古い家の一年間

神崎

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 生意気な律の言葉に、誰もが凍り付いた。この会社の本社の社長である西原嵐は、楓よりも立場は上のはずなのに、タメ口に近いようなフランクな敬語を使い、なおかつ、彼のすることを止めようとしている律の態度は社長にとって許されるはずがない。
 現に社長の手がぶるぶると震えている。
「誰だ。貴様は。会社に来るのになんだその格好は。社会人としてもっと改めたらどうだ。」
 うん。それは一理ある。意見を言うにはまず自分のことから見直した方がいいというのだろうから。
「格好なんかは今更どうでもいいですよ。俺は、あんたが持っているその絵を持って帰るのはやめた方がいいと思ったから言っただけですから。」
 しかも!社長を「あんた」呼ばわりして。
「北川。」
 さすがに楓が注意する。しかし律の態度は全く改まらない。それどころか、どこかのチンピラのように社長を見上げガンを飛ばしている。
 やめて欲しい…。
「私が気に入った絵を持って帰ろうと持って帰るまいと、貴様にいわれる筋合いはない。」
「気に入っている?」
「…三年ぶりに見た。南沢周の絵なんだからな。」
 やっぱり会ったことがあるのだろうか。
 わからない。
「ねぇ。やっぱり会ったことあるの?」
 田宮さんが小声で聞いてくるが、やっぱり私には記憶がない。
「わかりませんね。」
 すると社長はにらみを利かせている律を無視して、私の机に近づいてきた。
「まだ絵を描いていたとはな。」
「その絵はまだ失敗作です。破棄しようと思っていました。」
「破棄するのだったら、私が貰う。ゴミ箱にある紙屑を誰が拾おうと誰に何をいわれる筋合いはない。」
 それはそうだ。でもこんな絵を持ってどうしようというのだろう。
 イヤ今はそれよりも聞きたいことが沢山ある。
「社長。聞きたいことがあるのですが。」
「なんだろうか。」
「私に会ったことがあるのでしょうか。」
「会ったことはない。」
 やっぱり会ったことはないのだ。
「南沢。私も話がある。ここでは話しにくいことだ。車に乗って貰おう。」
「え?」
「プライベートなことだ。楓。ちょっとこの女を借りる。」
 楓は引きずられるように連れて行かれる私を、止めることはできなかった。
 楓だけはない。律すら社長に立ち向かえずにいたのだ。

 運転手付きの外車はふかふかのシートで、助手席には誰も乗っていない。
 絵は助手席に載せられた。まるで大切なモノのように恭しく、大切にされているようだった。
「絵の具がはがれないように加工しなければいけないだろう。何か指定はあるだろうか。」
「…え…と…。」
 それははっきり言ってわからない。自分の作品で「できた」と思い、手元に取っておこうと思ったモノなどないのだから。
「いいや。愚問だったか。君は作品をすべて破棄していると聞いている。これも破棄するつもりだったのだろう。」
「はい。」
「君らしい。納得していないのだろうな。」
 思い切って聞いてみた。私から口を挟むのはよくないと田宮さんから言われたばかりだが、仕方がないだろう。
「社長はどこかで私の絵をお見かけしたのですか。」
「…あぁ。」
 社長は今は独身だが、昔は結婚していた。男の子供もいる。しかし三年前、離婚を切り出され、妻に子供の真剣も取られてしまった。
 彼は彼なりに妻や子供を愛していたはずなのに、二人はそれをわかることはなかったのだ。
 人の心などわからない。そう思っていたときだった。
 町の片隅にあった美術館。そこにたまたま立ち寄ってみたのだ。そこで△△芸術大学の卒業制作展が開催されていた。どれも来れも未熟なものだと思った。
 しかしその一角で、一つの絵に出会った。
 鮮やかな海と空。降り注ぐ白い羽根。その奥には羽の生えた女性が海の向こうへ行こうとしている。そんな絵だった。
「…欲しいと思った。だから買いたいと申し出たが、君はその絵を「失敗作」だと言い、破棄するから売りたくないと言ったそうだな。」
 覚えている。あの絵のことは。卒業制作の一つだった。
 同級生から「百円でも買わない絵」だと酷評された。だから「買いたいという人がいる」と聞いても、それを私は素直に受け入れることはできなかったのだ。
「…そのとおりです。」
「あれだけ描けるのであれば、プロにでもなれるだろうに。」
「なれませんよ。」
「どうして。」
「…プロというのは百人が見て百人が感動しなければいけない。私の絵を「百円でも買わない」という人が一人でもいる限り、その絵は失敗なんですから。」
「しかし私はあの絵を見て救われた。妻や子供が出ていったのは、旅立ったのだと言い聞かせることができたのだ。」
「…。」
「もしもこの絵をもらえるならば、君を正社員として迎え入れてもいい。」
「…そんなことは許されない。」
「誰が許さないのだ。私が入れるというのだから、誰にも文句は言わせない。」
 本気だ。本気で文句を言わせずに、私のこの失敗作の絵を手に入れようとしている。
「もしも君がそれを断れば、どうなるかはわかっていると思うが。」
「脅すつもりですか。」
「…そう取るならそう思えばいい。」

 ガン!

 車の窓に何かぶつかった音がした。運転手が驚いて、窓を開ける。
「北川さん。」
 律?
「律。」
 私は外に出ようとした。しかし社長はその私の手を握り、外に出さないようにした。
「沖田。車を出せ。」
「しかし…社長。北川さんは…。」
「いいから。出せ。」
 エンジン音がした。そして車がゆっくり進んでいく。
「律!」
 外で大きな声がした。窓を開けて外を見る。すると後ろで倒れている律の姿が見えた。そして何か叫んでいた。
「律。りつ!」
 何があったのだろう。どうして叫んでいるの?律。
 私はわからないまま、車で連れ去られていった。
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