夏から始まる

神崎

文字の大きさ
上 下
18 / 265
コンプレックス

18

しおりを挟む
 気を利かせて百合は、バンドのメンバーに菊子が持ってきたアイスを配った。丸い形で棒状になっている。それが何となく卑猥だと、百合はからかうように蓮に言う。しかし、蓮はそんな言葉を気にしないで、菊子の様子を見ていた。
「へぇ……永澤英子の娘なんだ。」
 ドラムを叩いていた浩治は、そう言って感心したように菊子をみる。
「そう言えば永澤剛って、この辺の出身だったよね。」
 キーボードを弾いていた麗華はそういって感心したように、菊子をみる。その視線が嫌だった。
 背が高いし手足も長いので運動が出来るのだろうと思われるくらい嫌だ。菊子が永澤英子の娘だから歌が上手いのだろうと言われるのも嫌だった。
「唸るほど言われてきたんだろう?うんざりって顔に書いてある。」
 心を読んだようにギターの玲二が、アイスを食べ終わる。
「でも教育は受けてたみたいだな。」
 蓮から押しつけられたように渡された紙には、五線譜と歌詞、そしてコードが書かれている。それをカウンター席において、横目で菊子は見る。歌いたくないって言ってるのに、何も聴いてくれない蓮に少し苛つきを覚えた。
「歌が他に嫌な理由があるんじゃないのか?」
 蓮はそう言って菊子を見る。すると彼女はため息を付いていった。
「いつまでたっても成長しないって、言われ続けてたからです。」
 両親は世界中を回って演奏会だ、オペラの舞台だとかけずり回っている。菊子は乳離れした一歳の時に、父の実家である割烹「ながさわ」に押しつけられたのだ。
 両親が帰ってくるのは年に一度か二度。本拠地をヨーロッパに置いているから仕方ないのかもしれない。
 だが両親は帰ってくるといつも、菊子に歌のテストをする。
「歌のテスト?」
「弾き語りです。オペラのアリアを弾きながら歌えと。」
 当初は両親の期待に応えるために、一生懸命練習した。それは楽しいか楽しくないかではない。やらなければ両親の期待は地に落ちるからだ。
「……歳と共にアリアも難解になるし、ピアノも難しいし、何より練習の時間もとれないんです。」
 いつの間にか両親が帰ってくる日が怖くなってきた。期待した目で見て、落胆して帰るからだ。
「なるほどねぇ。それじゃ歌なんかって思うかもしれないわ。」
「麗華はわかるんだ。」
 浩治はそう言ってもう一本、アイスに手を伸ばそうとして麗華に止められた。
「なんで止めるんだよ。」
「食べ過ぎ。夜中にお腹を壊したって騒いでも知らないわよ。」
 まるで子供にするように、麗華は言う。
「で、歌うんだろう?」
 煙草に火を付けた蓮が、そう言って菊子を見下ろす。
「は?蓮、今の話聞いてたのか?」
 玲二がそう言って蓮を止めた。
「でもそんなことは俺らには関係ないだろう?歌ってみればいい。それで使えるか使えないかはこっちが判断する。」
 その言い方に、菊子は少しむっとした。
「蓮さん。バカにしてます?」
「土台がオペラだろうと民謡だろうと関係あるか。ようは歌えるか歌えないかだけ知りたい。」
 すると菊子は意を決したように席を立ち、ステージに向かう。ステージには誰もいない。楽器が置いているだけだった。
 キーボードのスイッチを入れて、鍵盤に触れる。アンプから音が流れた。それは最初の一音。
 キーはどれくらいだったか。音程はどうだったか。彼女はそれを確かめているようだった。テンポの指示はわからない。だが歌詞の内容からして、スローではないと思える。
「見物ね。」
 百合はそう言ってステージを見る。
 マイクを使わないその歌に、誰もが一声で絶句した。響きわたるような声だった。
「歌詞も覚えてるっていうの?」
「いいや。正確じゃない。でも……コレは……。」
 明らかにパンクではない。だが心がこんなに揺れる。菊子の表情、腕、全てで表現しているように見えた。歌詞を自分で解釈し、苦しい恋を歌っている。届かない。手に触れたくても触れられない。それを表現しているように見えた。
 ワンフレーズを歌い終わり、菊子はステージを降りた。先ほどまで歌を歌っていた人物とは思えないとてもオドオドした表情だった。
 菊子は歌を両親の前で歌い、誉められたことはない。ただあそこはどうしてこう歌ったのか、弱く歌うところはもっと弱くできたはずだと、声量があることだけは認めていたようだがそれ以外の表現力ではぼろぼろに言われていたのだ。
 オペラは演技力も必要だが、それを上回る歌の実力が必要となるのだ。それが彼女には足りず、表現力と声量で誤魔化しているのをすぐに見透かされる。それが彼女が音楽に嫌悪感を覚えた理由だった。
「あつっ。」
 蓮の声がする。煙草をくわえたまま、灰を落とすのを忘れていたらしい。慌てて口から煙草を離して、灰皿でもみ消した。
「オペラの歌い方?すごいわね。あたし初めて聴いたわ。」
 百合はそう言って彼女を誉める。それは他のメンバーもそうだった。
「あぁ。すごいね。生で聴くと迫力が違う。マイク使わないの?」
「カラオケで使うことはありますけど……。」
 蓮の方を見れなかった。それが一番怖かったからだ。それに百合が気が付いて、コップに水をくむと彼女の前に置く。
「喉が乾くでしょう?ライブハウスってね、防音を利かせるためと楽器のために割と乾燥しているから。」
「ホールも同じだといってました。」
「お母さんが?」
「いつもマスクをしていたので、聞いたことがあるんです。だから私は母が歌っている姿しか素顔を見たことがないかもしれません。」
 水を一口。だがそのグラスを持つ手が震えている。そんなことよりも反応が怖いのだ。だから百合はわざと関係ない話をした。
「水で良かった?何か飲む?」
「いいえ。もうさすがに帰らないと。」
「菊子。」
 名前を蓮から呼ばれて、菊子は少し体を震わせた。御託はいいので歌って欲しいと、歌の実力を誰よりも知りたかったのは彼だったはずだし、その評価が気になる。だが怖い。彼からも否定されるのではないかという恐怖があった。
「ながさわの番号は、コレで合ってるのか?」
 そう言って彼は携帯を彼女に見せる。その番号に彼女はうなづいた。
「はい。でも何で……。」
 蓮は何も言わずに携帯電話でコールを始める。すぐに電話の主はとられて、彼は言葉を発する。
「戸崎です。すいませんが、女将さんに代わってもらえませんか?」
「え?蓮さん。何を言ってるんですか?」
 驚いて蓮を見る。しかし彼の表情は変わらない。
「女将さん。戸崎です。えぇ……。いきなりですけど頼みがあるんです。……はい。そうです。わかってますよ。」
 笑いがこぼれながら、蓮は女将と話していた。
「十時までには帰しますから。責任もって。」
「蓮さん。何……。」
 彼は携帯を切ると、彼女を見下ろす。
「百合。こいつに洋服選んでやってくれ。」
「え?」
「その間に、テンポと音程と全て合わせる。七時の開演までぎりぎりかもな。六曲。覚えれるか?」
「蓮さん。嫌です。歌いたくありません。」
「歌えよ。バカ。俺が歌えって言ってんだから。」
 強引だった。だから捕まれているその手を離したかった。本当はその大きな手を拒否なんかしたくないのに、歌だけを見ている感じがして嫌だったのだ。
「蓮。いい加減にしろよ。」
 そう言って捕まれた手を無理矢理離したのは、玲二だった。
「王様にでもなった気分か?そんなんじゃ逃げられるに決まってるだろう?」
「玲二。こいつの歌は、朱美以上だろ?」
「でも歌いたくないって言ってる。無理矢理させるのがお前のやり方か?」
 その言葉に蓮は怒ったように玲二を見下ろした。蓮の方がだいぶ大きいので、普通だったら臆するだろう。だが玲二も黙っていない。じっと彼を見上げている。
 一触即発。
 喧嘩でも始まりそうだった。その雰囲気に、菊子はため息を付いていった。
「わかりました。やればいいんでしょう?でも……遅くまではいれません。私は未成年ですから。」
「そうだな。だったら百合、出演順は俺らが最初でいいか?」
 百合は少し笑うが、内心いい気分はしていないだろう。彼らは人気がある。だから最初に持ってくると、あとが閑散としてしまうのだから。
「仕方ないわね。あーあ、どっちがオーナーなのかわからなくなってきたわ。」
 百合はそう言ってため息を付いた。しかし、楽しみではある。この五人がどんな音を出すのか、気になっていたのだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

幼馴染 【R18】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:346

隣人は秘密をもつ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:47

超可愛い後輩マネージャーと旅行先で念願のSEXが出来ました‼︎

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:13

ストーカー君

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

欲求不満な私がドSな彼氏と保健室で中出しSEX

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:27

あなたに愛や恋は求めません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:104,818pt お気に入り:8,838

あなたの愛に囚われて

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:228

処理中です...