもの、ゴマをひいたモノを混ぜ合わせた。そしてそれをおにぎりにする。
アスパラの肉巻きが余っている。それを使い捨てのタッパーに入れ、今日の小鉢のマカロニサラダを入れた。そしてトマトをくし切りにすると彩りを添える。
すると弁当らしく見えた。それを見てふたを閉めると、彼女はため息を付く。何を作っているんだ。私はと。
銘に言われたからじゃない。食材が余ってしまってはいけないのだ。そう自分に言い聞かせた。そしてそれをテーブルに置くと、彼女はいつもよりも手早く掃除を始める。
宵の口。累は風呂敷包みを手にして、花街へ向かった。ここへ来るのは、黄の家臣を殺して以来だろうか。
周りは男が多い。中には客引きをするための女性もいるが、基本的に酔っぱらった男しかいない。彼女のように小さくて、女らしくない女は基本あまり相手にされないが、そういうのが好きな人もいる。
「姉ちゃん。いくらだい?」
そういって肩に手を置かれて、指を折ってやろうかと何度思っただろう。
そしてやっとたどり着いたのは「春雷荘」。その裏手に回ると、彼女は声をかけた。
「すいません。」
こういう所には用心棒もいるが、お世話をしている若い衆という人たちがいるはずだ。それは若いから若い衆と言われるのではなく、こういう所で働いている男は若い衆と言われていている。
「はい。何かご用ですか。」
程なくして、一人の老人がやってきた。にこにことして人の良さそうな人だ。
「ここに藍さんという用心棒の方がいらっしゃると思うのですが。」
「あぁ。いますよ。今は見回りに行っているかな。呼びましょうか?お客さんだといったら、誰か代わるでしょうし。」
「あ、いいえ。大丈夫です。」
やはり忙しいのだ。迷惑をかけてはいけない。と言うか、こんなところに来た時点で迷惑になっていないだろうか。
「これを渡していただけますか。」
彼女はそういってその男に、持っている包みを手渡した。
「直接渡さなくてもいいんですか。」
「えぇ。」
「どちら様からいただいたと言えばいいのですか。」
「あぁ……では「旬食」が来たと伝えて置いてください。それでは、失礼します。」
一礼して、彼女はその場を離れた。外灯が届かない裏道は暗い。その道を歩きながら、彼女は思っていた。
やはり来るべきではなかったと。
あの男衆の向こうにあるドアからこちらを見ていた人。女性だった。きっと商売女。赤いワンピースと綺麗な化粧。そして装飾品。マニキュアの塗られたその指は、細くて綺麗だった。
自分の手はとてもではないけれど、綺麗とは言い難い。握る度に手にひびが入るように切れて赤くなる。そんな手では彼も握ってはくれないだろう。握るのはせいぜい、彼女を道具としてしか見ていない彩くらいだ。
そのとき肩に何かがぶつかった。後ろを見ると、中年の男がこちらを見ている。きっと彼にぶつかったのだろう。
「すいません。」
頭を下げて彼女は行こうとした。きっとぼんやりしていたからぶつかったのだ。彼女が悪い。
「おい。姉ちゃん。」
謝ったのにまだ何かあるのだろうか。彼女は振り返って彼を見る。しかしそれは彼だけではなく、後二、三人の男がいた。
「ぶつかって置いて謝りもしねぇのか。」
「謝りましたが。」
「聞こえねぇな。なぁ。聞こえたか?」
しつこい男たちだ。でもここで喧嘩をしてしまったら、彼らを殺してしまうかもしれない。それもなぶり殺してしまいそうだ。
「売っちまうか?」
「大した金に何ねぇだろ?ガキだ。」
「いいや。良いタマを持ってるぜ。」
「ガキはすぐデカくなるさ。」
そういって彼らは彼女に近づいてくる。そのときだった。一人が急に消えた。
「あ?」
首をもたげられて、後ろに倒れ込んだ。そして締め上げられると、鈍い音がした。
「死にはしない。」
だが締め上げられた男は泡を吹いて、その場に倒れ込んでしまった。
「え?」
見上げるとそこには、藍がいた。やっと男たちもその状況に気が付いたのだろう。藍を見上げる。
「てめぇ!連れに何をするんだ!」
すると藍は見覚えのある短刀を抜いた。そして彼らに突きつける。
「こいつは死なないくらいにしたが、お前等は死にたいのか。」
男たちの肩から藍の様子が見える。ぞっとした。恐怖を感じてはいけないといつも彩から言われているがそれはこの状況では無理だ。そう。この状況。いつか称に会ったときと同じ感覚だった。隙があれば、殺してやる。そう言われているような錯覚に陥る。
その言葉に、男たちは仲間を見捨てて走り去っていった。そして藍は剣を納める。
「別に本当に殺すつもりはなかったがな。役人には捕まりたくはないし。」
そして藍は累の方を振り返った。
「……ありがとうございます。」
そう言って彼女は彼の目を見ずに去っていこうとした。しかしその腕を藍は掴む。その力で彼女は足を止めた。
「……お礼は言いましたよね。」
「聞こえた。」
「だったら……。」
「俺はお礼を言わせてもらえないのか。」
「何のですか?」
「弁当を持ってきてくれた。」
唇が震える。それがばれたくなくて、彼を見なかった。
「たいしたものではありませんよ。お店の残りを詰めて……今日はご飯も残ってしまったし……。」
「累。どうしてこっちを見てくれないんだ。」
その言葉に彼女は彼の方をみた。
「忙しそうですね。無理しないでください。たまには顔を見せてください。」
やっと見てくれた彼女の瞳には涙が溜まっていた。そして彼の手をふりほどいた。
「さようなら。」
そう言って彼女は走るように彼の前から去っていった。
明日は市場が休みだ。ゆっくり寝ることも出来るだろう。少なくとも彩が来なければ。
彩がここへ来るのはだいたい日が変わってから。彼女が自由にできる時間は四、五時間といったところだろうか。
その時間に弁当を作り、花街へ行く?
会えるとしても一瞬だ。それに彼にも彼の都合があるのだろうし。会えるとは限らない。だけど……。
炊飯器の中を見る。ご飯が少し余っている。ため息を付いて、彼女はそれをボウルに入れた。そして高菜漬けを刻んだもの、ゴマをひいたモノを混ぜ合わせた。そしてそれをおにぎりにする。
アスパラの肉巻きが余っている。それを使い捨てのタッパーに入れ、今日の小鉢のマカロニサラダを入れた。そしてトマトをくし切りにすると彩りを添える。
すると弁当らしく見えた。それを見てふたを閉めると、彼女はため息を付く。何を作っているんだ。私はと。
銘に言われたからじゃない。食材が余ってしまってはいけないのだ。そう自分に言い聞かせた。そしてそれをテーブルに置くと、彼女はいつもよりも手早く掃除を始める。
宵の口。累は風呂敷包みを手にして、花街へ向かった。ここへ来るのは、黄の家臣を殺して以来だろうか。
周りは男が多い。中には客引きをするための女性もいるが、基本的に酔っぱらった男しかいない。彼女のように小さくて、女らしくない女は基本あまり相手にされないが、そういうのが好きな人もいる。
「姉ちゃん。いくらだい?」
そういって肩に手を置かれて、指を折ってやろうかと何度思っただろう。
そしてやっとたどり着いたのは「春雷荘」。その裏手に回ると、彼女は声をかけた。
「すいません。」
こういう所には用心棒もいるが、お世話をしている若い衆という人たちがいるはずだ。それは若いから若い衆と言われるのではなく、こういう所で働いている男は若い衆と言われていている。
「はい。何かご用ですか。」
程なくして、一人の老人がやってきた。にこにことして人の良さそうな人だ。
「ここに藍さんという用心棒の方がいらっしゃると思うのですが。」
「あぁ。いますよ。今は見回りに行っているかな。呼びましょうか?お客さんだといったら、誰か代わるでしょうし。」
「あ、いいえ。大丈夫です。」
やはり忙しいのだ。迷惑をかけてはいけない。と言うか、こんなところに来た時点で迷惑になっていないだろうか。
「これを渡していただけますか。」
彼女はそういってその男に、持っている包みを手渡した。
「直接渡さなくてもいいんですか。」
「えぇ。」
「どちら様からいただいたと言えばいいのですか。」
「あぁ……では「旬食」が来たと伝えて置いてください。それでは、失礼します。」
一礼して、彼女はその場を離れた。外灯が届かない裏道は暗い。その道を歩きながら、彼女は思っていた。
やはり来るべきではなかったと。
あの男衆の向こうにあるドアからこちらを見ていた人。女性だった。きっと商売女。赤いワンピースと綺麗な化粧。そして装飾品。マニキュアの塗られたその指は、細くて綺麗だった。
自分の手はとてもではないけれど、綺麗とは言い難い。握る度に手にひびが入るように切れて赤くなる。そんな手では彼も握ってはくれないだろう。握るのはせいぜい、彼女を道具としてしか見ていない彩くらいだ。
そのとき肩に何かがぶつかった。後ろを見ると、中年の男がこちらを見ている。きっと彼にぶつかったのだろう。
「すいません。」
頭を下げて彼女は行こうとした。きっとぼんやりしていたからぶつかったのだ。彼女が悪い。
「おい。姉ちゃん。」
謝ったのにまだ何かあるのだろうか。彼女は振り返って彼を見る。しかしそれは彼だけではなく、後二、三人の男がいた。
「ぶつかって置いて謝りもしねぇのか。」
「謝りましたが。」
「聞こえねぇな。なぁ。聞こえたか?」
しつこい男たちだ。でもここで喧嘩をしてしまったら、彼らを殺してしまうかもしれない。それもなぶり殺してしまいそうだ。
「売っちまうか?」
「大した金に何ねぇだろ?ガキだ。」
「いいや。良いタマを持ってるぜ。」
「ガキはすぐデカくなるさ。」
そういって彼らは彼女に近づいてくる。そのときだった。一人が急に消えた。
「あ?」
首をもたげられて、後ろに倒れ込んだ。そして締め上げられると、鈍い音がした。
「死にはしない。」
だが締め上げられた男は泡を吹いて、その場に倒れ込んでしまった。
「え?」
見上げるとそこには、藍がいた。やっと男たちもその状況に気が付いたのだろう。藍を見上げる。
「てめぇ!連れに何をするんだ!」
すると藍は見覚えのある短刀を抜いた。そして彼らに突きつける。
「こいつは死なないくらいにしたが、お前等は死にたいのか。」
男たちの肩から藍の様子が見える。ぞっとした。恐怖を感じてはいけないといつも彩から言われているがそれはこの状況では無理だ。そう。この状況。いつか称に会ったときと同じ感覚だった。隙があれば、殺してやる。そう言われているような錯覚に陥る。
その言葉に、男たちは仲間を見捨てて走り去っていった。そして藍は剣を納める。
「別に本当に殺すつもりはなかったがな。役人には捕まりたくはないし。」
そして藍は累の方を振り返った。
「……ありがとうございます。」
そう言って彼女は彼の目を見ずに去っていこうとした。しかしその腕を藍は掴む。その力で彼女は足を止めた。
「……お礼は言いましたよね。」
「聞こえた。」
「だったら……。」
「俺はお礼を言わせてもらえないのか。」
「何のですか?」
「弁当を持ってきてくれた。」
唇が震える。それがばれたくなくて、彼を見なかった。
「たいしたものではありませんよ。お店の残りを詰めて……今日はご飯も残ってしまったし……。」
「累。どうしてこっちを見てくれないんだ。」
その言葉に彼女は彼の方をみた。
「忙しそうですね。無理しないでください。たまには顔を見せてください。」
やっと見てくれた彼女の瞳には涙が溜まっていた。そして彼の手をふりほどいた。
「さようなら。」
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