守るべきモノ

神崎

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和室

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 その日の夜。興奮したように泉が帰ってきて食事の支度を終えると、資料の整理をしている倫子に声をかけた。
「ご飯出来たよ。」
 倫子の部屋のドアを開けると、煙草の匂いがした。そしてそれと同時に少しかび臭い匂いがした。本特有の匂いだろう。
「んー。わかった。」
 のろのろと体を起こして倫子は立ち上がると、泉に連れられるように居間へ向かった。食卓には鰺フライや、サラダ、エノキとわかめのスープ、冷や奴が載っている。冷や奴の上には刻んだミョウガや鰹節が載っていた。
「フライもの珍しいね。」
「うん。ちょっと張り切っちゃった。明日ゴミの日だし。」
 倫子も今日は出掛けたので化粧をしている。すっぴんでもかなり綺麗な人だが、化粧をするとさらに綺麗になる。
「今日「戸崎出版」の藤枝さん来たし。」
「あぁ。担当だからよくここには来るけど、泉が仕事いっているときだもんね。」
 ここではあまり顔を合わせない。泉も休みの日はあるが、休みの日でも泉はあまり家にいることはないからだ。
「かっこいい。」
「はぁ?」
 呆れたように倫子は、スープに口を付けた。
「かっこいいよ。すごい背が高いし、三十五に見えない。」
「そんなに若かったんだ。編集長業務もしているから、もっと歳かと思った。」
「歳でみないの?倫子は。」
「見ないわねぇ。そう言えば結婚されてるって聞いたけど。」
「うん。でもまぁ、見てるだけなら良いじゃない。」
 女らしいというのは泉みたいなことを言うのだろう。体の問題ではなく、料理が出来て、掃除も綺麗にして、なおかつ、こんなに純粋だ。
「泉は、まだ彼氏出来ない?」
「出来ないよ。そう言えば、本屋の子から合コンに行かないって言われたけどさ。」
「良いじゃない。行ってらっしゃいよ。」
「やだ。何かぎらぎらしてるじゃん。」
 そこは同感だ。あまり女を追っているような男は気が進まない。
「藤枝さんなんか、ぎらぎらしてないもん。」
「そんなにいい人じゃ……。」
 今日、病院で会った春樹を見た。生気はなく、まるで別人のようだった。原因は妻だという。それだけ妻を愛しているのだろう。うらやましいことだ。
「他人のためなら一生懸命になれる人って、結局自分の為よ。」
「え?何の話?」
「藤枝さん。そんなにいい人に見えないってこと。」
 鰺フライに手を伸ばして、ソースをかけた。ご飯が進みそうだと思う。
「だったらさ、見も知らずの人に十円くれる人は?」
「は?」
 そんなお人好しがいるのだろうか。驚いたように泉をみる。
「この間、自販機でコーヒー買おうとしたら十円足りなくてさ、そこにいた人がくれたの。」
「お人好しにもほどがあるわ。」
「えー?そう?」
「男の人?」
「うん。何か……そう言えば、倫子の本の表装をした人っていってたよ。」
「「白夜」で?」
「そうそう。」
 富岡伊織だろう。確かにそれくらいならしそうだ。ずいぶんお人好しに見えたのだから。
「たぶん田舎から出てきたのよ。慣れてない人ってこと。」
「倫子ってずいぶん男の人を斜から見るよね。嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃないけど。つきあいたくない人とはつきあわない方が良いってことかな。」
 一人で仕事をしているとこんなものなのだろうか。泉のように接客業をしているだけにとどまらず、いろんな会社に入ればいろんな人とつきあわなければいけないのだが、それをわがままでつきあいたくないとは言えないのが、社会なのだと最近思うようになってきた。
「あ、メッセージ。」
 泉は箸を置くと、携帯電話をみる。そこには、大学の時の友人からだった。
「梓から飲みに行かないって、誘い来てるよ。」
「あー。パス。私、今日の資料まとめて、プロット立て直したいから。泉は行ってきなよ。明日休みでしょ?」
「うん。じゃあ、そうしようかな。」
 そう言ってまた携帯にメッセージを送ると、また食事を始めた。その様子は普通の二十五歳だ。自分が普通ではないように最近、倫子は思えてきて仕方がない。

 煙草をくわえながら、資料の整理をしていた。重要なところにラインを引き、コピーをした資料を整理する。しかし、これだけ遊郭や遊女の資料を集めていると、華やかな世界にも裏があるのだなと感心していた。
 そのとき玄関のチャイムが鳴った。倫子は煙草を消すと、玄関の方へ向かう。
「どちら様?」
 ドアを開けると、そこには礼二の姿があった。
「泉なら出掛けてるけど。」
「阿川さんには用事はないよ。あるのは君。」
 その様子に倫子は呆れたように礼二を見上げる。
「いきなり梓から連絡があったって言うのに違和感は感じたわ。家から泉を離すつもりだったのよね。」
「だっていつもいるから。」
 したいことは一つだろう。しかし倫子はそれをしたくはなかった。人の旦那だと言うことを抜いても、礼二とそれをする価値はないと思っていたから。
「したくないって言ってるんだけど。」
「あれから誰かとした?」
「関係ないでしょ?」
「だったらキスだけでもさせて。」
「いや。」
 するとドアの向こうから、声がした。
「お取り込み中すいません。「戸崎出版」の藤枝ですけど。」
 聞き慣れた声がした。思わず礼二は手を離す。
「藤枝さん……あぁ……お待ちしてました。どうぞ。」
 ひょろっとしているだけの礼二とは違って、がっちりした体型の春樹は普段温厚で滅多に怒ることなどはないが、こういうときの春樹はとても怖い。一瞥するだけで、礼二はそのまますごすごと帰って行ってしまうしか出来なかった。
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