テロリストと兵士

神崎

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 教会にはいると妙な匂いがした。累はその匂いを向かしかいだことがある。それは彩と紫練が密会していた「立春荘」だったと思う。
 満月の夜。街の寺院でも、教会でも、もちろん城の中にある教会でも同じように信者は祈りを捧げる。
 だがその目はどこか遠くを見ているような、目の焦点が合っていないような気がした。もしかしてその匂いのせいかもしれない。
 そう思った累はマスクですぐに鼻と口をふさいだ。そして気配を消して、闇に紛れる。ろうそくの明かりしかない薄暗い教会ではそれは簡単だったのかもしれない。足音を消し、息を潜める。そしてじりじりと周りを探る。
「姫様のお言葉です。皆心して聞くように。」
 紫練の家臣であろう、緑色の僧衣を着た男が恭しく紙を取り出す。

 人を惑わすモノは消える。
 狂人は更正できずに深い眠りを強いられる。
 絶望の中で希望の光は北の地にある。
 そして人々は歓喜の歌を歌う。

 四行詩というわけだ。おそらく人を惑わすモノは、薔薇のことだろう。そしてそれに狂ったモノは、死ぬというわけだ。
 北の地に希望の光。歓喜の歌というのはよくわからないがおそらく大団円になるということだろうか。
 どこか腑に落ちない。彼女はそう思いながらその周りを探る。
「……?」
 おそらく裏手だ。体を進ませ、舞台脇のドアをくぐる。するとすぐに地下へ行く階段と、上に上る階段が見えた。上に行く階段は下手側にもあり、おそらくそこで混ざっているのだろう。
 姫というのは地下にいると聞いた。彼女はその地下の階段を下る。

「それで?何だ。」
 累は震える手を自分で握ると、また言葉を続けた。
「……地下には女性がいました。おそらくヒューマノイドでしょう。メイドの格好をしていましたから。しかし表情はなく、淡々と仕事をしていたように見えました。」
 姫という人はその奥。そこにいるようで、そのヒューマノイドはそこへ行ったり来たりしていた。だが少しするとメイドはいなくなり、そこは暗い空間だけが広がった。
 彼女はそこに近づき、ドアノブに手をかける。そのときだった。口を塞がれた。そこから意識が無く、気がついたら藍とキスをしていたのだという。
「……誰だったんだ。口を塞いだのは。」
「わかりません。ただ……男性だったように思えます。」
「どうして?」
「手の大きさと感覚です。まるで戦士のような……そんな手でした。しかもかなり手練れの方です。」
 気配を消していた彼女に近づき、口を塞ぐ。さらに彼女はそこから意識をとられた。並のことではそんなことは出来ないだろう。戦闘用のヒューマノイドであれば、あらゆる毒にも強く出来ているようになっているのだから。
「……俺の手とどうだ?」
 僧衣って藍は隣に座って、彼女に手を見せる。確かに大きな手だ。剣を持つ手にタコができている。それにとても皮も厚い。
 だが彼女は首を横に振る。
「いいえ。そんな感じではないんです。」
「どんな感じだ。」
「柔らかい手です。」
 意外な答えだった。本当に男だったのだろうか。しかし彼女の後ろを気配を消して近づけるような男。そんな奴がいるのだろうか。
「……。」
 思っていたことがある。だがこの場で言う気はない。
「気分は?」
「落ち着きました。そろそろ帰ります。おそらくもう集会が終わる時間でしょうから。」
「送る。」
「いいえ。大丈夫。」
 これ以上近づかれたくない。意識がなかったとはいえ、彼を誘うような行動をしてしまったのだ。
「累。」
「……隆が……待ってますから。」
 そのとき藍の部屋のドアをノックする音が聞こえた。彼女は驚いて彼を見上げる。
「待ってろ。」
 彼はそう言って席を立つと、ドアを開いた。体で中までは見せないようにしているのだろう。
「誰だ……。あぁ。どうしました?わざわざこんなところに。」
 すぐに敬語になった。おそらく年上か、位の高いものなのだろう。
「えぇ。ありがとうございます。いや。俺は信仰心がないのでね。参考程度にしておきますよ。」
 彼はドアを閉めると、また累の隣に座る。そしてその上質な紙に書かれた四行詩を見せる。
「これか?例の四行詩は。」
 四行詩を見ると、彼女は少し首を傾げた。
「違う。」
「え?」
「最初の二行はあってますが、最後が違います。」

 人を惑わすモノは消える。
 狂人は更正できずに永い眠りを強いられる。
 一つの人形は壊れ、もう一つの人形は二つの星と共に北を目指す。
 赤い目の人形は、そこで眠りを強いられる。

 赤い目の人形。それはおそらく累のことだろう。そこで死ぬのかもしれない。
「姫と言っていたか。」
 藍はそう言って紙をテーブルに置く。
「はい。」
「姫というのは、俺もよくわからない。ただ、あの教会の地下で予言をしているという話は聞いたことがある。」
「予言?」
「百%当たるらしい。満月の晩から、満月の晩まで。」
「こっちが本物でしょうか。」
「都合の悪いことは書き換えている可能性はある。人形というのはおそらくヒューマノイドだ。」
「……やはり……私以外のヒューマノイドがいたのですね。」
 彼女はそう言って拳を握る。
「死ぬのはそいつか、お前か。」
「どちらにしても死ぬのでしょう。赤目の人形は深い眠りを強いられる。おそらくこれは、死ぬことでしょう。」
「いいや。違う。」
 首を横に振り、彼はその文字に指をふれる。
「一つは壊れる。一つは北を目指す。壊れるというのがおそらく死ぬことだ。ということは「眠り」は死ではない。」
 真剣な顔をしている累をあざ笑うように、その紙を手に取った彼はくしゃっと紙を丸めた。
「え?」
「俺は占いなんて信じなくてな。」
「……。」
「百%当たる?馬鹿にしてるなと思う。」
「どうしてですか?」
「運命なんてこの占った「姫」の手で切り開かれるんじゃない。自分の手で切り開くものだ。俺は自分のやりたいことをやる。」
 その言葉に彼女は少し笑った。
「そうですね。……なんだか気分まで暗くなってました。ありがとうございます。藍さん。」
 笑顔は久しぶりにみる。いつも難しそうな顔をしていると思っていたからだ。
「累。」
 今すぐ引き寄せたい。だがそれは出来ないだろう。手が宙を泳ぐ。
「そろそろ行きます。先ほどの方はまだいるのでしょうか。」
 ソファを立とうとした彼女の手を思わず掴んだ。その行動に彼女は驚いたように彼をみる。
「何……。」
「累。もう少し居ろ。」
 すると彼女は首を横に振る。
「……駄目です。隆が待ってますから。」
「薬の影響があるかもしれない。せめてもう少し居たらどうだ。それか……送るから。」
「一人で大丈夫です。」
「累。」
「大丈夫ですから。」
 これ以上居たら駄目だ。手をふりほどこうとした。しかしふりほどけない。力では藍の方が勝るらしい。
「いいから、ここに居ろ。」
 すると彼は彼女を無理矢理ソファに座らせ、仕事机に近づく。そして引き出しから、袋を取り出した。
「これを口に入れろ。」
「何ですか?」
「ビタミンが入っている。甘いが我慢しろ。薬が抜けるのが早くなるから。」
「……。」
「それとも食わせてやらないと食えないか?」
「いいえ。」
 そう言って彼女はその袋を破り、口の中に入れた。甘酸っぱい味がする。それと同時にまた襲われるかもしれないと思っていた自分が恥ずかしい。
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