古い家の一年間

神崎

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 スクーターで会社に通うのもそろそろ辛くなってきた。海風は冷たく、身を切るようだ。
「まだそんな季節じゃないわよ。」
 と言われたが、スクーターにマフラーはもう必需品になる。
 会社に着くと、すでに楓の姿があった。社長だからと彼はいつも出社は一番最初だ。
「おはよう。」
「おはようございます。」
 今日は暖房を入れたらしい。おそらく昼間になれば切ってしまうのだろうが。
「南沢さん。パソコンに電源を入れたら、コーヒーを入れてくれないだろうか。」
「はい。」
 今日はコーヒーを飲んでこなかったのだろうか。まぁいいや。私も朝コーヒーを飲まない出来たので今日は便乗することにしよう。
 パソコンの電源を入れると、キッチンへ向かった。
 夏頃に出ていったこの家。
 昔は最初に起きてきた楓がコーヒーを入れて、みんなに振る舞っていた。朝食を食べる人、食べない人と別れていたので各自でそれは取っていたのだったが、コーヒーだけはみんな飲んでいたのだ。
「南沢さん。」
「はい。」
「ちょっと話があるんだけど。」
「何ですか。」
 お湯を沸かす為にポットに水を入れ日をかけていた私に、楓が声をかける。
「ここが無くなったら君はどうするんだ。」
「…。」
「江口君は世話をして欲しいと言われたし、北川は例の写真家の件で写真家として自立できるそうだが、君は何も言ってこない。このまままたフリーターに戻るわけじゃないだろう。」
「そんなわけないですよ。」
 コーヒー豆をひき、ガラスのサーバーにセットした。
「だったら…。」
「本当なら、お世話になるのが一番だと思うんです。でも…。」
「北川のことがあるんだね。」
「…まぁ。そんなところです。」
「つい最近まで遠距離みたいなモノだったじゃないか。今もそうだろうか。わからないけれど、でも君は仕事をしないでぼんやりするタイプでもないだろう。」
「…えぇ。」
「…絵を描きたいと思っているのか。」
「…出来れば。でも…無理かもしれません。そうですね…。」
 絵を描きたい。それは本当の願いだった。でも無理かもしれない。
「…社長。ではお願いしていいですか。」
「再就職先?」
「はい。」
「一番いい就職先は、永久就職だと思うけど。」
 永久就職という意味を知り、私は顔が赤くなる。
「そんな歳ではないですから。」
「いいや。もう成人しているなら問題ないよ。」
 すると彼の後ろのドアが開いた。
「社長。セクハラ。」
 その人は光だった。
「東野さん。」
「コーヒー入れてるの?あたしにも頂戴。」
「はい。みんなの分を入れてますから、大丈夫ですよ。」
「今日寒いもんね。」
 たぶんそれで楓は「コーヒーを入れて欲しい」と言ったのだろう。相変わらず優しい人だ。

 その日の昼は暖かくなり、やはり暖房は切ってしまった。
 いつものように光と、律、そして江口君はこの場にいない。オフィスにいるのは社長、私、田宮さん、阿川さんの四人だけだった。
 会社の電話が鳴り、阿川さんは社長に取り次いだ。
 その電話を社長が取ると、彼の表情が曇った。
「はい…わかりました。お待ちしてます。」
 電話を切ると、彼は深いため息をついた。
「どうかしました?」
 田宮さんが聞くと、彼は苦笑いをしながら言う。
「兄が来るそうでね。」
「いつですか?」
 その言葉に阿川さんが席を立った。
「一時間で来るそうだ。」
「やだ。整理しておかなきゃ。」
 そう言うとパソコンの画面を食い入るように見始めた。
「…社長のお兄さんって?」
「今の本社の社長ね。東名新聞の創始者の孫。お父さんである会長は、もう引退されているけれど。」
「そうでしたか。」
 それからきっちり一時間後。会社の前に黒い外車が停まった。
 こんな田舎の海辺の町ではとても目立つ。私たちは外にでるように促され、みんなで外に出ていったので、その車がよく見えたのだ。
 そして車の中から出てきたのは、背の高い男だった。紺色のスーツはおそらく何かのブランドモノだろう。
 頭の先から頭の先まで、嫌みなくらい決まっていて隙がない。その辺は楓とよく似ている。
 しかし楓は純正のこの国の人ではない。それに対してこの人は本当にこの国の人のようだった。
「楓。久しぶりだ。」
「社長もお変わりなく。」
「お前も社長だろ?」
 ぽんと肩をたたき、笑った。
「春までのな。」
 嫌みだ。私はこの人を初めて見たけれど、何となく嫌みな人に見えた。
「社員はこれだけか?」
「あとは営業と、取材に行っている人が二人です。」
「七人か。出向しているのが三人だったか。」
「はい。」
「まぁいい。詳しい話は中でしよう。」
 そう言って彼は会社の中に入っていった。
 今なら楓がなぜため息をついていたのか、わかる気がする。こんな人にこんなぼろぼろの会社を見られたくはないと思っているのかもしれない。
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