守るべきモノ

神崎

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真意

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 初七日が終わるまでは、春樹は倫子の家に帰ってこなかった。その間は春樹が借りている本を収納するためのアパートで過ごすらしい。そこに荷物を置いたその日、春樹は倫子にそこのアパートの鍵を渡してくれた。
「いつでも来て良いから。」
 その意味は鈍い倫子でもわかる。だが今は春樹と体を合わせるのは気が引けた。春樹が葬儀でばたばたしている間、倫子は政近とセックスをしていたのだ。ほとんど寝ずにセックスをして、朝には帰ることが出来た。そのあとに春樹が帰ってきたが、ずっと仕事をしているふりをしていたのが、春樹に隠し事をとしているようで辛い。
 だがやれることはやらないといけないだろう。
 倫子はそう思って畳んだ洗濯物とタッパーに入れた夕べの食事を持つと家を出る。からっとした晴れだが、空気は冷たい。雪は降りそうにないなと思いながら、ヒールをならして春樹のアパートの方へ向かう。そのとき、倫子の後ろに誰かが付いてきているのを感じた。
 少し早足で歩くと、倫子のヒールの音と混ざって皮の固い靴音が聞こえた。男だ。向かいからベビーカーを惹いた女性が歩いてきている。倫子の姿を見てぎょっとした表情になったようだが、すぐに道の脇にそれた。
 このままだとこいつは春樹のアパートまで付いてきそうだ。そう思って倫子は公園の方へ足を進める。昼間の公園は夜とは違って、普通の公園のように見える。道の脇にある木は桜で、春になれば花見客が多くなるのだ。そして足を進めていくと、公園の脇にある小さな店から見覚えのある人が出てきた。それは亜美だった。
「亜美。」
 思わず倫子が声をかける。すると亜美は驚いたように倫子を見ていた。
「倫子。あぁ。この近所だったかしら。あなたの家。」
「……。」
 亜美も倫子ほどではないが、派手な出で立ちだ。コートで隠れているが亜美の腕にも入れ墨があるし、派手な色合いの洋服を着ている。
「ここ、何の店?」
「革とか、シルバーアクセサリーのオーダーをする店よ。あなたあまりこういうものは興味がないみたいだったから、話したことはなかったかしら。」
「知らないわ。近所にあったのね。」
「私は用事が済んだけれど、中を見てみる?」
「うーん。そうね……。」
 あまり興味はない。だがこの付いてくる男を誤魔化すためには、いいのかもしれない。
「見てみようかな。」
「意外。またネタにするの?」
「銀ね……。毒性はあると聞いているけど……。」
「相変わらずねぇ。」
 そういって亜美は店のドアを開く。そして倫子を中に入れた。
「亜美。また来たの?」
 コンクリートの打ちっ放しの店内に、棚には革の財布やベルト、銀製品のピアスやネックレスが置いてあった。
「友達が興味があるそうなの。」
 奥にいたのは、エプロンをした男だった。どことなく政近に似た感じの、だが背が低く丸刈りだったのは違うところだ。
「倫子。篤よ。」
 倫子は紹介されて、少し頭を下げる。すると篤と呼ばれた男も、へらっと笑って頭を下げた。
「こういうの、興味あります?」
「無いですね。」
 身も蓋もない言い方だ。それに篤は少し笑った。
「でも倫子ピアスはしているじゃない。」
「そうね。敬太郎に勧められたけれど、もうふさがっちゃったかもしれないわ。最近つけてないもの。」
 敬太郎の名前に、篤は少し手を止めた。
「上野さん?」
「えぇ。」
「常連ですよ。ピアス作って欲しいって。」
「拡張したヤツはどうしてもデザインがいまいちだものね。」
 亜美もそういって少し笑う。だが倫子は棚を見ながら、その一つの指輪に目を留めた。それは政近がいつか倫子の家で忘れていったものによく似ていたからだ。指輪にしてはごつくて、女性がつけるようなものに見えない。
「それ、男性用よ。」
「えぇ、太いわね。」
 凝ったデザインだ。こういうのが好きなのだろう。
「それもオーダーで作ったんですよ。評判が良いからちょっと並べてて。売ることも出来ますけど、買います?」
「いいえ。私がするには大きいし。」
「彼氏にとか。クリスマス近いし良いんじゃないんですか?」
 篤は手を動かしながら、そういって少し笑う。きっと亜美の友達だから、倫子も似たようなものだろうと思っていったのだ。
「……彼氏ねぇ。」
「倫子は最近男を作ってないわね。」
「……まぁ……必要ないかな。」:
 真っ先に思い浮かんだのは春樹だった。だが春樹を恋人だというのにはまだ時間が早すぎる。まだ奥さんが亡くなって初七日も迎えていないのだ。
「似たようなのはいるんじゃない?」
「え?」
 思わず指輪を落としそうになった。だがすぐに手で受け止める。
「倫子ってわかりやすい。誰なの?」
 見た目は派手だが言うことは普通の女性だと、篤はほっとしたように作業を進める。この時期はシルバーで指輪を作って欲しいというのが多いのだ。
「……言えないわ。」
「え?私にも言えないの?」
「うん。まぁ……そうね。」
 亜美は頬を膨らまして、倫子の方をみる。
「泉は知ってるの?」
「うん……まぁ……。」
「仲が良いもんね。あーあ。あのとき、倫子は何で泉と同居するって言ったのかしら。私と同居してもいいのに。」
「亜美は、家があるじゃない。」
 亜美の家はヤクザの一家だった。いずれ亜美もどこかのヤクザの元へ嫁ぐのかもしれないが、今のところそんな話はない。
「警戒しているの?」
「でも、感謝はしているわ。」
「そうね。うちの家のことを知りたいって言われたときは、何をとち狂ったかって思ったけど。」
 ネタのために亜美の家に行ったこともある。亜美が居てくれたから良かったものの、その本質を知ろうと倫子は少し聞き過ぎたのだ。家の若頭から「これ以上聞いたら、亜美さんのお友達でも売ってしまいますよ」と脅されたのは、あとから倫子に伝えたことで、しかし倫子は全く反省していない。
「いずれまたあの世界のことを書きたいわね。」
「裏だからいいのよ。表立って、書くことじゃないわ。それよりさ、男のことよ。倫子の男って誰?」
 またその話題か。そう思いながら倫子は、ため息を付く。そして手に持っている荷物を見せた。
「何?あなたこの寒空の中ピクニックでも行くつもり?」
 荷物の中身は、タッパーに入ったおにぎりやほうれん草のお浸し、さわらの西京焼きなんかが入っている。
「近くに部屋があるの。」
「部屋?あぁ、その人の家に今から行こうって思ってたの?」
「そう。部屋を片づけたり、洗濯物を入れ替えたり。」
「まるで奥さんね。その人と一緒に住めばいいのに。どうせ同居人があと一人増えても変わらないんでしょう?」
 すると倫子は首を横に振る。
「住んでたのよ。でも一時的に別に住んでる。」
「え?」
 同居しているのは三人だと聞いている。泉と、伊織と、あともう一人は亜美は知らない。知らない人だと言っていた。
「……奥さんが亡くなったから。」
 その言葉に亜美は驚いた思わず持っていた革の財布を床に落としてしまった。
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