守るべきモノ

神崎

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血縁

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 歓楽街から少し離れたところにある図書館は、バスで一本の所にある。大きな建物がまるっと図書館であるというのは贅沢なものだと思いながら、倫子はその建物の中に入っていった。
 祖母の持ち物だったあの図書館は、建物はこの半分もないし図書館のエリアはそんなに広いわけではない。当然、あまり蔵書数もなかったはずだが、祖父も祖母も本の目利きだったのかとても言い本が揃っていたような気がする。
 文芸書のコーナーを見ると、自分の本もあるし、今で果てにはいらなくなった本もあったりする。ここの司書も良い目利きだ。思わず立ち読みをしたくなるが、それはまた今度にしておこうと本を棚にしまう。
 貸し出しカウンターへ行くと、エプロンを付けている司書に声をかけた。
「すいません。」
「はい。」
 眼鏡をかけた長い髪の女性だった。あまり身なりに気を付けていないのか、地味な印象がある。だがその眼鏡の奥は美人だと思った。
「えっと……地方の伝説とか、伝承とか、そういったモノを調べているのですが、どちらのコーナーになりますか。」
 女性は持っていた本をおくと、カウンターを出てきた。
「総記ですかね。または歴史とか……。こちらです。」
 わざわざ手を止めて案内してくれる。口で言えばいいのかもしれないのに、手を止めてくれてまですることではないだろう。そう思ったが、その女性の心遣いだ。そう思って黙ってついて行く。
 だがそのスカートの下、細い足にはかれているストッキングが伝線している。本当に身なりに気を付けない人だ。
「何をお探しですか。」
「妖怪とか、物の怪とかですね。」
 するとその女性は驚いたように倫子をみた。そしてやっと納得したように、足を進める。どうやら二階にあるらしい。
「二階ですか?」
「一階はほとんど文芸なんですよ。二階に資料とかがあって……。」
 階段を上がるその上には天窓がある。薄い光が照らして綺麗だと思った。
「こちらです。」
 案内された二階はあまり人がいない。そうでなくても、倫子の容姿はとても目立つだろう。深い緑のコートは、入れ墨を隠しきれない。
「ありがとうございます。」
「ごゆっくり。小泉先生。」
「え?」
 名乗っていないのによくわかったなと、倫子は女性をみる。
「ファンなんです。」
「あぁ……そうでしたか。」
「新しい連載のために?」
「えぇ。人魚をキーワードにしようかと。」
「人魚……各地に伝説がありますね。ほとんどは、他の魚を見て人魚だと思ったようですが。」
「あくまで人間が言ったただの伝説です。」
 ばっさりといいきる倫子に、やはりイメージ通りなのだと思う。
「あの……こんな時に何ですけど。」
「はい?」
「サインをいただけませんか。」
 職員がこんなことを言うことはほとんどないだろう。本当にファンなのだ。倫子はそう思って本を置くと、バッグからペンを取りだした。すると女性もポケットからメモ用紙を取り出す。
「これでいいんですか?」
「本当は本にしてもらいたいけれど……今は持ってませんし。」
「しばらくここにいますから、声をかけてください。」
「あ……はい。」
 そういって女性は階段の方へ向かっていく。変な人だ。倫子はそう思いながら、また本に手を伸ばす。ファンなのは事実だろうに、メモ紙にサインをしてもらおうと思う人がいるだろうか。何でも良いという人はいるが、そんな人は初めて見た。

 あらかたの資料を集めて、一階に戻る。結局あの女性はこちらに来なかった。忙しいのにこちらまで気が回らなかったのだろう。仕方ない。こういうこともあると、倫子はカウンターへ向かった。
「すいません。こちらの資料を……。」
 すると先ほどの女性が、本を抱えてこちらをみた。
「あ、すいません。小泉先生。ちょっとそちらに行くことが出来なくて。」
「いいえ。コピーをしたいのですが。」
「はい。一部十円です。どのページをなさいますか。」
 手際よくコピーをしたいところに付箋を貼っていく。するとその女性に男性が声をかけた。
「芦刈さん。こっちの資料だけど……。」
「これはまだ検品していないので、ちょっと待ってください。」
「うん。わかった。」
「芦刈さん。」
 また違う人から声をかけられている。忙しそうだ。
「あの……何部したかあとで言いますから、そのときにお支払いしましょうか。」
「いいえ。こちらも仕事ですし、そういうわけにはいかないんですよ。」
 そういってまた付箋を貼る。その感じがどことなく春樹を想像させた。よく似ている人だと思う。
「少々お待ちください。」
 そういって女性は本を抱えて奥の部屋に入っていく。その間、倫子は目の前にある雑誌コーナーを見ていた。すると今月号の「月刊ミステリー」が置いてあり、その表紙に倫子と荒田夕の写真が載っていた。こうしてみると恥ずかしいモノがある。そう思って視線をそらせた。
「ねぇ……もしかしてさ……。」
「声かけてよ。」
 女性たちがひそひそと何か話している。だが倫子はそんな声には無視をして、雑誌のコーナーへ向かう。さすがに漫画は置いていないかと、周りを見渡した。
「お待たせしました。」
 先ほどの女性がクリアファイルにきちんとコピーしたモノを入れて持ってきた。
「あら。クリアファイルなんて……。」
「いいんです。多くコピーしていただいたし。」
「みなさんにしているんですか?」
「いいえ。私の私物です。」
「でしたら、これは結構です。」
 そういって倫子はそのクリアファイルをはずし、自分のバッグの中にあるファイルにその紙を閉じた。そしてそのクリアファイルを女性に手渡す。
「でしたら、そちらにサインをお願いしても良いですか。」
「……良いですよ。」
 そういってペンをバッグから取り出す。そしてさらさらと商業的なサインをした。
「お名前は。」
「芦刈真矢です。」
 そしてペンをしまって、クリアファイルを手渡す。
「ありがとうございます。」
 お金を払って、倫子は図書館をあとにする。その後ろ姿を見て、真矢は少しため息をついた。あの人が、春樹の恋人なのだ。派手で、アンニュイな美人だと思う。何より若い。ただ胸だけが大きな自分とは違うのだ。
「芦刈さん。サインもらったの?」
「あまり良くないのは知っていたけれど……どうしてもファンだったから。」
「良いなぁ。でも芦刈さん。小泉先生のずっとファンだったものね。」
「実際に見ると相当美人よね。スタイル良いし。でもあの入れ墨すごい。ヤンキーみたい。」
「……普通の女性ですよ。たぶん。」
 無碍に人を殺すような文章を書いているどうしようもないサディストを想像したが、実際話せば普通の女性だった。しかし春樹と不倫をしていたのだ。それがやるせない。
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