古い家の一年間

神崎

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 西原嵐。それが楓の兄の名前。そして大手の新聞社である東名新聞の若き社長だった。何人か兄弟はいたが、三男である彼がなぜ社長になったのかはわからない。
 ワンマンで有無を言わせない独裁者であると、楓は言う。しかし廃刊になりそうだったこの新聞社を一気に立ち上げた敏腕社長でもある。
 その彼がどうしてこのシーサイドにやってきたのか、それはきっと楓なら知っているだろうが私たちには何も知らされていない。
「今にも崩れそうな所だな。楓。」
「古い建物ですから。」
「こんな海辺にあっては、古くなるのも早いのだろう。交通の便はどうだ。」
「すぐそばに高速道路のインターもあります。」
「そんなことは知っている。公共の交通機関のことだ。」
「…あまり便数は通っていません。」
「不便だな。」
 柱をコンコンと叩く。確かに建物自体は古い。元々喫茶店だった建物をリフォームしているのだから当然だろう。
「楓。年内にここを立ち退く話はどうなっている。」
「…三月号で最終になっています。年末には立ち退く予定になっていますが。」
「遅いな。来月からでも立ち退くことは出来ないか。」
「そんな…。」
 反論しようとした楓。しかしその言葉は聞こえていないようだった。
「オフィスなら本社に移動させてもいい。」
「社長。」
 随分強引な人だ。こうやってみんなを言い聞かせていたのだろうか。
「…お言葉ですが。」
 思わず口を挟んでしまった。ぎょっとした目で阿川さんが私をみた。
「何だ。君は。」
「編集をしています。南沢と言います。」
「南沢…。あぁ。楓が中途で雇った社員か。この会社では一番下っ端だろう。」
「はい。」
「その下っ端が私に何の話がある?」
 人の言葉にいちいち突きかかってくる人だ。とてもいらいらしてしまう。
「来月号の表紙、出版社の記載はもうできあがっています。印刷も回していますし、これをまたやり直すというと費用がかかってしまいますが、それでもよろしいでしょうか。」
「…楓。そうなのか。」
 楓は焦ったように答える。
「そのとおりです。」
「…仕方ないな。年末まで待つとしよう。一月号からの変更は終了しているのか。」
「はい。新聞社の方になっています。」
「いいだろう。楓。中を見せて貰う。」
 そう言って彼はキッチンの方へ消えていった。
 はぁぁぁ。
 疲れた。一言しか話してないのに。
「南沢さん。」
 田宮さんが小声で私に話しかける。
「はい。」
「あまり口を挟まない方がいいわ。目を付けられるわよ。」
「え?」
「あなたがどんな会社に行くか知らないけれど、出版業界にいたいと思うのだったらあの人に逆らわない方がいいわ。」

 一通りの家の中をみていた。もうすでに空になってしまった部屋も見ているらしい。見ているらしいというのは、私たちがついて行っても仕方がないと言うことだ。
 話があるのは楓だけであり、私たちは通常通りの仕事をすることにした。
 やがて二階から社長が降りてきた。後ろには楓がいる。
「この建物はもうガタが来ている。やはりとり潰すべきだ。」
 そんなことを言いながらオフィスの方へやってきた。
「春には取り壊されます。」
「そうしてくれ。ところで、あの絵は誰が描いたものだ。」
「絵ですか?」
 絵があったのか。あるとしたら私が描いた絵だろうか。
「海と空、それから白い鳥の絵だ。」
「あぁ。それなら、そこの南沢が。」
 すると社長は、私の方をみた。そしてデスクに近づいてくる。
「南沢。下の名前は何だ。」
「…周。です。」
「「あまね」?「しゅう」と思っていたな。男が描いたものだろうと思っていたのに。」
 そのとき社長が初めて笑った。私はこの人にあったことがあるのだろうか。
「…あの…。」
「大学は△△芸術大学だろう。」
「…そのとおりです。」
「ふん。そうだろうと思った。こんなところで会うとはな。」
 そう言って彼は私のデスクを離れ、二階に上がっていく。
「南沢さん。社長に会ったことがあるの?」
 田宮さんに聞かれても、あんな人に会ったことすらない。記憶にもないのだ。
「いいえ。会ったことないですね。」
「でも何で大学まで知っているの?」
 そのとき入り口から、光と律が戻ってきた。
「ただいま帰りました。」
「社長。駐車場にある黒い外車、何ですか。」
「あぁ。本社の社長が来ている。」
 その言葉に光も顔をこわばらせた。
 そのとき二階から社長が降りてくる。その手には私が描いた絵が握られていた。
「これは貰っていく。」
「え?」
 それはやめて欲しいと私が言う前に、律が声を上げた。
「やめた方がいいんじゃないですか。」
 彼の言葉に誰もが凍り付いた。
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