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二年目
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お風呂に入って部屋に戻る。そして自分の勉強机の上を見た。そこには公務員になるための問題集が置かれている。それに手を伸ばした。
ことがあればいつも開いていたが、最近は開いていない。もう無理だとわかったから。
でも諦めるんだろうか。諦めきれるんだろうか。
確かに公務員になりたいとは思っていたけれど、私は公務員の何がしたいんだろう。市役所?施設?ううん。何をしたいのかわからない。
ベッドに腰掛けて、竹彦のことを思いだした。そして携帯電話を手にする。竹彦の連絡先は消されていない。竹彦からの連絡もない。連絡をするなといわれているのか、それともあえてしないようにしているのか。
早くに道を決めてしまった竹彦。それも私のためだと言っていた。それでも私は決して彼に振り向くことはない。それがわかっていても、彼はそれをする。あの白くて華奢なあの肩に、椿の刺青を彫るのだろう。
時計を見るともう椿さんのラジオが始まっていた。あわててラジオをつける。するとゆったりした女性の声の歌が流れる。きっとレゲエというジャンルだろう。
そして椿さんの低い声が聞こえてくる。椿さんの声は相変わらず、私の心に染み込んでいくようだった。
”過去は変えられません。しかし未来は今からです。いくらでも変えることは出来るのです。どの選択肢を選んでも、後悔のない選択をしてください。”
珍しく突き放すような言葉だった。だけどその通りだと思う。
ラジオ番組が終わると、私は携帯電話を手にした。そしてメッセージを送る。
”元気にしている?”
するとメッセージはすぐに返ってきた。
”どうしたの?急に。何かあった?”
”向日葵があなたを見たと言ってた。変わっている容姿に、すごく驚いていた。”
携帯電話をおいて、私は外を見る。夜の闇はどんどんと深くなっていく。
しばらくして、携帯電話の着信音がなった。そちらを見ると、そこには竹彦の名前があった。電話を取ってみる。
「もしもし。」
「外、出れる?」
「いるの?」
「うん。」
「ちょっと待ってて。」
私は携帯電話だけを手にして、外に出た。すると駐車場の真ん中に、竹彦がいた。確かに背が伸びていて、別人のようだった。
「竹彦君。」
「君から連絡がくると思ってなかったな。」
よく見ると髪も金色だったし、耳のピアスもじゃらじゃらとついている。
「……竹彦君。私ね、公務員を目指していたの。」
「知ってる。」
「でも……一般企業の就職を決めたの。」
「……どうしてやめたの?」
「恥ずかしくて。」
「何が恥ずかしいんだ。」
「……公務員って安定しているから選んだだけなの。公務員で何をしたいかなんて何も考えてなかった。この町に愛着があるわけでもないしね。」
彼は少し微笑んで、私を見下ろした。
「君が好きなのはきっとあの人と、それからコーヒーじゃないのかって思ってたよ。」
「コーヒー?」
「コーヒーが好きでコーヒーを入れる人には興味がないって、だいぶ悲しいね。」
葵さんのこと?でも私は……一度……。
「でも、君は綺麗になった。」
「え?」
「何ヶ月か会っていないだけなのに。こんなに綺麗になるんだね。女の人は。」
「あなたも変わったわ。背、伸びたね。」
「うん。道場でさ、体鍛えてると関節が痛くなってね。あっという間に伸びた。声も変わっただろ?」
「そうね。かすれてる。」
「変声期。やっと来たらしい。もう女装は出来ないかな。」
「好きなんでしょ?だったらやればいいわ。あなたが言ったことよ。」
「そうだね。」
彼は少し照れたように私を見る。
「君のこともまだ忘れられない。」
「ごめんなさい。それは答えられない。」
「……知ってる。蓬さんから聞いたよ。」
「……蓬さんが?」
「まだ狙ってる。気をつけて。君も、彼も。」
私はうなずくと、彼は携帯電話を取り出した。何か呼び出しがあったのかもしれない。
「もう行くね。」
「ごめんなさい。メッセージ。」
「いいんだ。いつでも送ってくれて大丈夫だから。アドレスも、番号も変える気はない。」
「そう。」
軽く手を振り、彼は行ってしまった。背が高くなり、その後ろ姿はもうひょろひょろしていないし、頼りなくもなかった。動機は不純かもしれないけれど、彼は彼の道をしっかり歩いている。
私はどうなんだろう。すぐに諦めてしまった公務員の道。自分が恥ずかしい。
そう思いながら、アパートへ戻ろうとした。その中に入っていこうとしたとき、そこには茅さんがいる。彼はタンクトップとジーパンという姿だったから、派手な刺青が見えていた。
「聞いてたんですか。」
「煙草でも買いに行こうと思ったら聞こえたんだよ。」
「……そうですか。」
「進んで椿になろうなんて、変わった奴だ。お前のためか。」
「それ以上は話せません。彼のためにも。」
「似てる奴だ。」
「誰に?」
「蓬さんに。それから……奴にも似てる。」
「奴?」
「お前には関係ない奴だ。」
すると彼は私の横をすり抜けて、出て行った。
彼の言う「奴」とはきっと柊さんのことだろう。だけど茅さんから発せられる、柊さんは悪意しか感じない。
ことがあればいつも開いていたが、最近は開いていない。もう無理だとわかったから。
でも諦めるんだろうか。諦めきれるんだろうか。
確かに公務員になりたいとは思っていたけれど、私は公務員の何がしたいんだろう。市役所?施設?ううん。何をしたいのかわからない。
ベッドに腰掛けて、竹彦のことを思いだした。そして携帯電話を手にする。竹彦の連絡先は消されていない。竹彦からの連絡もない。連絡をするなといわれているのか、それともあえてしないようにしているのか。
早くに道を決めてしまった竹彦。それも私のためだと言っていた。それでも私は決して彼に振り向くことはない。それがわかっていても、彼はそれをする。あの白くて華奢なあの肩に、椿の刺青を彫るのだろう。
時計を見るともう椿さんのラジオが始まっていた。あわててラジオをつける。するとゆったりした女性の声の歌が流れる。きっとレゲエというジャンルだろう。
そして椿さんの低い声が聞こえてくる。椿さんの声は相変わらず、私の心に染み込んでいくようだった。
”過去は変えられません。しかし未来は今からです。いくらでも変えることは出来るのです。どの選択肢を選んでも、後悔のない選択をしてください。”
珍しく突き放すような言葉だった。だけどその通りだと思う。
ラジオ番組が終わると、私は携帯電話を手にした。そしてメッセージを送る。
”元気にしている?”
するとメッセージはすぐに返ってきた。
”どうしたの?急に。何かあった?”
”向日葵があなたを見たと言ってた。変わっている容姿に、すごく驚いていた。”
携帯電話をおいて、私は外を見る。夜の闇はどんどんと深くなっていく。
しばらくして、携帯電話の着信音がなった。そちらを見ると、そこには竹彦の名前があった。電話を取ってみる。
「もしもし。」
「外、出れる?」
「いるの?」
「うん。」
「ちょっと待ってて。」
私は携帯電話だけを手にして、外に出た。すると駐車場の真ん中に、竹彦がいた。確かに背が伸びていて、別人のようだった。
「竹彦君。」
「君から連絡がくると思ってなかったな。」
よく見ると髪も金色だったし、耳のピアスもじゃらじゃらとついている。
「……竹彦君。私ね、公務員を目指していたの。」
「知ってる。」
「でも……一般企業の就職を決めたの。」
「……どうしてやめたの?」
「恥ずかしくて。」
「何が恥ずかしいんだ。」
「……公務員って安定しているから選んだだけなの。公務員で何をしたいかなんて何も考えてなかった。この町に愛着があるわけでもないしね。」
彼は少し微笑んで、私を見下ろした。
「君が好きなのはきっとあの人と、それからコーヒーじゃないのかって思ってたよ。」
「コーヒー?」
「コーヒーが好きでコーヒーを入れる人には興味がないって、だいぶ悲しいね。」
葵さんのこと?でも私は……一度……。
「でも、君は綺麗になった。」
「え?」
「何ヶ月か会っていないだけなのに。こんなに綺麗になるんだね。女の人は。」
「あなたも変わったわ。背、伸びたね。」
「うん。道場でさ、体鍛えてると関節が痛くなってね。あっという間に伸びた。声も変わっただろ?」
「そうね。かすれてる。」
「変声期。やっと来たらしい。もう女装は出来ないかな。」
「好きなんでしょ?だったらやればいいわ。あなたが言ったことよ。」
「そうだね。」
彼は少し照れたように私を見る。
「君のこともまだ忘れられない。」
「ごめんなさい。それは答えられない。」
「……知ってる。蓬さんから聞いたよ。」
「……蓬さんが?」
「まだ狙ってる。気をつけて。君も、彼も。」
私はうなずくと、彼は携帯電話を取り出した。何か呼び出しがあったのかもしれない。
「もう行くね。」
「ごめんなさい。メッセージ。」
「いいんだ。いつでも送ってくれて大丈夫だから。アドレスも、番号も変える気はない。」
「そう。」
軽く手を振り、彼は行ってしまった。背が高くなり、その後ろ姿はもうひょろひょろしていないし、頼りなくもなかった。動機は不純かもしれないけれど、彼は彼の道をしっかり歩いている。
私はどうなんだろう。すぐに諦めてしまった公務員の道。自分が恥ずかしい。
そう思いながら、アパートへ戻ろうとした。その中に入っていこうとしたとき、そこには茅さんがいる。彼はタンクトップとジーパンという姿だったから、派手な刺青が見えていた。
「聞いてたんですか。」
「煙草でも買いに行こうと思ったら聞こえたんだよ。」
「……そうですか。」
「進んで椿になろうなんて、変わった奴だ。お前のためか。」
「それ以上は話せません。彼のためにも。」
「似てる奴だ。」
「誰に?」
「蓬さんに。それから……奴にも似てる。」
「奴?」
「お前には関係ない奴だ。」
すると彼は私の横をすり抜けて、出て行った。
彼の言う「奴」とはきっと柊さんのことだろう。だけど茅さんから発せられる、柊さんは悪意しか感じない。
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