古い家の一年間

神崎

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 一階に戻ると、また私はお酒を飲んでいた。相変わらず向かいに座ったいる光は律にまるで新妻のようにかいがいしく世話を焼いている。それを見たくなくて、私は鍋の具材を追加しようとキッチンへ向かった。
 するとキッチンの方に律がやってきた。
「どうしたの?」
「…光がうるさい。」
「相手をすれば?」
「あいつ結構酔っているし、もう面倒になってきた。」
 ため息をついて、冷蔵庫に入っている缶ビールを持ってこようとした。そのとき二階から楓が帰ってきた。先ほどの様子とは全く違う、厳しそうな表情だった。
「どうしたの?」
 声をかけると、楓はまっすぐに律の方へやってきた。すると律の胸ぐらを掴んだ。
「え?」
 様子がさすがにおかしいと思ったのか、江口君がその間を割って入ろうとした。
「なんですか。楓さん。いきなり律さんに喧嘩ふっかけて…。」
 しかし楓の耳には何も入っていないようだった。
 それに律も挑戦的な目になっている。
「律。お前いつまでちゃらちゃらしてるつもりなんだ。」
「ちゃらちゃら?」
 鼻で笑ったが、目は怖い。
「光に言い寄られて、いい気になっているのか。」
 すると光が驚いたように立ち上がった。
「楓。何てこと言うの!」
 慌てていたのは、律ではなく光だった。光はキッチンの方を見て楓に詰め寄る。しかし楓は止まらなかった。
「連れて行こうとしているんだろう。」
「あぁ。」
 初めて律が楓に口を聞いた。
「お前もだろう。」
 その言葉にみんなの視線が私に降り注いだ。その中の視線で一番厳しかったのは光だった。
「周。あんた…。楓と律を両天秤かけてたの?」
「かけてないわ。私が好きなのは…律だけよ。ずっと…昔から。」
 左手の薬指にはめられたその指輪を見て、光は怒りを押さえきれずにこちらに向かってきた。
「どうしてあんたばっかり!何でよ!」
 とっさに身構えた。今考えれば、そのとき手に持っていた物をキッチンに置けば良かったのだ。
「きゃあああ!」
 誰かの甲高い声が聞こえた。
「…え?」
 床にあっという間に血だまりが出来た。出血の元は、私の左手の手のひらだった。

 救急病院に連れ込まれ、何針か縫うことになった。幸いにも神経までは到達するような傷ではなかったが、手のひらと言うことで直りは遅いかもしれない。
「…。」
 処置室を出ると、そこには楓と律がいた。光は連れ込まれるように車の中に入ったが、病院についても車から出ることはなかったらしい。
「神妙にしないで。輸血もしていないし、大した手術じゃなかったのよ。それに…私のせいでもあるのだから。」
「…絵は?描けるのか?」
 律が聞いてくる。
 正直わからなかった。まだ手術の麻酔が効いていて、感覚はない。でも大きな神経を切らなくて良かったというだけであって、細かい神経は切れているのだ。
 その微妙な感覚は、きっと元に戻らない。
「…左手よ。大丈夫。私右利きだし。」
「…光は…車から降りない。」
「外に出ていないかしら。」
「たぶん無いと思うけど…。」
 きっと光のことだ。自分を責めるだろう。
「話をしないといけないわね。田宮さんたちにも連絡を入れないと。」
「それは僕がしたよ。」
「ありがとう。楓。」
 きっと楓も律も話をしないといけないだろう。
「車を借りていい?」
「運転しないだろう?」
「お酒を飲んでいるわ。」
 私は外に出る。そして駐車場にある白いワゴン車を開けた。
 そこにはうつむいている光がいた。私の姿を見てすがるような目で見る。
「手…大丈夫?」
「うん。大丈夫よ。深く切っていないから。大事な神経は無事だから、指が動かないってこともないって。」
「…ごめんなさい。周。こんなことになってしまって…。」
「いいのよ。私も住ぐに包丁から手を離せば良かったのだけど…。」
 少しの沈黙。そして光の方から声を発した。
「あたし、律が大好きなの。」
「知っているわ。」
「でも周も好きなのよね。」
「うん。そうね。」
「何で正直に言ってくれなかったの?律が一方的にあなたに惚れているだけかと思っていたのに。」
「…そうね。昔から…ずっと好きだったみたい。いつから好きだったかなんて覚えてない。」
「それを春に聞きたかったわ。」
「そうね。ごめんなさい。私にも落ち度があったわ。」
 すると光は口を一文字に口を結ぶ。そして拳もぎゅっと握った。
「どうしてそうすぐに謝るの?そんなんだからあたしが律をあきらめられ無いじゃない。」
「…。」
「あたし、律がずっとあなただけ見ていたのも知っているし、楓もあなたが好きなのは知ってたわ。でもあなたがそんなんだから、両天秤にかけているって思ってたのよ。」
 顔をパンと両手で挟まれるように叩かれた。
「しっかりしてよ。律が好きなんでしょ?誰よりも。」
「うん。」
「あたしも好きなのよ。」
 すると私は右手で光の手を払いのけた。
「私の方が好きだから。」
 すると光はいつもの笑顔を浮かべた。
「そうじゃないと…ダメよ。」
 しかしすぐに大粒の涙が溢れてきた。声を押し殺して泣く彼女の方を私はゆっくりと抱きしめた。
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