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指輪
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こんなに激しく怒る泉をあまり見たことはない。あの店長の川村礼二にキスをされたときだって感情を抑えてなるべく触れないようにしていたようなのに、倫子をバカにされると我慢が出来なかったようだ。
あまり飲まれていなかったトニックウォーターをそのままに、部屋へ帰っていったのだから。伊織は途中の自販機で、少し高めのスポーツドリンクを買って泉のあとを追った。
そして部屋に帰ってくると泉は持っていたタオルを隅にある物干しにかけた。その間も不機嫌なようだと思う。
「泉。」
伊織は声をかけて、泉に近寄った。すると泉は首を横に振って伊織を見上げる。
「ごめん。変に……動揺しちゃって。」
「ううん。でも、はっきりしたことがあるね。」
「何?」
「ここの土地の人はあまり倫子を良いように取ってない。変わった女だというくらいだったかもしれないな。」
「……でも火事の中で本を取りに行ったっていうの、そんなにおかしいのかしら。私がその立場でもそうしてると思う。」
「それは本に思い入れがある人の言葉だよ。」
伊織はそういって勝っていたスポーツドリンクを泉に手渡す。
「普通の人にとってはただの本だし、そんなモノに思い入れはない。でも倫子にとっては違った意味があったんだろう。」
「……。」
「泉も?」
すると泉は持ってきたバッグの中から、一冊の本を取りだした。それは泉がいつも肌身離さず持っている本で、泉にとって思い入れがある。
「大学に入って、普通の女子大生になろうと思ったの。メイクをしてみたり、スカートを履いたときもあった。だけど……やればやるほど変に鳴っちゃって……結局、何が正解かわからなかったの。」
「……。」
「そのとき倫子がこの本を渡してくれた。倫子がサークルで書評した本。私……いつの間にか、自分が自分らしくいられなきゃ、自由じゃないっていう枠にはめられていたのよ。」
結局自分は枠にはめられないと生きていけなかったのだ。だから本当にしたいことを見つけたいと思った。
バイトをしていた本屋でカフェ部門を作りたいといったとき、そこで働きたいと手を挙げたのがきっかけだった。
「美味しいって言われるのが何よりも嬉しいの。それは倫子も同じだと思う。面白かったねって言われるのが、何より大事なの。」
伊織も同じだと思った。ここの宿の若旦那に「あなたに頼んで良かった」と言われたのは、とても嬉しかった。だがそのあとが余計だったが。
「本の力って偉大だよね。」
「一冊で人生が変わるの。母だって……一冊で変わったのよ。」
新興宗教にはまったきっかけが本だった。本で生きることも死ぬことも選択肢を与えられるのだ。
「その本、見せて。」
「うん。」
そういわれて泉はその本を伊織に手渡す。文庫本だと言うことは、きっとハードカバーもあるのだろう。そう思いながら、ページを開いていく。そして少し笑った。
「どうしたの?」
「この後ろ、気がついた?」
「え?」
出版社の名前、執筆者の名前などが載っているその中に、編集人の名前が載っている。そこには藤枝春樹と書いてあった。
「春樹さん……。」
発行年数から見ると、まだ春樹さんも入ったばかりといったところかな。違う部署にいたんだね。」
おそらく倫子にしてみたら、泉に本を手渡したのは気まぐれだったのかもしれない。だが運命はどう転ぶかわからないのだ。
「……そっか……。」
本を手渡されて、泉は少し笑う。春樹ともこんな形で縁があったのだ。
「明日、お土産を買おうよ。二人に。」
「そうだね。でも倫子は喜ぶかな。」
「どうして?」
「倫子にしたら地元のモノだろう?」
「そっか……でもほら、懐かしいとか思わないかな。」
「どうだろうね。」
スポーツドリンクを手にして、泉はそれを口に入れる。喉がからからだったのだ。
「泉。それ、俺にもくれる?」
「うん……って言うか、伊織が買ったんじゃない。」
そのまま伊織もそれに口を付けた。間接的にキスをしたようで、泉の頬が少し赤くなる。
「甘いね。」
「甘さ控えめって書いてあるよ。」
「俺、合成甘味料、苦手なんだよね。」
伊織はそういってそのスポーツドリンクをテーブルに置くと、洗面所の方へ向かう。どうやら歯を磨いているようだ。寝るには早い時間だが、やはりセックスをする気なのだろうか。
泉も歯を磨いて部屋に戻ると、伊織は布団の中に入っていた。
「もう寝るの?」
「普段使わない筋肉使ったからかな。ちょっと眠くてね。」
「……。」
そういって電気を消そうとした。するとその手を泉が止める。
「泉?」
「ごめん。何でもないの。」
泉はそういって電気を消す。そして羽織を脱いで、布団の中に入った。別々の布団だ。手を伸ばせば伊織がいる。なのに、伊織から手を出してくることはない。何のためにいるのかさえわからないのだ。
酔って意識がなかったときすら隣にいたのに、今はその距離も遠い。
そう思っていたときだった。急に隣の布団から手が入ってきた。
「え?」
泉の手を握る手がある。それは伊織の手だ。
「……このまま。」
すると泉はその手を握り返す。大きくて温かい手だった。そしてその手が泉をゆっくりと引き寄せる。隣の布団へ引き寄せられると、伊織は薄い明かりの中で少し微笑んでいた。
「このまま寝れると良いな。」
「……うん。」
伊織はそういって泉の額にキスをする。泉を見下ろすと、泉は頬を赤らめていた。それが昔を思い出す。
「……泉。」
泉を抱きしめると、泉もその体に手を伸ばす。だがそれ以上の行動はなかった。泉も伊織も普段よりも動いていたからだろう。そのまま眠りの世界へ誘われて行ってしまった。
あまり飲まれていなかったトニックウォーターをそのままに、部屋へ帰っていったのだから。伊織は途中の自販機で、少し高めのスポーツドリンクを買って泉のあとを追った。
そして部屋に帰ってくると泉は持っていたタオルを隅にある物干しにかけた。その間も不機嫌なようだと思う。
「泉。」
伊織は声をかけて、泉に近寄った。すると泉は首を横に振って伊織を見上げる。
「ごめん。変に……動揺しちゃって。」
「ううん。でも、はっきりしたことがあるね。」
「何?」
「ここの土地の人はあまり倫子を良いように取ってない。変わった女だというくらいだったかもしれないな。」
「……でも火事の中で本を取りに行ったっていうの、そんなにおかしいのかしら。私がその立場でもそうしてると思う。」
「それは本に思い入れがある人の言葉だよ。」
伊織はそういって勝っていたスポーツドリンクを泉に手渡す。
「普通の人にとってはただの本だし、そんなモノに思い入れはない。でも倫子にとっては違った意味があったんだろう。」
「……。」
「泉も?」
すると泉は持ってきたバッグの中から、一冊の本を取りだした。それは泉がいつも肌身離さず持っている本で、泉にとって思い入れがある。
「大学に入って、普通の女子大生になろうと思ったの。メイクをしてみたり、スカートを履いたときもあった。だけど……やればやるほど変に鳴っちゃって……結局、何が正解かわからなかったの。」
「……。」
「そのとき倫子がこの本を渡してくれた。倫子がサークルで書評した本。私……いつの間にか、自分が自分らしくいられなきゃ、自由じゃないっていう枠にはめられていたのよ。」
結局自分は枠にはめられないと生きていけなかったのだ。だから本当にしたいことを見つけたいと思った。
バイトをしていた本屋でカフェ部門を作りたいといったとき、そこで働きたいと手を挙げたのがきっかけだった。
「美味しいって言われるのが何よりも嬉しいの。それは倫子も同じだと思う。面白かったねって言われるのが、何より大事なの。」
伊織も同じだと思った。ここの宿の若旦那に「あなたに頼んで良かった」と言われたのは、とても嬉しかった。だがそのあとが余計だったが。
「本の力って偉大だよね。」
「一冊で人生が変わるの。母だって……一冊で変わったのよ。」
新興宗教にはまったきっかけが本だった。本で生きることも死ぬことも選択肢を与えられるのだ。
「その本、見せて。」
「うん。」
そういわれて泉はその本を伊織に手渡す。文庫本だと言うことは、きっとハードカバーもあるのだろう。そう思いながら、ページを開いていく。そして少し笑った。
「どうしたの?」
「この後ろ、気がついた?」
「え?」
出版社の名前、執筆者の名前などが載っているその中に、編集人の名前が載っている。そこには藤枝春樹と書いてあった。
「春樹さん……。」
発行年数から見ると、まだ春樹さんも入ったばかりといったところかな。違う部署にいたんだね。」
おそらく倫子にしてみたら、泉に本を手渡したのは気まぐれだったのかもしれない。だが運命はどう転ぶかわからないのだ。
「……そっか……。」
本を手渡されて、泉は少し笑う。春樹ともこんな形で縁があったのだ。
「明日、お土産を買おうよ。二人に。」
「そうだね。でも倫子は喜ぶかな。」
「どうして?」
「倫子にしたら地元のモノだろう?」
「そっか……でもほら、懐かしいとか思わないかな。」
「どうだろうね。」
スポーツドリンクを手にして、泉はそれを口に入れる。喉がからからだったのだ。
「泉。それ、俺にもくれる?」
「うん……って言うか、伊織が買ったんじゃない。」
そのまま伊織もそれに口を付けた。間接的にキスをしたようで、泉の頬が少し赤くなる。
「甘いね。」
「甘さ控えめって書いてあるよ。」
「俺、合成甘味料、苦手なんだよね。」
伊織はそういってそのスポーツドリンクをテーブルに置くと、洗面所の方へ向かう。どうやら歯を磨いているようだ。寝るには早い時間だが、やはりセックスをする気なのだろうか。
泉も歯を磨いて部屋に戻ると、伊織は布団の中に入っていた。
「もう寝るの?」
「普段使わない筋肉使ったからかな。ちょっと眠くてね。」
「……。」
そういって電気を消そうとした。するとその手を泉が止める。
「泉?」
「ごめん。何でもないの。」
泉はそういって電気を消す。そして羽織を脱いで、布団の中に入った。別々の布団だ。手を伸ばせば伊織がいる。なのに、伊織から手を出してくることはない。何のためにいるのかさえわからないのだ。
酔って意識がなかったときすら隣にいたのに、今はその距離も遠い。
そう思っていたときだった。急に隣の布団から手が入ってきた。
「え?」
泉の手を握る手がある。それは伊織の手だ。
「……このまま。」
すると泉はその手を握り返す。大きくて温かい手だった。そしてその手が泉をゆっくりと引き寄せる。隣の布団へ引き寄せられると、伊織は薄い明かりの中で少し微笑んでいた。
「このまま寝れると良いな。」
「……うん。」
伊織はそういって泉の額にキスをする。泉を見下ろすと、泉は頬を赤らめていた。それが昔を思い出す。
「……泉。」
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