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冬
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私が作った水炊きと刺身が並ぶ。いつも使っていたダイニングテーブルでは人数分のいすがなくて、結局ローテーブルを出してそこにみんなで座った。
「刺身も新鮮だね。」
「あぁ。都会に出たらこんなに新鮮なのは食べられないかもしれないな。」
田宮さんがここに残るのは、食べ物のこともあったのかもしれない。ここが出来た当初からいるという田宮さんは、食べ物を通して近所の人間関係も良好に築いてきたのだ。
それらを捨てて一からまた始めるのは、田宮さんの歳では大変なのかもしれない。
対して江口君と阿川さんは今からの人だ。
特に阿川さんは人付き合いを苦手としている。きっと新しい土地では新しい出会いが待っているだろう。
「律。野菜も食べて。」
隣にいた光が律に野菜を取り分けた。まるで光の方が彼女のようだ。でも律はあまり食べていなくて、お酒ばかり飲んでいる。
「飲み過ぎじゃないの?」
向かいに座っている私がそう聞くと、律はご機嫌に「大丈夫」と一言。そしてまたコップに口を付けた。
そのとき私の携帯電話が激しく鳴った。その相手を見て、私は携帯電話を手にとって二階に上がる。
「ちょっと失礼。」
二階の部屋に入ると、私はその電話の通話ボタンを押した。
「もしもし…。えぇ。わかります。」
しばらく話をして、私は通話を消した。ふっとため息をついて、ドアの方に振り返った。
「驚いた。」
そこには楓の姿があった。
「寒くなかったのか。こんなに冷えたところで。」
「…みんなの前で話すことではないから。」
そう言って楓の傍を通り過ぎて戻ろうとしたときだった。
「周。もしかして今日は…。」
「何?」
「いいや。君のことだ。詮索すると嫌がるだろう。」
「でも詮索しないと私は何も言わないわ。」
「…。」
「嵐さんのように強引に聞く方法もあるのでしょうけど、それでは意固地になる。」
「…。」
「でもそれほど気にならないのであれば、聞かなくてもいいでしょう?」
「聞きたいね。」
「…言いたくないわ。」
「だったらここから出さない。」
後ろ手で扉を閉めて、そこに寄りかかる。
「…動かれないのも困るわね。」
「…。」
「今日の十二時。母を殺した犯人の時効が成立するわ。その手続きに父が警察署へ行った。」
これで母を殺した犯人は永遠にわからなくなる。殺した犯人は、母を殺したことを無かったことにされたのだから。
「悔しくはないのか。」
「…母が殺されたとき、私はまだ幼かった。母の思い出なんてわずかだし、思い出すこともない。年々、忘れているわ。」
「悲しいことだ。」
「そうね。そうかもしれないわね。」
普通ならそうだろう。普通なら自分が母になったとき、我が子から忘れられているなど想像もされたくはないだろう。
「僕の母は遠くの国にいる。今でも忘れずに何かしら国際便で送ってくるし、電話をしてくることもある。」
「いい母親ね。羨ましい。」
すると楓がドアから離れた。そして私に近づいてくる。
「周。」
「何?」
「うちの会社に来ないか。」
その言葉は私がフリーターをしていたとき、楓から言われた言葉だった。
「ここじゃない。地方都市へ行くことになっているけれど。」
「ではないんだ。…僕の勤める会社へ。」
「…。」
「妻として同行してくれないか。」
両方の二の腕を捕まれ、私を正面に見る。その目はどんなときよりも真剣な楓の表情だった。
「ダメ。」
「何で。」
「それは出来ないの。」
腕を捕まれたその手がゆるむ。私は左手の指先を彼に見せた。
「律について行くわ。」
地方都市への転勤は無かったことにしてくれと、明日連絡をする予定だった。
「律に?」
「寂しい思いもしたくないし、傍にいたいと思うの。それに…。」
「それに?」
「お金にならなくてもいい。絵が描きたいわ。」
ずっと心に響いていた。
自分に恥じない、自信のある作品というモノに。もしかしたら、私は勘違いをしていたのかもしれない。
今まで焼いてきた作品の中にも、自分に誇れる作品があったかもしれないのに、私はそれを焼いてしまった。
「絵か…。」
楓は頭を抱え、ため息をついた。
「それを出されると弱い。」
「ごめんなさい。答えれなくて。」
「いいや。」
楓は手を伸ばし、私の頭に手を乗せた。まるで小さな子供にするようにぽんぽんと頭を軽く叩く。
「周。僕は、君がいつか絵を取ると思っていたんだ。」
「…楓…。」
「小さな雑誌社の編集者なんかで収まるわけがないとね。だけど、やっぱり嫉妬はするな。」
「…どっちに?」
「どっちにも。」
彼は笑い、そして私の頬にキスをした。
「唇にはしたら悪いか?」
「…そうね。悪いでしょうね。」
すると彼の手が離れた。
「でも正直に言うわ。あなたと何度かキスをしたけれど、本気でイヤだったことはないわ。」
不安定だったあのとき。律のことがわからなくなったあの日。その心の透き間にすっと入り込んできた楓。
彼の優しさが嬉しかった。
「一回くらい寝ておけば良かったよ。」
「それはいくら何でもダメだわ。」
「そうだね。」
彼が部屋の扉を開ける。
「先に帰っていてくれる?僕ももう少ししたら帰るから。」
「わかったわ。」
部屋を出て、扉を閉める。私はその扉に体を寄せた。
ごめんなさい。楓。あなたの気持ちに答えられなくて。ごめんなさい。
「刺身も新鮮だね。」
「あぁ。都会に出たらこんなに新鮮なのは食べられないかもしれないな。」
田宮さんがここに残るのは、食べ物のこともあったのかもしれない。ここが出来た当初からいるという田宮さんは、食べ物を通して近所の人間関係も良好に築いてきたのだ。
それらを捨てて一からまた始めるのは、田宮さんの歳では大変なのかもしれない。
対して江口君と阿川さんは今からの人だ。
特に阿川さんは人付き合いを苦手としている。きっと新しい土地では新しい出会いが待っているだろう。
「律。野菜も食べて。」
隣にいた光が律に野菜を取り分けた。まるで光の方が彼女のようだ。でも律はあまり食べていなくて、お酒ばかり飲んでいる。
「飲み過ぎじゃないの?」
向かいに座っている私がそう聞くと、律はご機嫌に「大丈夫」と一言。そしてまたコップに口を付けた。
そのとき私の携帯電話が激しく鳴った。その相手を見て、私は携帯電話を手にとって二階に上がる。
「ちょっと失礼。」
二階の部屋に入ると、私はその電話の通話ボタンを押した。
「もしもし…。えぇ。わかります。」
しばらく話をして、私は通話を消した。ふっとため息をついて、ドアの方に振り返った。
「驚いた。」
そこには楓の姿があった。
「寒くなかったのか。こんなに冷えたところで。」
「…みんなの前で話すことではないから。」
そう言って楓の傍を通り過ぎて戻ろうとしたときだった。
「周。もしかして今日は…。」
「何?」
「いいや。君のことだ。詮索すると嫌がるだろう。」
「でも詮索しないと私は何も言わないわ。」
「…。」
「嵐さんのように強引に聞く方法もあるのでしょうけど、それでは意固地になる。」
「…。」
「でもそれほど気にならないのであれば、聞かなくてもいいでしょう?」
「聞きたいね。」
「…言いたくないわ。」
「だったらここから出さない。」
後ろ手で扉を閉めて、そこに寄りかかる。
「…動かれないのも困るわね。」
「…。」
「今日の十二時。母を殺した犯人の時効が成立するわ。その手続きに父が警察署へ行った。」
これで母を殺した犯人は永遠にわからなくなる。殺した犯人は、母を殺したことを無かったことにされたのだから。
「悔しくはないのか。」
「…母が殺されたとき、私はまだ幼かった。母の思い出なんてわずかだし、思い出すこともない。年々、忘れているわ。」
「悲しいことだ。」
「そうね。そうかもしれないわね。」
普通ならそうだろう。普通なら自分が母になったとき、我が子から忘れられているなど想像もされたくはないだろう。
「僕の母は遠くの国にいる。今でも忘れずに何かしら国際便で送ってくるし、電話をしてくることもある。」
「いい母親ね。羨ましい。」
すると楓がドアから離れた。そして私に近づいてくる。
「周。」
「何?」
「うちの会社に来ないか。」
その言葉は私がフリーターをしていたとき、楓から言われた言葉だった。
「ここじゃない。地方都市へ行くことになっているけれど。」
「ではないんだ。…僕の勤める会社へ。」
「…。」
「妻として同行してくれないか。」
両方の二の腕を捕まれ、私を正面に見る。その目はどんなときよりも真剣な楓の表情だった。
「ダメ。」
「何で。」
「それは出来ないの。」
腕を捕まれたその手がゆるむ。私は左手の指先を彼に見せた。
「律について行くわ。」
地方都市への転勤は無かったことにしてくれと、明日連絡をする予定だった。
「律に?」
「寂しい思いもしたくないし、傍にいたいと思うの。それに…。」
「それに?」
「お金にならなくてもいい。絵が描きたいわ。」
ずっと心に響いていた。
自分に恥じない、自信のある作品というモノに。もしかしたら、私は勘違いをしていたのかもしれない。
今まで焼いてきた作品の中にも、自分に誇れる作品があったかもしれないのに、私はそれを焼いてしまった。
「絵か…。」
楓は頭を抱え、ため息をついた。
「それを出されると弱い。」
「ごめんなさい。答えれなくて。」
「いいや。」
楓は手を伸ばし、私の頭に手を乗せた。まるで小さな子供にするようにぽんぽんと頭を軽く叩く。
「周。僕は、君がいつか絵を取ると思っていたんだ。」
「…楓…。」
「小さな雑誌社の編集者なんかで収まるわけがないとね。だけど、やっぱり嫉妬はするな。」
「…どっちに?」
「どっちにも。」
彼は笑い、そして私の頬にキスをした。
「唇にはしたら悪いか?」
「…そうね。悪いでしょうね。」
すると彼の手が離れた。
「でも正直に言うわ。あなたと何度かキスをしたけれど、本気でイヤだったことはないわ。」
不安定だったあのとき。律のことがわからなくなったあの日。その心の透き間にすっと入り込んできた楓。
彼の優しさが嬉しかった。
「一回くらい寝ておけば良かったよ。」
「それはいくら何でもダメだわ。」
「そうだね。」
彼が部屋の扉を開ける。
「先に帰っていてくれる?僕ももう少ししたら帰るから。」
「わかったわ。」
部屋を出て、扉を閉める。私はその扉に体を寄せた。
ごめんなさい。楓。あなたの気持ちに答えられなくて。ごめんなさい。
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