夏から始まる

神崎

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白と黒

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 電車に揺られながら、菊子は先ほどまでの行為を思い出していた。
 痛みは既に無く、快楽しか残らない。まだ体が熱い気がする。
「行かせたくない。」
 と蓮は菊子を抱きしめて、それでも自分のことだからとその体を離してくれた。優しい人なのだ。
 しかし頭の中には一つ、気になることがある。それはレコード会社の名刺だった。蓮はレコード会社に誘われている。スタジオミュージシャンではなくバンドの一員として。
 見た目も良いし、女にもてるし、何よりベースの腕がある。
 菊子は足手まといになっていないのだろうか。それだけが不安だった。
 やがて駅に着くと、待ち合わせている駅の表口にあるコンビニへ向かった。明るいチャイムの音が鳴り、雑誌のラックの方をみる。するとそこには棗の姿があった。
「棗さん。」
「よう。来たか。」
 雑誌をしまう。それはタウン誌のようだった。どうやら棗の店のことも書いているらしい。
「何を見ていたのですか?」
「うちの店のこと。金の折り合いも付いたし、治が張り切ってるようだったな。」
「……本当にいいんですか?」
「何が?」
「お店を手放して、うちの繁華街にやってくるって……。」
「いいんだよ。離れてみてわかることもあるんだし、それに……あの店、借りてる店舗だしな。」
「そんな問題ですか。」
「何?俺のこと心配なのか?」
 そういって肩に手を置こうとした。それを振り払うと、菊子は外に出ようとする。
「行きましょう。」
「冷てぇな。まぁ、待てよ。ちょっとアイスでも買っていこうぜ。外、死ぬほど暑いし。」
 アイスの棚の前で、棗はそれを選んでいた。
「多いんだよなぁ。アイスって。もっと少ないヤツ無いのか。」
 みかんの果肉が丸ごと入っている棒アイスを手にして、棗は首を傾げた。
「お、いいのあるじゃん。」
 そこで目を留めたのは、一袋に二つのアイスが入っているモノだった。
「二つも食べるんですか?」
「お前一つ食えよ。」
 驚いた。昔連が菊子にしたことと同じことをしたのだから。
 そういえば昔、棗と蓮は同じバンド活動をしていたのだという。それから前はどれくらいの付き合いなのかわからない。
 だが棗は蓮と同じバンドメンバーでその中に美咲もいて、その美咲は蓮の妻だった。きっと逆恨みしている。だから隙あれば菊子に手を出そうとしているのだ。そう思わなければ自分に好く人などいないだろう。
「ほら。」
 コンビニの外に出て、アイスを割って一つ手渡された。早く食べなければ溶けそうなくらい、外は夕方なのに暑い。

 菊子が住んでいる繁華街は、大きな道に囲まれている。だからこの一角が繁華街というしきりがあるように思えた。しかしここは違う。
 歩いていけば徐々に居酒屋が増え、ショットバー、カラオケバー、カラオケボックスなど浮ついた看板が多くなる。
 だが異質なのは、風俗店の隣が真面目な本屋であり参考書などもおいているのが面白かった。
「こっちだ。」
 それは他の建物に比べれば新しいビルのようで、灰色のコンクリートづくりのビルは、何となく和食と繋がらない。
「ここの二階。ワンフロアをぶち抜いてる。」
「和食の店なんですよね。」
「まぁ見ろよ。」
 エレベーターも横にはあったが、棗は階段を上がっていく。そして二階にたどり着くと、扉を押した。
「おはよう。」
 受付カウンターに和服の女性がパソコンを見ていたが、棗の姿を見て手を離す。
「あ、オーナー。おはようございます。」
「恵美。こいつ、前、言ってたヤツな。」
 綺麗に化粧をした女性は、後ろにいた菊子を見て眉をひそめた。棗と変わらないくらいの背丈、それなのに細身だ。和服が似合わないかもしれないと思ったのだ。
「初めまして。永澤菊子です。」
「よろしく。恵美で良いわ。」
 上っ面な笑顔で、恵美は菊子をみる。
「菊子。こっちだ。」
「あの……土足なんですか?」
「あぁ。ここいすなんだよ。そっちの方が足の悪い奴でも座れるだろ?」
 確かにそんな配慮が所々見える店だと思った。フラットになっている入り口も、廊下もやや広めに作られているのはおそらく車いすのお客様でも入れるようにしてあるから。
 エレベーターがある建物を選んだのもそのためかもしれない。
 和食の店だからと、決めていることはないようだ。
 バックルームへ行くとロッカーが並べられてその一つ一つに鍵がある。
「荷物入れたら鍵をかけろよ。かけてなかったら金が無くなったって言ってもしらねぇからな。」
 そして奥の扉を開けると、オレンジ色の着物特有のハンガーに掛けられた着物と帯、肌襦袢を差し出す。
「帯締めとか足袋とかは?」
「持ってきました。履き慣れている方がいいと思って。」
「用意が良いな。」
 着物を差し出されたということは、着替えろと言うことなのだろうに何でこの部屋から出ないのだろう。
「何で出ないんですか?」
「え?手伝ってやろうかと思って。」
「一人で着れますから、結構です。着替えたら先ほどの所へ行けばいいですか?」
 ため息を付いて鍵のついているロッカーを開ける。そして足袋や草履、帯留めを取り出すと荷物をロッカーに入れた。そのとき棗が菊子に近づく。
「何……。」
 気配に気が付いて、菊子は振り返った。すると棗はその右腕の袖をまくり上げる。そこには赤い跡が付いていた。
「蓮と会ってからこっちに来たのか?」
「そうですけど……。」
「あいつ、俺に手を出されないように必死だな。でも無理。こんな跡付いてたら、逆に燃えるだろ?あとどこに付けてあるんだ?」
「……。」
「仕事が終わったら楽しみだな。」
 棗はそういって腕を放して、外に出て行く。
 そして棗と入れ替わるように、女性が入ってきた。
「おはよう……あれ?新しいバイト?」
「あ、今日一日だけの……。」
「聞いてる。よろしく。あたし、明日香って言うの。」
 歳が近いのかもしれない。明日香という女性は、笑顔で菊子に近づいてきた。
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