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血縁
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今年に入って高柳明日菜は、挨拶周りをしている。明日菜を指名してくれる企業に、会社を辞めて違う会社に移ることを告げているのだ。そのほとんどは「office queen」の名前で明日菜を指名していたらしく、社長の上岡富美子の元にはこっそりメッセージで、「他の社員を紹介してほしい」と告げられている。あまり会社を移っても明日菜について行くような企業はなさそうだ。
会社にとってはそれで良いのかも知れないが、明日菜は大学を卒業してからずっとここにいる。馬鹿を見させたくはないと思うが、秘書に言わせれば「それはそれで仕方がない」のだという。
「……どうしたもんかしらね。」
最近の頭痛の種だ。明日菜が居なくなればその代わりはいるだろう。だがこれ以上はお節介だ。
ちらっとデスクで作業をしている伊織をみた。ホワイトデーのためのチラシを考えているらしい。そしてこの間は、本の表装をしていた。もし伊織が辞めると言えば、そっちの方が辛い。本当に伊織についている顧客は明日菜と違って多い。これだけ持っていれば、独立をしないのかという声も挙がるだろう。だが伊織にその気はない。
「んー。」
手を止めて、また考え込んでいる。それを見て、富美子は立ち上がると伊織の席へ向かった。
「富岡君。ちょっと良い?」
「はい。」
画面をスリープ状態にして、伊織は立ち上がると富美子のあとをついてオフィスの外に出た。その様子を見て、他の社員がこそこそと話を始める。
「富岡君。また呼ばれたよ。」
「社長のお気に入りだもんな。」
まんべんなく富美子は社員に接しているつもりだが、どうしても男の社員と女の社員では扱いが違うと言われがちだ。特に伊織はバランスがとれている体つきをしているし、顔だってどこかの俳優やモデルにいるかも知れないような端正な顔をしている。富美子が女だから、そういわれるのも仕方ないのかも知れない。
ビルの下にある自動販売機でコーヒーを買うと、伊織もまたそれに習った。
「高柳さんのことだけど。」
「この間からその話題ばっかですね。別に出たいって言うんだったらそれで良いと思いますけど、なんか不満なんですか。」
「出ても馬鹿を見るのが目に見えているから。」
缶コーヒーの蓋を開けて、伊織はため息をつく。
「それはそれで高柳が馬鹿を見るだけです。別に……。」
「一緒に働いていてもその程度の感情しかわかない?」
「……。」
ずっと無視をしていた感情だった。しかしこうなれば口を挟まないという選択肢はない。
「……わかないです。それに俺、好きな人が居るんです。」
「彼女と別れたっていっていたのに?」
「ずっと好きでした。」
いつか女性と歩いていたところを見たことがある。彼女だと言っていた人とは、だいぶかけ離れていた人で派手な美人だった。そして横にいる伊織も、普段と表情がまるで違う。おそらくその女が好きなのだ。
「そう……。付き合っていた子も、可愛そうね。当て馬にされたんでしょう?」
「そうとられても仕方ないです。」
コーヒーを口に入れる。温かいだけが取り柄のコーヒーだ。一人ならこれで十分かも知れない。
今は周りに人がいる。泉が淹れたコーヒーが好きだ。そして倫子の淹れたお茶も美味しい。だがその茶葉は春樹の実家のモノだ。そう思うとやるせなくなる。
そのときだった、ビルに近づいてくる女性二人が富美子の目に留まった。それは明日菜と、もう一人、グレーのスーツに身を包んだ女性だった。
「高柳さん。」
明日菜もすぐに富美子と伊織の姿に気がついた。そして女性と手を振って別れる。
「……お疲れさまです。」
「企業さん?」
「はい。ちょうどこっちの方に用事があったから、一緒したんです。」
「そう……。高柳さんもコーヒーを飲まないかしら。」
「企業さんの所でいただいたばかりなので、大丈夫です。」
伊織の方を見ようともしない。そして伊織も明日菜の方を見ていなかった。だがすぐに伊織はコーヒーを手にしたままその場を離れる。
「綾子。」
さっきのグレーのスーツの女性だ。女性は振り返って伊織を見る。その表情に驚いたようだった。
「伊織……。」
綾子といわれた女性は気まずそうに伊織を見ていた。
明日菜が行くという会社を見て、違和感を持っていた。だが今日、綾子を見てそれは確信に変わる。
「ヤクザの企業ですね。あの会社。」
明日菜は細かく震えながらその話を聞いていた。
「デザインを手がけているのは、おそらく風俗関係が多いはずです。あぁいうのは数こなさないといけない。当然ブラックだと思います。」
富美子はタブレットでホームページを見ながらうなづいた。他の社員もその話を聞いている。
「出来るならうちもヤクザとは仕事をしたくないとは思っていたけれどね。」
「年末のヤツは却下されて良かったです。」
秘書はそういってパソコンの画面を見ていた。
「おそらく使えないと思えば、違う名目で借金を負わせる。当然働いても返せるわけがない。となるとそのヤクザがやるキャバクラとか風俗とかで働かせる。それが狙いでしょう。」
「高柳さん。今からでも断れる?」
「……でも……。」
「高柳。契約書にサインとかしたのか。」
伊織が聞くと、明日菜は震える手を押さえながらわずかにうなづいた。それを見て富美子はため息をつく。
「どうしたもんかしらね。契約書のサインをしているのだったら、今更取り消せないとか言うかしら。」
「姉に連絡をしてみましょう。相談できますから。」
「弁護士をしていると言っていたわね。頼める?」
「そういうのをずっとしていたから大丈夫だと思います。けど……高柳。余分な金はあるか?」
「ある程度なら。」
「姉も商売だから。ボランティアじゃしてくれないし。」
伊織はそういって携帯電話を取り出すと、少し離れて話を始めた。その様子を見て、明日菜はため息をつく。借りを作る気なんか無かった。だがこのままキャバクラや風俗に勤める気もない。結局伊織に追いつくことは出来ないと言われているようだった。
「何とかなりそうです。」
電話を切った伊織はそういってまた明日菜の所に戻ってきた。
「良かった。」
「でも……富岡君。なんであの女性をみただけで、ヤクザだってわかったの?」
すると伊織は頭をかいて言う。
「あいつ地元が一緒なんですよ。近くにいるってこの間、同級生から聞いてたんですけど……あまり素行が良くないって聞いてて。それに、グレーのスーツ着てたけど首のあたりに入れ墨が見えた。」
「入れ墨?」
椿の入れ墨だった。それを淹れる意味を綾子は知っていて入れていた。間違いなく綾子はヤクザの関係者で、明日菜を売ろうとしていたのだ。
会社にとってはそれで良いのかも知れないが、明日菜は大学を卒業してからずっとここにいる。馬鹿を見させたくはないと思うが、秘書に言わせれば「それはそれで仕方がない」のだという。
「……どうしたもんかしらね。」
最近の頭痛の種だ。明日菜が居なくなればその代わりはいるだろう。だがこれ以上はお節介だ。
ちらっとデスクで作業をしている伊織をみた。ホワイトデーのためのチラシを考えているらしい。そしてこの間は、本の表装をしていた。もし伊織が辞めると言えば、そっちの方が辛い。本当に伊織についている顧客は明日菜と違って多い。これだけ持っていれば、独立をしないのかという声も挙がるだろう。だが伊織にその気はない。
「んー。」
手を止めて、また考え込んでいる。それを見て、富美子は立ち上がると伊織の席へ向かった。
「富岡君。ちょっと良い?」
「はい。」
画面をスリープ状態にして、伊織は立ち上がると富美子のあとをついてオフィスの外に出た。その様子を見て、他の社員がこそこそと話を始める。
「富岡君。また呼ばれたよ。」
「社長のお気に入りだもんな。」
まんべんなく富美子は社員に接しているつもりだが、どうしても男の社員と女の社員では扱いが違うと言われがちだ。特に伊織はバランスがとれている体つきをしているし、顔だってどこかの俳優やモデルにいるかも知れないような端正な顔をしている。富美子が女だから、そういわれるのも仕方ないのかも知れない。
ビルの下にある自動販売機でコーヒーを買うと、伊織もまたそれに習った。
「高柳さんのことだけど。」
「この間からその話題ばっかですね。別に出たいって言うんだったらそれで良いと思いますけど、なんか不満なんですか。」
「出ても馬鹿を見るのが目に見えているから。」
缶コーヒーの蓋を開けて、伊織はため息をつく。
「それはそれで高柳が馬鹿を見るだけです。別に……。」
「一緒に働いていてもその程度の感情しかわかない?」
「……。」
ずっと無視をしていた感情だった。しかしこうなれば口を挟まないという選択肢はない。
「……わかないです。それに俺、好きな人が居るんです。」
「彼女と別れたっていっていたのに?」
「ずっと好きでした。」
いつか女性と歩いていたところを見たことがある。彼女だと言っていた人とは、だいぶかけ離れていた人で派手な美人だった。そして横にいる伊織も、普段と表情がまるで違う。おそらくその女が好きなのだ。
「そう……。付き合っていた子も、可愛そうね。当て馬にされたんでしょう?」
「そうとられても仕方ないです。」
コーヒーを口に入れる。温かいだけが取り柄のコーヒーだ。一人ならこれで十分かも知れない。
今は周りに人がいる。泉が淹れたコーヒーが好きだ。そして倫子の淹れたお茶も美味しい。だがその茶葉は春樹の実家のモノだ。そう思うとやるせなくなる。
そのときだった、ビルに近づいてくる女性二人が富美子の目に留まった。それは明日菜と、もう一人、グレーのスーツに身を包んだ女性だった。
「高柳さん。」
明日菜もすぐに富美子と伊織の姿に気がついた。そして女性と手を振って別れる。
「……お疲れさまです。」
「企業さん?」
「はい。ちょうどこっちの方に用事があったから、一緒したんです。」
「そう……。高柳さんもコーヒーを飲まないかしら。」
「企業さんの所でいただいたばかりなので、大丈夫です。」
伊織の方を見ようともしない。そして伊織も明日菜の方を見ていなかった。だがすぐに伊織はコーヒーを手にしたままその場を離れる。
「綾子。」
さっきのグレーのスーツの女性だ。女性は振り返って伊織を見る。その表情に驚いたようだった。
「伊織……。」
綾子といわれた女性は気まずそうに伊織を見ていた。
明日菜が行くという会社を見て、違和感を持っていた。だが今日、綾子を見てそれは確信に変わる。
「ヤクザの企業ですね。あの会社。」
明日菜は細かく震えながらその話を聞いていた。
「デザインを手がけているのは、おそらく風俗関係が多いはずです。あぁいうのは数こなさないといけない。当然ブラックだと思います。」
富美子はタブレットでホームページを見ながらうなづいた。他の社員もその話を聞いている。
「出来るならうちもヤクザとは仕事をしたくないとは思っていたけれどね。」
「年末のヤツは却下されて良かったです。」
秘書はそういってパソコンの画面を見ていた。
「おそらく使えないと思えば、違う名目で借金を負わせる。当然働いても返せるわけがない。となるとそのヤクザがやるキャバクラとか風俗とかで働かせる。それが狙いでしょう。」
「高柳さん。今からでも断れる?」
「……でも……。」
「高柳。契約書にサインとかしたのか。」
伊織が聞くと、明日菜は震える手を押さえながらわずかにうなづいた。それを見て富美子はため息をつく。
「どうしたもんかしらね。契約書のサインをしているのだったら、今更取り消せないとか言うかしら。」
「姉に連絡をしてみましょう。相談できますから。」
「弁護士をしていると言っていたわね。頼める?」
「そういうのをずっとしていたから大丈夫だと思います。けど……高柳。余分な金はあるか?」
「ある程度なら。」
「姉も商売だから。ボランティアじゃしてくれないし。」
伊織はそういって携帯電話を取り出すと、少し離れて話を始めた。その様子を見て、明日菜はため息をつく。借りを作る気なんか無かった。だがこのままキャバクラや風俗に勤める気もない。結局伊織に追いつくことは出来ないと言われているようだった。
「何とかなりそうです。」
電話を切った伊織はそういってまた明日菜の所に戻ってきた。
「良かった。」
「でも……富岡君。なんであの女性をみただけで、ヤクザだってわかったの?」
すると伊織は頭をかいて言う。
「あいつ地元が一緒なんですよ。近くにいるってこの間、同級生から聞いてたんですけど……あまり素行が良くないって聞いてて。それに、グレーのスーツ着てたけど首のあたりに入れ墨が見えた。」
「入れ墨?」
椿の入れ墨だった。それを淹れる意味を綾子は知っていて入れていた。間違いなく綾子はヤクザの関係者で、明日菜を売ろうとしていたのだ。
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