テロリストと兵士

神崎

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 累と隆が海辺から離れ、彩の前から去っていく。その後ろ姿は藍といた累と何も変わりはない。こんなはずではなかったと彩は後悔していた。
 累にとってつけたような感情を付けたと、累のデータをみたときに思った。そして彼女は思ったとおり、ポンコツのようだと思っていたのだ。そのとおりに彼女は体だけが反応して、言われたことをただ淡々とこなしているような気がしていた。
 料理もセックスも殺しも一緒だ。彼女が望んだことは一度もない。ヒューマノイドなのだから、自分のものなのだからそれで良いと思っていた。
 だが彼女は初めて自分の意志を持った。藍の代わりかもしれないが、隆を選んだのだ。隆を選んだのも皮肉だと思う。彼もまた藍と同じ立場なのだから。

 目を覚ますと、いい匂いがした。その匂いに藍は驚いたようにベッドから飛び起きる。そこは自分の部屋だった。
 いい匂いがするが、そこには誰もいない。
「……。」
 ミニキッチンへ向かうと、そこに匂いの原因があった。鍋の中に具だくさんのスープと紙袋に入ったパンがあったのだ。
「誰が……。」
 するとドアをノックする音がした。彼は鍋に蓋をすると、部屋のドアを開ける。
「お。起きたか。」
「竜。」
「空きっ腹に酒なんか入れるからだろ?夕べは随分酔ってたな。」
「あぁ。そうだった。」
 花街へ薔薇という薬の話を聞こうと、少し行ってみたのだ。そこで用心棒仲間と会い、酒を飲みながら話を聞いているうちに寝てしまったらしい。
「不覚だな。」
「頼むぜ。赤の側近さんよ。」
「わかってるって。それより、ここは誰か来たのか。」
「あぁ。あれ、緑の……。」
「緑称の奥さんか?」
「そうそう。でも愛人だっけ?」
「鈴が来ていたのか。」
「子供連れてさ。良い女だな。藍、あんな女に目を向ければいい。忘れられるだろ?」
 竜はまだ累を引きずっている藍を心配していたのだ。だから一緒にいる鈴とひっつけばいいと思っている。そうすれば、心おきなく鼠を潰せるだろう。
「よしておく。称に恨み殺されるから。」
「死んだ奴が何が出来る。」
 笑っている竜の声が、頭を痛くさせた。
「とりあえず礼だけはしておけよ。」
「あぁ。そうだな。」
 そういって竜は部屋のドアを閉めた。そして自分の部屋に戻ろうとしたとき、玄関から帰ってきた舞を見つける。今の今まで仕事をしていたのだろうか。
「あー朝は寒くなったわねぇ。」
「舞。今まで仕事か?」
「そうよ。働き者でしょ?」
 おどけたように彼女は言う。
「朝までのロング。二人で相手して、そのあと相方とご飯食べてきたのよ。」
「元気だな。」
 彼は笑い、部屋に戻ろうとした。するとその上からもう一人の男が降りてきた。
「あー。ねみぃ。」
 このアパートの最上階に住む男。赤の第三兵隊の中でも正式な兵士ではなく、本業はあくまで画家だと言い張っていた。
「信。また寝ていないのか。」
「どっかのレストランに置く絵を描いて欲しいんだとさ。」
 彼は少し笑い、煙草に火をつける。
「舞。今帰ったの?コーヒー入れてよ。」
「冗談。あたしは寝るわ。夕べ寝てないの。」
「舞のコーヒー美味しいじゃん。みんなで飲もう。」
 人と混ざることを嫌うくせに、人を扱うのがうまい。舞も口では文句を言いながらもまんざらでは無さそうだ。
「藍は?」
「今起きたみたいだな。」
「階下がウルサくてさ。女か子供かのうるせぇ声。」
「緑称殿の愛人が来ていたようだな。」
「へぇ。じゃあ今度は愛人に手を出してんの?女っ気がないって思ったら、たかが外れたみたいだな。」
「そうだったらいいんだけどな。」
 竜の口調では時間の問題だ。そういう風にとれる。
「でもちらっとみた藍が惚れてたヒューマノイド。」
「累のことか。」
「いい体してたな。デッサンのモデルになってくれないかな。」
 その答えに竜は苦笑いを浮かべた。
「そうか?女ってのはもっと出るとこ出て、バンバンって感じが良いと思ってたけど。」
「竜はそんなんがいいの?女だったら確かにそういうのも有りかもな。でも女でも男でもないし、理想的な体だと思うけどな。」
 細い体に適度に付いた筋肉。そしてその上を覆うようについた薄い脂肪。無駄なものはいっさい無い体は、理想的だった。
「一度お目にかかりたいものだ。」
「よせよせ。藍が怒り狂うぞ。」
「おー。こわっ。」
 冗談のように彼は言うと、階段の上でドアが開く音がした。藍が降りてきたのだ。
「あー。頭いてぇ。」
「飲み過ぎたんだろ?自業自得。」
 煙草を消して、信は口元だけで笑う。
「信。これやる。」
 そういって藍は彼に紙袋に入ったパンを渡した。
「部屋にスープもあるから、勝手に飲んで良いから。」
「おい。そいつは……。」
「二日酔いに何考えてるんだ。あいつは。」
 ため息を付くと、藍は外に出ようとした。そのとき二階から舞が降りてくる。
「コーヒー入ったわよ。藍も、コーヒーなら飲めるでしょ?それから薬いる?」
「二日酔いの薬?」
「そ。あたしも歳もしれないけど、酒がとれないときがあるのよ。そのときばっちり効くヤツがあるから。」
「鬱金?」
「まぁね。がたがた言わずに飲みなさいな。」
 そして舞は三人を引きずるように連れて行き、コーヒーを入れる。ほかの部屋とはあまり変わらないくらいの広さしかないのに、衣装であふれそうな部屋だと思った。
「これよ。」
 黄色の粉状の薬は、独特な匂いがした。
「マジで鬱金か?」
「あら。良くわかったわね。それ飲んで、コーヒー入れるわ。」
 ベッドに腰掛けた藍は苦々しい顔で、それを飲む。そしてため息を付いた。
「で、昨日何かわかったの?」
 信が聞いて、彼は首をかく。
「薔薇の出所は、黄の国で間違いないだろう。今は国交を断絶しているが、この国の住人のふりをして涼しい顔をしているヤツがいるからな。」
「言葉や習慣が違っても、顔立ちは似てるものね。言葉さえクリアできれば、この国に密航することなんか簡単だわ。」
 ミルクと砂糖を入れて、舞は竜にカップを渡す。
「竜。IDを偽造しているヤツを調べることは?」
「この国はIDを偽造しているヤツも結構多いからな。時間かかるぞ。」
 コーヒーを受け取った信はそれを口にして、少し笑う。
「だったら言葉を聞けば良いんだよ。」
「言葉?」
「黄の国の言葉には違和感がある。すらすらとしゃべっているようでも、濁音に違和感があったりするから。」
「けど、俺は無駄だと思うよ。」
 信はベッドに座り、藍をみる。藍よりも遙かに背が低い信にとって、見上げるくらいだろう。
「どうしてだ。」
「……国家をあげて、鼠退治しているわけには鼠を見たってのに、捕まえようともしないんだもんね。あぁ。恋人だったから捕まえきれないの?」
「信。やめなさい。」
 その言葉に藍はコーヒーを飲むと、彼をにらみ下ろす。だが彼は怖いとも何とも思っていないらしい。
「累を見ることはない。「旬食」もずっと閉店状態だし……。」
「出来るわけ無いじゃん。」
「信、やめなさいって。」
「あんなところで店してたら、捕まえてくださいって言ってるようなもんじゃん。どっか国外逃亡してるよ。」
「それはない。この間鼠の犯行があったばかりだ。それにあの店の名義は、まだ男の名義からはずされていない。」
「男?女じゃないの?」
「彩と言ったか。紫練殿のお気に入りらしい。」
「ますます甘い国家だ。」
 コーヒーを飲み干すと、信は立ち上がった。
「ごちそうさん。目が覚めたよ。」
「信はどこかへ行くの?」
「言ったじゃん。作品の納品。なんかカフェだったか、レストランだったか。そこにね。」
 はっきりしない答えに、舞は苦笑いをした。
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