遠くて近い 近くて遠い

神崎

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自力 で 脱出

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 こうしている間にも私を抱きしめる片腕の力が強くなる。そしてコートのボタンをどんどんと外される。きっと次はスーツのボタンだ。
 山口さんではないこの腕は誰なのかなど、今はどうでもいい。どうすれば起死回生の一手を打つことが出来るだろう。
「あっ!」
 耳にぬめりとした生温かい感触が伝わってくる。それがなんなのかわかった。
「耳、弱いのか。それは是非攻めなければ。」
 スーツのボタンすら手に掛けられたら終わりだ。
 そのとき入り口のドアの向こうから音がした。それはこのドアを開けようとする音だった。
「誰か来ているのか。」
 そのとき一瞬腕の力が緩んだ。今だ。
 膝を折り、コートから腕を外す。そしてコートをそのまま下から脱ぐと扉に近づき、ドアを開ける。
 そこには警備員さんがいた。
「すいません。お騒がせしました。」
 私の表情が必死だったのかもしれない。でもそんなことかまっていられない。そのまま廊下を走り、エレベーターに乗り込む。その後ろを山口さんらしき人も追いかけてきた。しかし彼が乗り込もうとする直前にドアは閉まった。
「早く。」
 エレベーターは上昇し、そして一階にたどり着く。開いた瞬間に走り出し、裏口へ向かう。表通りまで出れば追いかけてはこないだろう。
 やっと裏口から出て、扉を閉める。そのときだった。
「追いかけっこはまだまだだね。」
 振り返ると、そこには山口さんの姿があった。
「何で……。」
 山口さんが手を伸ばして、私を再び捕まえようとしたときだった。
「近づかないで!」
 その手を振り払った。するとその手から、煙がわずかに漏れた。
「あなた……誰?」
「……なんだ。気がついていたのか。」
 少し距離をとるとその山口さんだったモノは、まるで風船がしぼむように消えていった。そしてその後ろにいたのは、竜彦さんだった。
「竜彦さん。」
「……式神くらいではあなたを欺けないんですね。」
 私に近づいてくる。それを避けるように私は後ろに下がっていった。
「思った通りの人のようですね。あなたは。」
「……私をどうするつもりですか。」
「俺の目的は、あなたを帰すこと。」
「帰す?」
「あるべき場所へ。」
 どんどん後ろに下がっていき、ついには後ろを振り返り走って逃げていった。
 周りは明るい。ラブホテルが多い地域だからだろう。この通りをまっすぐに走っていっても、大通りに出れるはずだ。繁華街だから人も多い。その中に紛れてしまえば……。
 そのときグン!とスーツのジャケットの裾を捕まれた感覚があり、私はそのまま前につんのめてしまった。こけないだけましだったかもしれない。
「捕まえた。」
「私をどうする気ですか。」
「さっきも言いました。あるべき場所へあなたを戻すだけです。その前に……。」
 彼は腕を私の腰に回してきた。そして私を正面に向かせる。目の前に彼の端正な顔がある。たぶん女性なら、これだけで彼に夢中になるかもしれない。だけど私には恐怖でしかない。
「味見します。」
「……何を?」
「あなたを。」
 そう言って彼は私の顔に顔を近づけてきた。
 近くなる。私はそれをされてはいけない。きっとこの人にはされてはいけないのだ。そう思った瞬間、私はその足を曲げてパンプスのヒールで彼の足を踏みつけた。
「いたっ!」
 思わず彼は私を離す。その瞬間、私はまた走り出した。もうすぐだ。もうすぐ大通りに出る。
 そして私はやっと大通りに出た。そこは予想通り人通りは多い。
「……。」
 一息ついて、私はその人混みに紛れた。後ろを振り返る。もう竜彦さんの姿はない。この人混みに追いかけてきたら、さすがにおかしいと思ったのかもしれない。
 これからどうしよう。バックもコートも置いてきてしまったし、ポケットにあるのは携帯電話だけ。
 息吹に連絡をしてみようか。いや。連絡着かないときの方が多いしな。
「桜井さん?」
 声をかけられて横を見る。そこにはラフな格好をした本当の山口さんがいた。

「そうか。やはり君を狙って……。」
「まだ力を上手にコントロールできないのが悪かったのかもしれませんが。」
「……そうだね。でも僕に言わせれば、まだ力が漏れているって言うレベルでしかない気がするけど。」
 山口さんはたまたま食事をしに、この繁華街へやってきていたらしい。そして私を見つけて、家につれて帰ったのだ。
 この寒い中コートもバックも持っていない私を見て、さすがに「異常」だと思ったのだろう。
 いつものリビングではなく、薄明かりの着いた山口さんの自室に案内された。ひどく私は興奮していたらしく、落ち着かせるために暗い部屋につれてきたのだ。
「竜彦さんは気になることを言っていました。」
「気になること?」
「「味見」をすると。」
「あぁ。」
「キスをすることで味見をするって……どういうことですか。」
 山口さんはいすに座り、私の目の前にいた。だからわかる。彼がそのことについてはいいにくいのだろうということに。
「キスやペッティング、セックスを君とすることで、君の一部を取り入れることも出来るんだよ。」
「……え?」
「君が体を求められることが多いことに、不自然に思わなかったか。」
「そう言えば……。」
 今まで「人間」にはそこまで求められることはなかったが、魔物である山口さんや桐彦さん、息吹は私を求めることが多い。
「君が極上の力を持つものだ。その一部をそれらの行為で手に入れることが出来るんだ。」
「ということは……私と「何か」をすることにより……その魔物は力を得ることが出来ると。」
「そういうこと。」
 そのとき私はぞっとした。
 もしかして桐彦さんも息吹も、そして目の前にいる山口さんも私をそういう目で見ていたのかもしれないということに。「愛」ではなく「食物」として私を見ていたのでは。
 私のその想像に、山口さんはいすから立ち上がる。そしてベッドに座っている私の隣に座った。
「僕は君の想像とは違うからね。」
「え?」
「君のことが好きだから。だから君を求めたいと思う。もちろん、君が拒否すれば、それはしないけどね。」
 彼は少し笑い、そしてまた向かいのいすに座った。
 あくまで山口さんは紳士なのだろう。そして私のことが「好き」だという。このときばかりは……信じてみよう。私はそう思った。
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