古い家の一年間

神崎

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 煙草を手にして階段を下りる。すでに換気扇の音がして、煙草の匂いがする。もう律がいるのだろう。
「律。」
「聞いてた。」
 狭いキッチンに入り、私は律と並んで煙草に火をつけた。
「…別に楓に言っても良かったのに。」
「そんなこと言えないわ。」
「まぁ、言いにくいか。」
 キッチンの奥には小さな窓がある。それを彼が開けると、温い風が通っていくようだった。
「ここは暑いな。」
「そうね。暑い時期もきっと長いわね。」
「あの町に比べると、だな。」
「うん。」
「でもあの町は寒かった。」
 二人で縮こまり、寒い。寒い。と抱き合ったこともある。それは小学生の頃だった。
「ねぇ。律。」
「どうした。」
「あなた春にこのピアスを私にくれたわ。」
「うん。」
「今ならその理由がわかるの。」
「…。」
「忘れようとしていたのに、昔のことなんて。楓にあんなことを言ったからかしら、思い出してしまったわ。」
「思い出を思い出させたのが、そのピアスではなく楓がきっかけというのは少し妬ける。」
 律はそう言って煙を吐き出して、煙草を消した。
「…大丈夫か?」
「大丈夫。」
「顔色が悪い。」
「…。」
「一度部屋に戻るか。」
「いいわ。自分で戻れるから。」
 まだ煙草は吸えるが、それを消すと私はそのキッチンから立ち去ろうとした。しかしヨロケてしまい、律の体によりかかってしまった。
「ごめん。」
「いいや。やはり部屋まで送る。」
「いいえ。大丈夫。だって…これくらい耐えなければ、生きれないわ。」
 私はそう言うと足を踏ん張り、階段を上がっていく。
「周。」
 声をかけられ、振り返った。
「手は差し伸べている。それをいつつかむのはお前次第だ。そしてどの手をつかむのかもお前次第だ。」
 律はそう言って換気扇を消すと、風呂場へ行ってしまった。
 わかっている。みんなが手を差し伸べているのも知っている。でもそれをつかむわけにはいかない。

 その日も暑い日だった。天気予報は、連日「高温注意報」を叫んでいる。
 クーラーがきいているオフィスならともかく、外にでている人たちは大変だろう。案の定、夕方帰ってきた律はまるでシャワーを浴びたように汗だくだった。それはそのあと帰ってきた江口君も同じようなもので、こちらの方がスーツなのでさらに暑そうだ。
「お茶は飲みました?」
 気を使って私はお茶を多めに作っておき、外に出る人のために水筒を持たせたのだ。
「あぁ。空だ。」
 そう言って律は私に水筒を差し出した。
「お茶、冷蔵庫にまだ余ってますから、飲んで編集作業したらどうですか。」
「あぁ。一杯もらおう。江口君も飲まないか。」
「もらいます。東野さんは?」
「あ、あたしももらうわ。」
 三人はキッチンの方へ向かっていく。
「まぁ外回りの人は、途中で何か買うことは出来るだろうけどね。」
 楓は最近、律に冷たい気がする。そうかもしれない。律と私には、楓に話せないことがある。その事実がこの間露呈したのだ。しかもそれを話すことは出来ない。そう私は言ってしまったから。
 だったら私を冷たくあしらえばいいのに、楓のターゲットはなぜか律になっている。
「…。」
 私は思わずこの間出た新刊の「サンライズ」を開いた。すると花火特集が目に飛び込む。
「花火ね…。脳天気だわ。」
「今度この辺でもあるわよね。」
 田宮さんがそう言うとふといいことを思いついた。
「田宮さんもお孫さんを連れて花火行くんですか。」
「花火ばかりは、子供夫婦が連れて行くみたい。お花見の時は、ちょうど子供夫婦がどちらも仕事だったから連れて行ったけれど、そんなにうまくはいかないわ。」
「そうですよね。」
「行きたいの?」
 特に花火に興味があるわけじゃない。だけど、このぎすぎすした空気を変えるにはどうすればいいか、これしかないのではないかと思っていたのだ。
「だったら社員寮の人たちで行けばいいわ。」
「どうでしょうね。みんな予定もあるし。」
 会社のみんなで行くと言えば、律も楓も行くと言うだろうけど四人となれば無理かもしれない。どうしたらいいだろう。
「お。花火ですか。この前の海岸でも花火するんですよね。」
 お茶を飲み終わった江口君が、汗を拭きながら私に話しかけてきた。
「そうですね。人が多そうだなぁ。」
「でもこの上で見たら人混みなんか関係ないでしょうね。うらやましいな。」
「江口君たち、花火ここに見にくる?」
「いいとは思うけど、ちょっとその日用事があって。」
「用事?」
「バンドのライブがあるんですよ。俺らが共通して好きなバンドの。」
 想像つかない。阿川さんもライブに行くなんて。ちらりと阿川さんを見ると、彼女はこちらを見ずにパソコンに向かっていた。
「そう。それは残念ね。」
「なになに?花火?」
 すると奥から光もやってきた。
「見たいなーって思ってただけで…。」
「あたしもみたいわ。この上からだったら綺麗に見えるわよ。ね?社長。」
 社長も笑いながらこちらをみた。
「南沢さん。花火なんか見たいの?」
「ちょっと…見たいって思っただけで…。」
「いいじゃない。ビール買っておこうよ。それからつまみと。」
「わぁ。じゃあ用意しまーす。」
 どんどん話が進んでいる。基本楓と光がいれば話はこういったイベントの話は進むのだ。
 頼もしい限りだなぁ。
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