テロリストと兵士

神崎

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 店に戻ってくると、他のウェイターやウェイトレスが出勤し始めていた。昼間も出ているウェイトレスは早番で、昼間は出てこないウェイトレスはラストまでいるようだ。もっとも累や隆は二人しかいないので、一日中ここにいることになるのだが。
 二人はバッグを更衣室におくと、直前にしかできない仕込みをするためにキッチンにはいる。レタスやベビーリーフ、トマト、キュウリなどを取り出した累は、それらをシンクに置く。いつも通りの行動だった。
 そして隆はトイレから帰ってくると、ドアを閉める。そして累の背中をみた。いつも通りの行動に、さっきまでの行動が嘘のようだと思う。
「累。」
「どうしました。」
 彼は彼女の背中越しに、ベビーリーフを手にした。
「少し痛んでいるのもあるな。より分けて出そう。」
「はい。」
 季節のものではないが、メニューにあるので仕入れている。季節のものを主体として出していた累にとっては少し違和感を感じるところだったが、これが店の方針ならそれに従うしかないと思っているようだ。
 そんな彼女の心を彼は知っているように、彼女にいう。
「今から芋が美味いよな。」
「えぇ。」
「ケーキのプレートも、スイートポテトとかがあるといいんだがな。」
 こういうところは心が通じている。仕事をする相手としてはとてもやりやすいのかもしれない。彼女は包丁を置くと、彼の方をみる。すると彼も少し微笑んで、彼女の頭に手を添えた。そして軽く唇を重ねる。
 一瞬のことだった。
「手付けしたから、続きは今夜だな。」
「隆さん。」
「どうした。」
「性欲強い方ですか。」
 その言葉に彼は思わず笑った。
「どうだろうな。他の奴と比べたことなんかない。そんな話もしたことがないな。」
 そういって彼は彼女から離れて、しまっておいた生ハムの原木を取り出したそのときキッチンのドアがノックされた。
「はい。」
「仕込み中悪いな。」
 入ってきたのは彩だった。
「どうしました?」
 隆はあまり話したくないだろうと、累が手を止めて彼の方を向く。
「予約が入ったんだ。十名様。八時に見えられるそうだ。」
「メニュー決まってますか。」
「二次会らしいから、つまみ程度とデザートだね。」
「詳しいメニューは決まってませんね。わかりました。それらしいものを仕込んでおきます。」
 すると彩は彼女の頭をぽんと撫でる。
「頼んだよ。」
 彩がドアを閉めたとたん、隆は彼女の方へ足を進める。そして背中から抱きしめた。
「累。」
「何ですか?」
「わかっていたんだけどな。実際目にするとクるものがあるな。」
 そして彼は彼女の手に手を重ねた。
「早く終わればいい。」
「忙しいですよ。」
「忙しい方がいい。早く終わるだろう。」

 ところが予想外のことが起きた。八時に来るといっていた十名様の客は、つまみと酒だけではなかったのだ。
「がっつり食事だな。」
 隆はそういってため息を付いた。どうやら昼のランチをして、夜の食事も食べてみたいと思った主婦の団体らしい。
「デザートは仕込んであります。足りないものはありますか。」
「鶏肉が足りないかもしれない。流水解凍しよう。」
「了解です。」
 累はそれを聞いて、キッチンの外に出ていった。そして外に置いていた冷凍庫から、ブロック上になっていた鶏もも肉を取り出す。
 キッチンに戻ると、それを水道の下に置いて蛇口をひねる。あまり時間をかけずに解凍が出来るのだ。
「それが終わったらソースの追加をしてくれ。トマトは足りるか?」
「はい。一応用意はしてます。」
「累。パスタを上げてくれ。」
 予想外ではあったが、何とかオーダーをこなした。最後にはデザートまでしっかり食べた主婦たちは、満足そうだった。
「美味しかった。」
「お酒も料理も良いわね。」
「ありがとうございます。」
 そして始まった彩の演奏するライブの音に、もう一杯の酒を追加していた。
 キッチンではやっと落ち着いて、累はため息を付いた。
「やっと落ち着きましたね。」
「どうなることかと思ったがな。」
 残ったのは汚れた大量の皿と、キッチン用品だった。それらに累は手を着けようとしたときだった。
「累。先に休憩行っていい。」
「え……でも……。」
「良いから。彩が演奏している。お前、聴いたこと無かっただろう?いつも外に出てるからな。」
 覗き窓を見ると確かに彩が演奏していた。しかしなぜそんなことを急にいうのだろう。
「どうしてですか?」
「あいつに不信に思われたらまずいだろう?それから……本当に今日お前の部屋に来ないのか確かめてこい。」
 本音はおそらく後者。彼にも後ろめたさがあるのだ。
「わかりました。」
「何か食うか?」
「いいえ。水だけで。」
 そういって彼女は、部屋を出ていった。隆はその後ろ姿を見て、またオーダーの伝票に目を通す。
 累は二階席のカウンター席に座る。するとその向こうにはオーナーの姿があった。
「珍しいな。ここに座るの。」
「たまには聴いた方が良いと。」
「あぁ。隆だろう?あいつ変なところで気が利くな。何か飲むか?奢ってやるよ。」
「せっかくですけど、水だけで。」
「何だ。せっかく気分いいのに。酒は飲めないのか。」
「えぇ。飲んだことがなくて。」
 彩はステージでこの土地特有の楽器を器用に弾いている。弦楽器で、変わった形をしていた。その音は、他のドラムやギターの音とよく合っていて、ジャンルはジャズになるのだろうか。
 音楽には無頓着な彼女には、よくわからなかった。
 だがステージにいる彩は、髪がきらきらと光っていてまるで妖精のようだと思う。
 やがてステージが終わり、メンバーは一礼した。
「次のステージは彩はいないからなぁ。帰る客がいるかもしれないな。」
「え?居ないんですか?」
「あいつは一応ここでバーテンもしてもらっているけど、声がかかれば他のライブハウスへ行くこともある。今日は花街の方に行くらしい。馴染みの客が居るとかっていってたか。」
「……そうですか。」
「まぁ、あれだ。アーティストなんてのは、そんなものなんだろう。累。気にするな。」
「はぁ……。」
 何を誤解しているのか知らないが、やはり彩は今日、彼女の家には来ない。それは確かだった。
 そのとき、彩が楽器を持ったまま階段を上がってきた。
「累。居たのか。」
「先ほど休憩に。」
「珍しいね。ここにいるのって。あぁ、累。」
 すると彩は彼女の耳元で囁く。
「今日は行けない。大人しくしてれる?」
「……どういう意味ですか?」
「ううん。何でもないよ。」
 彼は何か気が付いているのだろうか。そうだとしたら、今日する事は今日限りだ。賽の目は誤魔化せないのだから。
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