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褐色
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普段、赤塚大和は店のヘルプへ行くこともあるが、本来の仕事は人事部だった。店舗の監査役のようなことから、社員の育成まで幅広くやっている。口は悪いが、人に慕われているところが買われているのだろう。
のんびり机についてパソコンを見るのは会社に帰ってきてから。ほとんど帰ってしまったオフィスで、今度の新人の選考をしていた。
「んー……。」
ヘッドハンティングをして入れる人材も居たが、重荷は今度大学を卒業したもの、もしくはバイトをしていてそのまま正社員になるものだ。その中のどれくらいの人が夏までここにいるのだろう。本来、この会社は飲料メーカーになる。コーヒーや紅茶などの卸売りをしていた。カフェはおまけみたいなものだ。
だがカフェ部門はそろそろこの会社の中核になる。そのためにはもっとカフェのことやバリスタを育成させないといけない。店長クラスの人材には焙煎の仕方やコーヒーの入れ方などの指導は行き渡っているが、それも自分でアレンジしたものが多い。川村礼二がそうしているように、店舗によって味はバラバラだ。
「一度話をしてみないといけないかなぁ。」
きっとあの女は「その店舗に合わせたコーヒーを淹れているのだし、それでお客様が付いているのだったらそれでいい」と言うはずだ。だがわずかなずれは、この会社の大きな溝になる。何とか統一しないといけないだろう。
「監査を入れるように言うか。」
定期的にそうやって監査役に店舗を見に行かせれば、割と統一できるだろう。そのためには上司に言わないといけない。今の上司は頭が固いので、どこまでしてくれるかわからないが。
「失礼します。」
もう仕事を終えてパソコンを切ったとき、入り口から聞き覚えのある声がしてそちらをみる。底には泉の姿があった。
「赤塚さん。」
まっすぐに泉が駆け寄ってくる。すると大和は少し笑って泉を見た。
「限定スイーツの開発に来てたのか?」
「えぇ。形になりましたよ。明日、部長の方から案が来るはずです。」
サクランボを使ったスイーツだという。コーヒーと言うよりも紅茶の方が合いそうな気がする。
「これ。」
そう言って泉は手に持っていた紙袋を一つ、大和に手渡した。
「何?今日バレンタインデーだから?」
泉が用意したのかと思った。同じ残業をしていた人たちが驚いて、大和たちをみる。そんなに仲が良くなったのかと思ったのだ。
「私からじゃないです。今日のお客様達から。」
受け取った紙袋には数個の綺麗にラッピングされた小さな箱が数個ある。
「貰ってもお返しなんか出来ねぇよ。」
「私だってそうですよ。」
「何?お前も貰ったの?」
その言葉に隣の男が思わず笑い出す。その反応に泉は抗議するように言った。
「好きで貰ったんじゃないんです。」
「わかってるよ。阿川さん。そっちの店の評判はこっちにも届いているから。」
礼二が休みの日は、どこから聞いたのか女性客が多い。泉と大和が働いていると、美形の男同士が働いている店と勘違いされるのだ。そしてその仲は、男同士の恋人同士のように感じるらしい。二人にとってははた迷惑だ。
それでも売り上げは徐々に良くなっている。
「きっかけは何でもいい。この店のコーヒーが知られるきっかけになればいいんだ。」
不満そうな泉に、隣の男が声をかける。
「そうそう。それでコーヒーの美味しさに気が付いて、常連になってくれればいいんだから。」
倫子だってそうだった。ほとんど倫子はメディアに出ることはなかったのに、去年の年末に発売された「月刊ミステリー」での特集で、荒田夕との対談を掲載した。その倫子の容姿に、また過去作が重版がかかったらしい。見た目というのは、重要なのかもしれない。
「明日、あんた休みだっけ。」
「はい。」
「だったら静かなもんだな。川村店長とだと俺、何も言われないし。」
「何で真正の男同士では言われないんですかね。」
「そりゃ、川村店長が老けてるからだろ?」
「ひどい。」
泉はぷっと頬を膨らませると、夕は少し笑って飲んでいたカップを手にする。
「俺、もう今日は帰るからさ、一緒に駅に行こうぜ。」
「え?」
「どうせ終電だろ?この間、またレイプ魔が出たらしいしさ。あんた、この評判で自覚は無いかもしれないけど一応女なんだし。」
「一応は余計です。」
ぎゃあぎゃあと二人が言い合いをしているのを見て、隣の男は少し笑う。大和もまた、柔軟になったと思っていたのだ。
中卒でここまで上がってきた男だ。この会社はあまり学歴を見ないところがあって、キャリアや実力次第では上に上がることが出来る。社長がそうだ。
だが大和にとってはコンプレックスだったに違いない。ことあるごとに「学がない」とか「バカだから」とかと言っていたが、そんなことを気にしなくても十分やっていけるのにと思っていたのだ。
すっかり夜が更けて、吐く息が白い。マフラーを泉は口元に上げると、大和は少し笑った。
「何ですか?」
「温かそうだなと思って。それ、マフラーじゃなくてショールか?」
「駅に自転車を置いているんです。寒いから、厚着もしないと。」
「風邪なんか引かれたら困る。俺あの店に出っぱなしになるし。」
「イヤですか?」
泉がそう聞くと、大和は首を横に振った。
「んにゃ、別に。いい店になったな。会社のコンセプトにも合ってるし。本屋と提携したのは良かった。」
最初はどうかと思っていた。だが確かにおいしいコーヒーと好きな本に没頭できる時間というのは貴重だ。非日常の空間を作ることが出来る。
「この後川村店長の所に行くのか?」
遅くなってしまったが、礼二は起きているのだろうか。思った以上に遅くなってしまったので迷惑にならないかと思っていたが、礼二は気にしなくても良いから来て欲しいとメッセージが送られてきた。
「にやつくなよ。」
「え?にやついてました?」
「ったく……そんなに良いもんかね。一日中顔をあわせてんのに、また会うなんて。」
「赤塚さんは恋人は居ないんですか?」
「いねぇな。遊ぶ相手なら居るけど。」
遊びで抱いている女がいる。それはきっとセフレみたいなものだ。本気になんかなったことがないのだろうか。
「遊び……。」
「風俗に行くよりは金もかかんねぇし、お互い割り切ってるから良いだろ?」
「そんなものなんですかね。」
好きになったから礼二に抱かれた。礼二以外の男に抱かれたくもない。その感覚だったのに、好きではない女を抱ける大和の感覚がよくわからない。
「俺、そんなんばっかだから。」
「セフレばかりってことですか?」
「……昔、結婚したい女が居たんだよ。ここにバイトに入ってたときの先輩。何年かして俺が社員になって、豆の買い付けに海外を飛び回ってた間に、他の男と出来てさ。」
「距離があると心も離れるんですかね。」
「だと思うよ。帰ってきたら結婚したい相手が居るっていわれてさ。待ってくれていると思ってたのにな。」
「……。」
「女がさ、俺には将来が見えないっていわれたよ。中卒だから、会社の良いような小間使いにされているって。」
「そんなの関係ない。」
「今は、俺もそう思うよ。あの会社は学歴なんかでみないし。本社勤務になってるしさ。でもあのとき単純だったのかな。俺もそうかもしれないって思って、別れたんだ。そっから遊びばっか。」
やけになっているように見えた。そしてその姿に礼二を重ねる。礼二もまたやけになっていた。自分に子供は出来ないのに、子供が出来たと思ったら他の人の子供だったのだ。
「この会社はいい会社だよ。お前に開発部に来て欲しいっていったのも、お前が製菓の学校に行ってないとかバリスタだけの資格しか持ってないとか、そんなの関係なくお前が欲しいって思ったんだろ。それだけ経歴よりも実力を見てるんだ。」
「……。」
「俺も協力できることはしてやるから、しっかりやってくれよ。」
「はい。」
希望がもてた。そして嬉しかった。自分の選んだ道が正しかったと今は思える。そしてその隣に、礼二が居てくれたらもっと嬉しい。
のんびり机についてパソコンを見るのは会社に帰ってきてから。ほとんど帰ってしまったオフィスで、今度の新人の選考をしていた。
「んー……。」
ヘッドハンティングをして入れる人材も居たが、重荷は今度大学を卒業したもの、もしくはバイトをしていてそのまま正社員になるものだ。その中のどれくらいの人が夏までここにいるのだろう。本来、この会社は飲料メーカーになる。コーヒーや紅茶などの卸売りをしていた。カフェはおまけみたいなものだ。
だがカフェ部門はそろそろこの会社の中核になる。そのためにはもっとカフェのことやバリスタを育成させないといけない。店長クラスの人材には焙煎の仕方やコーヒーの入れ方などの指導は行き渡っているが、それも自分でアレンジしたものが多い。川村礼二がそうしているように、店舗によって味はバラバラだ。
「一度話をしてみないといけないかなぁ。」
きっとあの女は「その店舗に合わせたコーヒーを淹れているのだし、それでお客様が付いているのだったらそれでいい」と言うはずだ。だがわずかなずれは、この会社の大きな溝になる。何とか統一しないといけないだろう。
「監査を入れるように言うか。」
定期的にそうやって監査役に店舗を見に行かせれば、割と統一できるだろう。そのためには上司に言わないといけない。今の上司は頭が固いので、どこまでしてくれるかわからないが。
「失礼します。」
もう仕事を終えてパソコンを切ったとき、入り口から聞き覚えのある声がしてそちらをみる。底には泉の姿があった。
「赤塚さん。」
まっすぐに泉が駆け寄ってくる。すると大和は少し笑って泉を見た。
「限定スイーツの開発に来てたのか?」
「えぇ。形になりましたよ。明日、部長の方から案が来るはずです。」
サクランボを使ったスイーツだという。コーヒーと言うよりも紅茶の方が合いそうな気がする。
「これ。」
そう言って泉は手に持っていた紙袋を一つ、大和に手渡した。
「何?今日バレンタインデーだから?」
泉が用意したのかと思った。同じ残業をしていた人たちが驚いて、大和たちをみる。そんなに仲が良くなったのかと思ったのだ。
「私からじゃないです。今日のお客様達から。」
受け取った紙袋には数個の綺麗にラッピングされた小さな箱が数個ある。
「貰ってもお返しなんか出来ねぇよ。」
「私だってそうですよ。」
「何?お前も貰ったの?」
その言葉に隣の男が思わず笑い出す。その反応に泉は抗議するように言った。
「好きで貰ったんじゃないんです。」
「わかってるよ。阿川さん。そっちの店の評判はこっちにも届いているから。」
礼二が休みの日は、どこから聞いたのか女性客が多い。泉と大和が働いていると、美形の男同士が働いている店と勘違いされるのだ。そしてその仲は、男同士の恋人同士のように感じるらしい。二人にとってははた迷惑だ。
それでも売り上げは徐々に良くなっている。
「きっかけは何でもいい。この店のコーヒーが知られるきっかけになればいいんだ。」
不満そうな泉に、隣の男が声をかける。
「そうそう。それでコーヒーの美味しさに気が付いて、常連になってくれればいいんだから。」
倫子だってそうだった。ほとんど倫子はメディアに出ることはなかったのに、去年の年末に発売された「月刊ミステリー」での特集で、荒田夕との対談を掲載した。その倫子の容姿に、また過去作が重版がかかったらしい。見た目というのは、重要なのかもしれない。
「明日、あんた休みだっけ。」
「はい。」
「だったら静かなもんだな。川村店長とだと俺、何も言われないし。」
「何で真正の男同士では言われないんですかね。」
「そりゃ、川村店長が老けてるからだろ?」
「ひどい。」
泉はぷっと頬を膨らませると、夕は少し笑って飲んでいたカップを手にする。
「俺、もう今日は帰るからさ、一緒に駅に行こうぜ。」
「え?」
「どうせ終電だろ?この間、またレイプ魔が出たらしいしさ。あんた、この評判で自覚は無いかもしれないけど一応女なんだし。」
「一応は余計です。」
ぎゃあぎゃあと二人が言い合いをしているのを見て、隣の男は少し笑う。大和もまた、柔軟になったと思っていたのだ。
中卒でここまで上がってきた男だ。この会社はあまり学歴を見ないところがあって、キャリアや実力次第では上に上がることが出来る。社長がそうだ。
だが大和にとってはコンプレックスだったに違いない。ことあるごとに「学がない」とか「バカだから」とかと言っていたが、そんなことを気にしなくても十分やっていけるのにと思っていたのだ。
すっかり夜が更けて、吐く息が白い。マフラーを泉は口元に上げると、大和は少し笑った。
「何ですか?」
「温かそうだなと思って。それ、マフラーじゃなくてショールか?」
「駅に自転車を置いているんです。寒いから、厚着もしないと。」
「風邪なんか引かれたら困る。俺あの店に出っぱなしになるし。」
「イヤですか?」
泉がそう聞くと、大和は首を横に振った。
「んにゃ、別に。いい店になったな。会社のコンセプトにも合ってるし。本屋と提携したのは良かった。」
最初はどうかと思っていた。だが確かにおいしいコーヒーと好きな本に没頭できる時間というのは貴重だ。非日常の空間を作ることが出来る。
「この後川村店長の所に行くのか?」
遅くなってしまったが、礼二は起きているのだろうか。思った以上に遅くなってしまったので迷惑にならないかと思っていたが、礼二は気にしなくても良いから来て欲しいとメッセージが送られてきた。
「にやつくなよ。」
「え?にやついてました?」
「ったく……そんなに良いもんかね。一日中顔をあわせてんのに、また会うなんて。」
「赤塚さんは恋人は居ないんですか?」
「いねぇな。遊ぶ相手なら居るけど。」
遊びで抱いている女がいる。それはきっとセフレみたいなものだ。本気になんかなったことがないのだろうか。
「遊び……。」
「風俗に行くよりは金もかかんねぇし、お互い割り切ってるから良いだろ?」
「そんなものなんですかね。」
好きになったから礼二に抱かれた。礼二以外の男に抱かれたくもない。その感覚だったのに、好きではない女を抱ける大和の感覚がよくわからない。
「俺、そんなんばっかだから。」
「セフレばかりってことですか?」
「……昔、結婚したい女が居たんだよ。ここにバイトに入ってたときの先輩。何年かして俺が社員になって、豆の買い付けに海外を飛び回ってた間に、他の男と出来てさ。」
「距離があると心も離れるんですかね。」
「だと思うよ。帰ってきたら結婚したい相手が居るっていわれてさ。待ってくれていると思ってたのにな。」
「……。」
「女がさ、俺には将来が見えないっていわれたよ。中卒だから、会社の良いような小間使いにされているって。」
「そんなの関係ない。」
「今は、俺もそう思うよ。あの会社は学歴なんかでみないし。本社勤務になってるしさ。でもあのとき単純だったのかな。俺もそうかもしれないって思って、別れたんだ。そっから遊びばっか。」
やけになっているように見えた。そしてその姿に礼二を重ねる。礼二もまたやけになっていた。自分に子供は出来ないのに、子供が出来たと思ったら他の人の子供だったのだ。
「この会社はいい会社だよ。お前に開発部に来て欲しいっていったのも、お前が製菓の学校に行ってないとかバリスタだけの資格しか持ってないとか、そんなの関係なくお前が欲しいって思ったんだろ。それだけ経歴よりも実力を見てるんだ。」
「……。」
「俺も協力できることはしてやるから、しっかりやってくれよ。」
「はい。」
希望がもてた。そして嬉しかった。自分の選んだ道が正しかったと今は思える。そしてその隣に、礼二が居てくれたらもっと嬉しい。
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