守るべきモノ

神崎

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 飲み過ぎてしまったようだ。春樹はそう思いながら、酔い醒ましに海岸を歩いていた。夏は海水浴をする人たちが良く訪れるスポットだが、冬に訪れるわけがない。氷が混ざっているような空気に、春樹は昔を思い出していた。
 ここの土地は大晦日になると、櫓を建てて火をたく。厄払いの意味もあって、この町にしては大きな祭りになる。青年団などがしている屋台で、焼き牡蠣や潮汁を売っていたり、酒を振る舞ったりしている。たった炎に、餅や芋を投げ込んでそれを食べると無病息災が約束されるらしい。
 今年は無理でも、来年かその次か、倫子を連れてきたいと思う。結婚したいと堂々といえる立場になりたい。
「お兄さん。」
 声をかけられて、振り返るとそこには妹である真理子の夫である克之の姿があった。
「克之さん。どうしました?」
「いや……青柳さんたちを送ったあと、戻ってこないから見てきてくれと真理子に言われてですね。」
 大学教授をしているという克之は、その割にあまり饒舌ではない。居て楽な相手だと思っていた。真理子はしゃべりすぎるところがあるので、これくらいがちょうど良いのかもしれない。
「死にそうですか?」
「……いいえ。むしろ葬式の時から思ってましたが、あまりショックを受けているように見えなくてですね。」
「正直ですよね。」
 五、六年も意識のない妻に付き添っていたのだ。いつ心でもおかしくないとずっと覚悟をしていたからかもしれないが、それにしては冷静すぎる。
「私も妻を早く亡くしてですね。」
「言ってましたね。子供と一緒に亡くなったと。」
 克之が最初に結婚した相手は、大学の同級生だった。絵に描いたような恋愛結婚で、二年目に子供を授かった。だが妊娠中期の時、容態が急変した妻は、子供と一緒に死んだ。
 それから克之は二度と結婚をしないと思っていたのに、大学で真理子に出会った。真理子の明るさとパワーに、徐々に克之も惹かれたのだ。
「……真理子が居てくれて良かった。一人でこのまま過ごすのだろうと思っていたのに子供を三人も授かったし、何より元気だ。」
「昔からですよ。真理子は。あの倉で本ばかり読んでいた俺を、暗い人だってずっと言ってましたから。」
「真理子らしい。」
 少し笑い、克之は海を見た。
「克之さん。この間は口添えをしていただいてありがとうございます。」
 すると克之は、少し笑っていった。
「いいえ。私は何もしていませんよ。」
「……。」
「私は講義をしに行っただけですから。仕事としてね。そのつてをあなたに紹介しただけです。」
「克之さん……。」
「しかし……青柳はこれで手を引くと思いますか。」
 その言葉に春樹は首を横に振る。
「根本から潰さないといけませんね。そのためには、女性の証言が必要になるでしょう。」
「女性?」
 克之はいぶかしげに春樹をみる。
「小泉倫子。俺が担当している作家です。彼女は、青柳の被害者である可能性が高い。」
「……。」
「おそらく証拠はあります。そして……未来の方にも。克之さん。俺はここにいることは出来ません。ですから、家をお願いします。」
「えぇ。おそらく、あいつはここを狙ってくるでしょうね。興味のないふりをしていて良かった。」
 青柳はあの床の間に飾られた掛け軸を狙っているはずだ。そのために何かを仕掛ける。
「それにしてもお兄さん。あなたの方が作家に向いているんじゃないんですか。」
 頭が回り、計算高い。そんな人を克之はあまり見たことはない。いっそ編集者ではなく、警察官にでもなれば良いのにと思う。
「俺は本を作りたいだけですよ。謎解きは作家先生にでもさせておいたらいい。それをいかに世に広めるかが楽しいんです。」
「根っからの編集者ですね。」
「それほどでも。」
 冗談を言い合い、二人は笑い合う。そのとき道路の方から、真理子の声が聞こえた。
「こんなところにいたの?兄さん。魚どれくらい持って帰るって母さんが言ってるけど。」
 すると春樹は少し笑って真理子の方へ向かう。
「多めにちょうだいって言っておいて。」
「一人でしょう?そんなにいる?」
「いいや。同居人が居るからね。」
「え?同棲?」
「じゃないよ。男が二人、女が二人。作家先生の家に間借りをしているから。」
「あ、そうなんだ。いいね。楽しそうで。」
 真理子も大学の時はシェアハウスをしていた。なのでこの辺は寛大なのだ。
「お兄さん。」
 克之もそちらにやってきて春樹に言う。
「俺も火の粉を振り払っただけですよ。あまり気にしないで下さい。」
「えぇ。」
「もし、何かあったらまた連絡を。」
「頼りにしています。」
 弱みをお互い握っている。だからこそ、頼りに出来るのだ。春樹はずっとそう言う関係でしか、人間関係を作っていけなかった。
 損得無しにつき合えるのは、倫子だけだったのかもしれない。

 夕方ほどになり、倫子はパソコンから目を離した。もうそろそろ春樹が帰ってくる頃だろう。今日から春樹はここの家に帰ってくる。
「倫子。」
 外から声が聞こえる。伊織の声だ。
「どうしたの?」
 部屋のドアが開いて、伊織は部屋に入ってくる。
「今日、春樹さんが魚を持って帰るそうだよ。」
「そう。だったら、今日は魚ね。」
 嬉しそうだ。魚が好きなだけではない。春樹が帰ってくるからだろう。そう思うと伊織は複雑な気持ちだった。
 春樹が居なかった時間、倫子に手を出せないわけではなかった。だが倫子がそれを望んでいたわけではない。何度も拒否された。
「そう言えば、ずっと倫子は付けられていたって言っていたね。」
「うん。でも……もうそんな気配はないわ。前みたいに盗聴器とか盗撮機が仕込まれているかと思ったけれど、それもなかったし……。」
「諦めたのかな。」
「今の私を狙っても何のメリットもない。おそらく狙いは春樹さんだったのだろうから。」
「春樹さんを?」
 自分の娘婿がそんなに嫌だったのだろうか。伊織は少し不思議に思っていた。
「春樹さんに女の影があれば、不貞していたという事になるでしょう?そうすれば妻以外の人と繋がりを持っていたと、青柳は春樹さんに対してそれなりのモノを請求することが出来るの。」
「お金?」
「そう。」
 そこまでして金が欲しいのだろうか。確かに伊織も生きるために働いている。親元から離れて高校生の頃からバイトをしていた。大学になってもそれは続け、画材代なんかに消えた。それが自分の身になっているとは思うが、そのためには確かに金は必要だった。
 だが人の弱みにつけ込んでまでむしり取ろうとは思わない。
「あいつは金に汚いの。それから……自分の欲しいモノに自制が効かない。」
 出来れば二度と会いたくなかった。
「だからつきまとっていたの?」
「不倫相手とでも思っていたんじゃないのかしら。こんな容姿だもの。じゃなきゃデリヘル嬢くらいに思ってたんじゃない?」
「デリヘルを呼ぶのも駄目なの?」
「奥さんが倒れてしまった人は、意識が戻るまでオ○ニーをしていろってことかしら。笑えるわ。それとも性欲がないとでも思っているのかしら。」
「……倫子。その相手に、君がなることはないんじゃない?」
「……何が言いたいの?」
 怪訝そうに伊織に聞く。すると伊織は少し倫子に近づいて、倫子を見下ろした。
「わざわざ既婚者を相手にすることはないよ。」
「伊織。」
「俺……。」
 そのとき玄関の方で音がした。
「ただいま。」
 春樹の声に、倫子は立ち上がると部屋を出ていく。そのあとを伊織がついて行った。
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