夜の声

神崎

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一年目

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 午後からは応援合戦。チアや学ランを着た生徒が華やかに応援をする。
 私は応援席に戻ってきて、競技を友達なんかと見ていた。向日葵は体育祭の実行委員として、午後からは忙しく動かないといけないらしい。
 グラウンドの中にはもう柊さんや棗さんの姿はない。自分たちの仕事に戻ったのかもしれないな。寂しいと思う。だけど唇の感触や、力強く抱きしめてくれた力を私は忘れないように時々思い出していた。
「あ。次、騎馬戦だね。」
「早いなぁ。もうあと競技二つか。」
 騎馬戦のあと、学年対抗のリレーで幕を閉じる。なんと言っても騎馬戦は男子の競技の中では花形だ。一年から三年まで入り交じった巴戦で、女子は入れない男の世界は喧嘩っ早い人が多く出るので、竹彦が出ると言いだしたときは、ちょっと意外だと思った。
 入場してきた男子たちに、女子は黄色い声援を送っている。そうか。竹彦は上になるんだ。まぁそうだろうな。軽そうだもん。でもすぐはちまき取られそうだ。
「ねー、桜知ってる?あのはちまきってさ、意味があるの。」
「あ、なんか聞いたことある。」
 なんかあった。でもそれは今の私にはあまり関係ないよな。
 でも……。
「……。」
 何となく気になる。竹彦の目。血の通っていない目。見覚えがある。
 やがて太鼓の音が鳴り、男子たちは叫び声をあげながら向かっていく。制限時間は十五分。それまでに騎手が落ちたり、はちまきを取られたら大人しく下がらないといけないのだけど、うーん、こうして見てると、竹彦よく逃げてるよな。うまく生き残ってる。
 ひょい、ひょいと身軽なものだ。まるでいじめられていた春とは全く別人のようだった。
「あっ……。」
 残り五分。残るは五基。その中に竹彦たちの馬がいる。残りは二年が二基。三年が二基。一年が一基。多分、三年にしてみれば最後だから、勝ちたいと思っているのかもしれない。一基が竹彦たちの後ろから責め、拳を繰り出そうとしていたのだ。
「やばい!」
 私は思わず叫んでいた。しかしその心配は無用だった。
 竹彦は振り返って、その拳を手のひらで受け止めた。
「暴力ですか?先輩。」

 ぞくっ。

 寒気がした。その目を私は知っている。どこで……。あっ。
 そうだ。出会った頃の柊さんの目だ。冷たくて、寒気のするような視線。
「そこっ!何をしている!失格にするぞ。」
 体育教官が近づき、私は我に返った。結局その暴力をしようとした三年は失格になり、はちまきは竹彦の手に渡った。
「すごいね。まるで背中に目があるみたいだった。竹彦君。あんな事も出来るんだね。」
 友達はそう脳天気に言っていたけど、私はそれどころじゃなかった。
 どうして竹彦と柊さんが重なって見えたの?しかもあのときの……。
「桜。どうしたの?ぼんやりして。」
 友達に言われて、私は少し笑う。
「疲れちゃったのかな。」
「三日間だもんね。大丈夫。明日休みだしゆっくりしようよ。あ、それからさ、打ち上げがあるらしいよ。」
 友達がそういっている間に、騎馬戦は終わった。結局二年の騎馬が二基とも残り、竹彦の馬は四本はちまきを手にしていた。その成果に、馬になっていた匠も竹彦を労っている。春には想像が出来なかった風景だと思った。
 だけどその風景を眺めながら、私は背伸びをして立ち上がった。
「桜、どっか行くの?」
「トイレ。」
「そう。もうすぐリレーだよ。」
「それまでには戻るから。」
 そういって応援席を離れた。そして校舎の中に入っていく。靴箱を抜けてすぐのトイレにはいり個室のガキをかけた瞬間、私は胃の中のものを全部戻してしまった。
 ずっと胃がムカムカしていた。それはきっと竹彦の姿を見たから。
 竹彦は……何者なんだろう。あんなに血の通わない目をしているなんて。冷たい目をしているなんて。思っても見なかった。
 吐いたものを流して個室を出ると、手を洗い、そのまま口を濯いだ。そして鏡を見る。顔色が悪い。青白くてクマが出来ていた。戻したから当たり前なんだろうけど。
 早く。早く終わらないだろうか。
 トイレから出てきた時、靴箱に竹彦と匠がいて何か話していた。手にははちまきが握られている。思わず私は身を隠してしまった。
「そのはちまき、あいつにあげるのか。」
 匠の問いに竹彦は小声で言う。
「うん。」
 そう、この学校では騎馬戦は男子の花形競技。取ったはちまきは、好きな女子にあげて、気持ちを伝えるという習慣がある。だから本数は最大四本取れば皆に行き渡るのだ。そして今日、竹彦も四本持っている。
 どうやらその家の一本を匠にあげている途中だったらしいのだ。
「もうやめればいいのに。」
「どうして?」
「あいつの彼氏って……あいつだろ?やばい奴だ。」
「知ってるよ。」
「お前も知っているのか。」
 何を知っているって言うの?鼓動が早くなる。そして握っている手が汗ばんできた。
「坂本組の子飼いの男。凄腕の鉄砲玉。」
「ヤクザじゃねぇか。」
「正確にはヤクザであった時期もないみたいだけどね。契りも交わしていない。それに今は手も切れている普通の人だ。」
「そんなの本当の話かもわかんねぇよ。」
「多分本当だよ。実際、蓬さんはまだあの人を捜している。どうやら北の高杉組との抗争が激しくなりかけているんだ。」
「……。」
「坂本組の分家なのに、こんなに力を持ったのはあの人の力もある。主たる敵対する若頭衆の周辺を綺麗にしたのは彼の力もあったらしいからね。」
「……全ては蓬さんの思惑通りってわけだ。」
「だからまた蓬さんは彼を欲しがっている。まぁ、僕も母親から聞いた話だけだけどね。」
「お前の母親まだ蓬さんと繋がりがあるのか。」
「昔の繋がりだけだよ。葬儀屋とは仲良くしていないといけないらしいからね。」
 鼓動が止まらない。重要なことを聞いた気がしたから。タオルを握りなおして、私は思わず座り込んだ。
「でも今日のお前はちょっと異常だった。」
「……。」
「まるで蓬さんが乗り移ったのかと思った。」
「やめてよ。あんなやくざ、僕のことも覚えてなかったよ。愛人の息子なんか興味ないんだろうな。で、これ、いるの?」
「あぁ。もらっとく。あー。麻里にやらないといけないんだろうな。めんどくせえ女。まぁ、お前が狙ってる女に比べれば楽だろうけど。」
 そういって彼らはグラウンドに戻っていった。そして私も外に出ていく。
 蓬さんは自分の組と自分の保身のために柊さんを利用した。そしてその蓬さんの息子が……竹彦だって言うの?
「次は最後の競技です。」
 アナウンスが聞こえる。でも私の胃のむかつきは止まらなかった。靴箱へ行き、靴を履いた。そして外に出る。日差しが降り注ぎ、肌を焼く。
 それよりも……。足が踏み出せない。私は座り込み、その遠くのグラウンドを見ていた。
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