テロリストと兵士

神崎

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「緑称殿が?」
 鼠がついに王の側近にまで手を出した。それをしり黄林はせわしなく部屋をうろうろと歩いている。テーブルにひじを突いて、祈りの言葉をつぶやいているのは、紫練だった。彼女はいつも落ち着いているように見える。
 だが一番落ち着いていないのはきっと紅花だった。側近の中でも一番使えて、何より何でも話すことが出来る唯一の人だった。それを失ったというのは正直、耐え難い。
 紅花はせわしなく腕を組んでいる指先をとんとんと叩いている。それがいらついている証拠だった。
 やがて王がやってきた。彼は一番冷静なように見える。
「知っての通り緑称が死んだ。その代わりの選出を早めにしたいと思うが、緑のモノで誰か適任なのは知らないだろうか。」
「そうですね……。」
 祈りの手を下げて、紫練は首をかたむける。
「緑称殿は自分でさっさと決めてしまわれるところがありましたからな。下のモノはそれについていくだけの人員にしか育っていませんな。」
「困ったものだ。」
 もう選出とかいっているのだろうか。頭がおかしいのか。紅花は目を開けると、王に言う。
「王。」
「何だろうか。」
「緑称を殺したのは、鼠でしょう。どうして鼠の討伐をしないんですか。」
「紅花殿。もう少し言葉を……。」
 すると王は黄林をたしなめる。
「かまわない。紅花。鼠退治を一手に負かせているのはお前だが、何か成果を上げられているのか。」
「……緑称が詳しかったようだ。日記が出てきたが、そこには「鼠が殺人兵器のヒューマノイドを制作している可能性がある」と書かれていた。」
「ヒューマノイド?」
「そのようなモノを作れば国には破滅する。」
 黄林と紫練はそう言って立ち上がった。
「ヒューマノイドを作っていたとすれば、大がかりな機材が必要だろう。紅花。そのような機材を持ち込めるような施設がこの国のどこにある?」
「……ありますよ。たとえば病院とか。」
 その答えに王の方がこちらをみた。
「スラムという可能性もありますね。あぁ。紅花殿は今スラムの方にお住まいだとか。知りませんの?」
「えぇ。知りませんね。」
 そう言って彼は立ち上がり、そこから窓の外を見る。
「たとえば、無人島がいくつかある。そこに工場が建てられてもわからないでしょう?」
「……無いとは言い切れない。」
「紅花。」
 王は紅花の方を見る。
「何ですか。」
「一度、緑称の周りを当たれ。もしかしたら鼠の正体にかなり近いところまで近づいていたのかもしれん。」
「わかりました。」
「黄林は緑の業務を引き継げ。次が見つかるまでだ。紫練は、私と人員の選出をする。」
「わかりました。」
 王は立ち上がると、彼にいう。
「情けは必要ない。鼠が現れたら、容赦なく切り捨てろ。」
「えぇ。」

 後ろ頭を打ち抜かれていた緑称の遺体は、綺麗なモノだった。だが、不自然なことに彼の遺体は、殺されたであろうところから離れた公園で見つかった。
 どこで殺されたのだろう。わからない。
 そして彼の右足には、捻挫を治療した跡がある。病院がそれを証言した。しかもちゃんとした病院ではなく、夜中でもやっている闇医者だった。どうしてそんなところでする必要があったのだろう。
 医師は緑称が一人で来たのではなく、女性と一緒だったという。
 女性。
 それは誰だったのだろう。わからない。彼の女性関係といえば、彼の子供を産んだあの女くらいしかいないはずなのに。
 そう思いながら、藍はいつの間にか累の店の前にいた。もうお店は終わっているらしく、看板がしまい込まれていた。
 ドアノブを引くと開いた。戸惑いながらも彼はそこに入っていく。
「もう終わりましたよ。」
 累の声だった。奧から聞こえる累の声が、押さえていたモノを一気に吹き出すように思える。
「累。」
 カウンターの方を見ると、累は仕込みをしているようだった。
「藍。どうしました?もう来ないものと思って……。」
 周りには人がいない。彼はそれを確認すると、カウンターの中に入っていった。
「藍。」
 彼は何も言わずに彼女を抱きしめる。
「どうしました?」
 彼は彼女を抱きしめながら泣いていたようだった。あぁ。称が死んだことに彼はこんなに悲しんでいるのだ。
「……藍。」
 称がいなくなったことで、彼の心の中にぽっかりと穴が開いたようだった。何でも話せて、時にのの知り合い、時に剣を合わせ、何より自分と対等でいてくれた。最下層の生まれだというのに、彼は人間として扱ってくれた。
 もういないのだ。
 彼はいない。
 そして彼に芽生えたのは鼠への憎しみだった。滑稽だと思う。鼠を憎しみながら、鼠である彼女を抱きしめているのだから。
「称が死んだ。」
「……はい。聞きました。公園で見つかったと。」
「鼠だ。鼠にやられた。」
「……藍。」
 彼女はそのとき初めて彼を抱きしめた。
「累。今日、ここにいていいだろうか。お前を抱きたい。」
 彼女はその言葉にゆっくりうなずく。そして彼は彼女を少し離すと、その唇にキスをする。皮肉にも、そこは初めて彼が彼女とキスをした場所だった。
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