守るべきモノ

神崎

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海岸

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 帰りの電車で、泉はバッグに入っているコーヒー豆をちらっと見た。コーヒーの匂いが車内に漏れているかも知れない。それを危惧したのだが、あまり込んでいない車内はそんなことを気にしていないようだ。
「匂いが漏れてんな。」
 隣に座っている赤塚大和が声をかける。それだけ香りが高いコーヒー豆なのだ。
「そうですね。でも……あそこまで予想していると思わなかった。」
 「ヒジカタカフェ」のドリンクメニューの監修をしている女性の所へ、大和と泉は二人で訪れたのだ。
 郊外にある平凡な住宅街の片隅にある三階建ての建物。それがその女性の店だった。一階が店舗になっていて、二階以降は住居になっているらしい。
 店は古い喫茶店といった感じだった。女性の他には泉よりも若い男の子が働いていて、てっきりその二人が夫婦だと思ったが二階から出てきた背の高くてがたいの良いリーゼントの男が、女性の旦那さんだという。そして小学生の子供が二人。仲の良い夫婦に見えた。
 普通の女性だと思っていた。だがあらかじめ送っておいたカップケーキのレシピを見て、あらかじめコーヒーを焙煎していたのだという。その上、泉の持ってきたカップケーキにアドバイスをしてきたのだ。とても為になったと思う。
「焙煎の仕方とか、全部書いてあるんですね。」
「それで同じ物を作れってことだな。カップケーキは生地を寝かせない方がいいのか。」
「馴染むからそっちの方が良いと思ったんですけどね。カップケーキというよりスコーンに近い感じになるかな。」
「スコーンってざっくり混ぜた方がいいんだろ?」
「そうですね。ヨーロッパの方では、アフタヌーンティーで良く出てくるものですし、ジャムとかクロテッドクリームとかと一緒に食べるみたいだから、そっちの方が美味しいかも。」
 ピューレを中に仕込んでいたのだが、女性は外に添えた方が良いと言ってきたのだ。固めに仕込めば、クリームが垂れることもなく紅茶とも良く合うだろうと言うことだ。
「明日、また本社に行って作ってみます。」
「そうだな。それで完成かな。」
 それにしても良い店だった。古い喫茶店の雰囲気があり、コーヒーにこだわることもなく種類は少ないが食事も楽しむことが出来る。特にトマトソースのパスタは美味しそうだった。
「今度、個人的にあの店に行きたいです。」
「行ってやれ。あの人も喜ぶだろうよ。それに、お前は気に入られた方だし。」
「え?」
「お前、ジャムを持って行っただろ?」
「ハッサクのジャムですか?」
 春樹の実家から送られてきたハッサクを、休みの日にジャムにしておいたのだ。マーマレードは手がかかるので、あまり作りたくなかったが長期で保存するのには向いている。
 基本、倫子の家では朝食は和食だが、たまに伊織がパンを買ってくることがあってそのときはパンと目玉焼きやヨーグルトの朝食になる。
 そのときハッサクのジャムを添えたら、倫子が喜んでいたのを覚えていて、それを瓶に詰めて別にお土産として女性に持って行った。すぐに笑顔になり、一緒にいた旦那さんも一緒に働いている男も美味しいと絶賛していたのだ。そこまで言われるといい気分になる。
「あれ、結構気に入ってたみたいだし。」
「作り方を教えて欲しいって言われたんですよ。でも特段変わった物を使っているわけじゃないのに。」
「上白糖を使ってねぇのがいいんだよ。あれ蜂蜜?」
「主は氷砂糖です。蜂蜜も入っているけど。イチゴなんかでジャムを作るときも、氷砂糖と入れておくと浸透圧で汁が沢山出てくるからそれで煮たんです。」
「ふーん。すげぇな。そういうの好きなんだな。」
「好きですよ。」
 その言葉に大和は少しドキッとした。自分に言われているのかと勘違いする。
「出来れば漬け物なんかも作りたい。地元で、漬け物を作ってるんです。高菜漬けが特に美味しいですよ。」
「焼きめしにしたいな。」
「それもすごい美味しいんです。ちりめんじゃこと高菜の焼きめしを休みの日に作るんですけど、倫子って食が細いのにあれだけはぺろっと食べてしまうから。」
「俺にも食べさせてよ。」
「今度作って持って行きますよ。あぁ、でもあの町で食べた牡蠣フライも美味しかったですね。」
「牡蠣はもう終わりだな。シーズン終わりに食えて良かった。」
 泉は意識していないのだろうか。こんなに近くにいて、二人きりで、手を伸ばせば引き寄せられる距離にいるのに、取り出したそのコーヒーのレシピのメモをずっと見ている。
 デートのような時間だ。大和はそう思いながら、流れる景色を見ていた。何とかこの時間を引き延ばしたい。せっかく礼二が居ないのだ。
「それ見せて。」
 ケーキのレシピが書いているメモを泉から受け取って見る。提案したカップケーキは生地をいったん寝かせるのだが、女性が言うには生地を寝かせる必要もなく混ぜすぎずざっくり作るらしい。ほとんどスコーンの作り方で、泉たちが持ってきたモノをアレンジしたとはいってもほとんど別物かも知れない。
 もしかしたら反感を買うかも知れないのだ。それは泉たちと一緒に作っていた開発部の連中が、夜遅くまで残って完成させたのを一掃したと取る者も出てくるかも知れない。
 それに夜に生地を作っておけば、朝は焼くだけだ。夜の仕込みはちょっと手が空いたときに出来るが、朝に仕込むとなれば少し早く出勤をしないといけない。それで店舗から不満が出るかも知れないのだ。
「んー……。阿川さぁ。」
「どうしました?」
「コレってうちらが提案したモノを一掃しているよな。」
「別にそう思いませんけど。」
 泉はけろっとそういった。
「何で?」
「生地に使う小麦粉も、バターも一緒だし、材料を変えろっていう訳じゃないですよね。ピューレも固めに仕上げて、付け加えるのはクロテッドクリームくらい。」
 資料を手にして、自分たちの作ったデザートと見比べる。
「見た目は違うかも知れないけれど、私はこっちの方が良いと思います。もし開発部で「いいや。私たちが作った方を売り出して欲しい」という意見が出るならば、同時に作ってみて意見を取ればいいと思いますけど。」
「そうか?」
「民主主義は、意見が割れたら多数決ですよね。」
「……まぁ、それでごたごたが起きなきゃ良いよ。」
 大和はそういってその資料を見比べる。おそらく女性が考えたケーキはさくっとしているはずだ。それに対して、泉たちが考えたのはしっとりしている。どっちが良いかなど、わからない。
「ん……あ……すいません。ちょっと電話が……。」
 そういって泉は携帯電話を取り出す。どうやらメッセージのようだ。嬉しそうにそれを返信すると、またポケットに携帯電話を入れる。
「川村店長か?」
「あ……違います。」
 それ以上は言わなかった。言う必要もないと思っているのだろうか。
「次の駅で降りよう。」
 すると泉は驚いたように大和を見る。
「まだ先ですよ。」
「良いから降りろ。」
 聞いたこともない駅の名前が車内に響いた。そしてゆっくり電車が止まると、大和は泉を引きずるように電車を降りるように誘導した。
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