ラブレター・フロム・シナリオライター

仮住まい

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終幕

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「……やっぱりここだったね」



 茜色をバックに彼女は佇んでいる。沈みゆく夕陽が照らす屋上庭園は息を呑むほど美しい光景だったが、文化祭の日は去年同様人がいない。転落防止の柵にもたれたヒロインは俯いて、その表情は窺えないが、およそ身体から生気というものが感じられない。



「とりあえずお疲れ様だよ」



 先ほど渡せなかったれもちを渡そうと、近寄った瞬間。 



 決壊した。雲雀が壊れていく。



 僕の腹に組みつき、胸に顔を埋め、声もあげずに涙を流す。無言の嗚咽が心に刺さる。叫んでいいよ、泣きじゃくれよ。「どうして?」「なんで?」「ひどい」「馬鹿」口にしたい言葉なんかいくらでもあるだろ。



「雲雀……」



 もう声は取り戻したんだからいくらでも愚痴を言えばいいのに。

 両手の塞がった彼女は、言葉を紡げない。



 ひたすらに、僕との接点にしがみつく。この子の視点では、僕こそが最後のよすがなのだと思う。どんなときもずっと支えてきた。からかいながらも励ましてきた。誰にも言えない本心と秘密を共有してくれる人。



 なんでも話せる気の合う友達。

 それが、雲雀と僕の距離なのだ。



 だから慰めの種類も限られる。



 震える華奢な肩を抱くことも、涙が伝う頬を拭うことも、先輩の気持ちを知ってしまった今では、できない。

 彼女がそれ以上を望んでいたとしても。



「…………ああ」

 そんな潤んだ瞳で僕を見上げるな。



 断言しよう。



 今まさにこの子は、僕に許されたライン以上の慰めを欲しがっている。密着した身体、熱っぽく染まる頬、近すぎる唇の位置。こちらがその気なら、その気じゃなくても、何かの間違いで繋がってしまえそうだった。



 柔らかく、良い匂いがして。不謹慎かもしれないが、悲しみに暮れる彼女の姿は男の情動を掻きむしってくる。



 悪魔が囁く。



 拒む必要などないと。包んでやればいい、熱でとろかしてしまえばいい。忘れさせてやれ、あんな優柔不断なやつよりよっぽどお前はこの子を愛してやれる。これが最後の隙なのだ。あいつが来るまでに書き換えてしまうんだ。遅れたのが悪い。後回しにする方が悪い。今はあいつよりお前の方が大事だと彼女に言わせるんだ。そのために寄り添ってきたんだろ? 今か今かと待ちわびてチャンスを窺ってきたんだろ? そらいけ、お前ならできる、脚本家だろ、どんでん返しを決めて



「……違うよ」



 ぐっと、彼女の両肩を掴み、そして、押し返す。

 雲雀はよろめいて、不安げに僕をじっと見つめる。



 迷子にはさせない。大丈夫、君は大丈夫なのだ。必ず王子様が迎えに来てくれるから。



 この先に悲しみなどない。安心させたくて、目一杯の優しい表情を作る。



「雲雀。声、取り戻したんだよね。おめでとう」

 反応はない。少しの喜びすらこの子の中に残っていないようだ。

「……念願叶ったね。やっと、だね」

 ありのままの声で応じてくれと、ただ願う。

「    」

 逆光も相まって暗い陰が彼女を覆った。



 積もり積もった想いを吐き出してなお、届かなかった雛鳥は。

 一度は飛び立った巣の中へ、再び戻ってきてしまったのか。



 何もかもが嘘だったかのように、彼女はタブレットを掲げる。



『紡くん』

『ぎゅっとしてほしい』

『今だけでいいから』



 このままではいけない。なんとか道を示さないと。



「ダメだよ。このあと先輩と会うんでしょ? 告白するんだって、言ってたろ」

『無理だよ やっぱり私とお姉ちゃんじゃ』

『私なわけないもん』



 やっぱ先輩、さっきのは酷いって。自分の心を納得させるより、雲雀を……気遣ってあげてよ。



「良い雰囲気だったじゃん。キス……してさ。手、繋いでさ。先輩だって、嫌だったらあんな嬉しそうな顔しないよ」



『でも 今 私の隣にいないよ』

『私は一人きり凍えていくの』

『舞台を降りたら私は』

『彼の腕の中には いられない』



 ハッピーエンドが待っているのだ。もう少しの辛抱だ。すべてを捨ててしまいそうな彼女を繋ぎ止めなければ。



「必ず行くって言ってたよ。きっと受け止めてもらえるよ。だから……もう一度、ちゃんと」





「ちゃんと伝えたもん!!」





 舞台女優の本気の声量が耳朶を打つ。

 半端な励ましなど切り捨ててしまいそうな鋭い叫び。



「伝えて、アドリブで、私の声でさぁ……! それでも、ダメだったじゃんか。泣くくらい許してよ。慰めてくれるって約束したよ。私、もうがんばれないよ……」 



 痛みを和らげてあげられたら。涙を拭ってあげられたら。無力な自分を呪った。舞台に上がる勇気が、僕にはないから。



「ね、紡くん……好きな人いるんだよね、ごめんね。私、ぜったいその子に内緒にするから。今だけでいいから……甘えさせてほしい」



 内緒にするねえ。

 それは無理ってもんだけど。



「もう、諦めちゃうのかい?」

「だって、終わったことだよ。紡くんにあんなに背中を押してもらったのに……届かなかった」

「そうかな? だってまだ、返事もらってないでしょ。あのとき想いを伝えたのはイレーナだし。諦めるには早いんじゃないかな」



 僕は、せめて、この子に勇気を届けたい。



 君自身がとても魅力的な女の子で、卑屈になることないんだって知ってもらいたい。



「せっかく取り戻したその声、彼に聞いてもらうためだろう。きちんと、雲雀自身の役で、もう一度届けるべきだよ」



「違う、この声はね……あなたがくれたもの。あなたの、ために」



「……えっ」



 まったく筋書きにない言葉に、戸惑いを隠せない。

『神田誠司に好きだって、私という役で伝えたい』

 雲雀はそう宣言し、僕に協力を仰いだはずだ。



「あなたにいっぱいもらって。たくさん助けてもらって。ずっと私を、背負ってくれていたあなたに」



「ありがとうって言いたくて」



「どうしても伝えたくて」



「ごめんねも言わなきゃいけないんだけど、それよりも」



「ありがとうを、あなたにって考えてたら」



「勝手に出ちゃってたんだ、声」



 あのときだ。あの夜の満月の下で、僕が聴いた歌声はやっぱり夢なんかじゃなかった。

 雲雀の泣き笑いが心に焼きつく。





「全部全部、紡くんのおかげなの」





 ああ、報われてしまいそうだ。彼女は僕を想って、ずっと封じていた声を取り戻してくれたんだ。その事実だけで、自分を許してしまうには十分すぎた。



 けれど、よくやったでしょでは終われない。こんなところで退場したら、僕が関わってきた意味なんてなくなってしまう。



「だから、せーくんには届かなかったのも、仕方ないんだよ。あなたは私の声が好きだって言ってくれたけど、あの人は……お姉ちゃんの歌声が、ずっと心にあるんだから」



 絶対に敵わない存在がいる。



 もう雲雀の中の認識を覆すことはできない。

 それでも彼女自身が手を伸ばして、つかみ取ってもらわないといけない。このまま彼と結ばれたとしても、彼女が抱える劣等感はずっと囁き続けるだろう。



 所詮は姉の身代わりで、おこぼれで、自らに価値などないのだと。

 いつまでも瑠璃さんの影に怯えながら生きていくなんて、駄目だ。



「ねえ、それだけ僕に感謝してくれるんならさ、結末まで見届けさせてよ」

「それは、そう、なんだけど、ごめん。もう、歩けない……声でない……」



「きちんと振られたら、しっかり慰めてあげるのに」

「振られるのがわかってて、告白なんてできないよ」



「負けるのが怖い? これ以上傷つきたくない? 玉砕でもした方がよっぽど気分がいいと思うがね」

「紡くんいじわるだよ……自分だって、片恋なんでしょ」



 私の気持ちわかるでしょ、と、言いたげに。

 ああ、よくわかる。同じだから。

 わかるから、手本を見せてやる。



「じゃあ、今、それやめるね」

「なにが?」

「片想い、もうやめた。いつまでもしがみつくなんて格好つかないからね」



 ?マークを浮かべる彼女に一旦背を向ける。

 最後の仕込みにメッセージだけ送った、屋上とだけ書けば伝わるだろう。



 再び向き直る。息を大きく吸い込む。



 役に入るときはこうするのだったか。演劇部で役者が、普段の自分から変わっていく瞬間を何度も見てきた。



 瞑目する。



 あれはステージに立つための魔法を自らにかけているんだ。人間誰しも自分という役があって、それを演じながらも違う誰かになるために魔法をかける。それは、脚本で与えられた別人の役でなくたっていい。



 泣き虫だった今までの自分から、少しだけ勇気を出せる自分へ。昨日までは届かなかった距離を、一歩だけ踏み越える自分へ。新しく違う自分へ変わるための、魔法を身に纏う。



 整える。作り替える。



 心臓がうるさいぐらいの早鐘を打つ。初めて恋を自覚したあの日のように。

 内心の怯えと遠慮を振り払い、覚悟を決める。

 まぶたを開くと、そこには大好きな人が待っててくれた。



 彼女に勇気を、挫けない心意気を、再び飛び立つための翼を。



「雲雀」



 そうして僕は、絶対に上がれないと決めていた恋人達の舞台へ、脚を踏み入れる。

「今から僕が語るのは、紛れもない本心だ。からかいでも冗談でもないから、きちんと受け取ってほしい」



 これでようやく、終われる。

 僕の恋物語が今、始まり、終わるのだ。

 それでも僕は、伝えてみせる。

 なるべく格好良く、聞こえたらいいな。



「雲雀、僕は、君を愛している。初めて会ったときからずっと」



「ずっと君を見ていた。君のことだけを考えていた。あの日から、あの屋上で、僕の人生は動きだした」



「甘く、つらく、切なく、愛おしい日々だった。僕への気持ちがなくても、頼られるだけで、笑いかけられるだけで、嬉しかった。だから僕はここまで歩いてこられた」



「どうだ、振られるのがわかってて告白してやったぞ。書き続けたラブレターの宛名を教えてやった。さあ、振りたまえ、僕の空想の恋人よ。もう君にはおそれることなど何一つないはずだからね」



 ポーカーフェイスは崩れていないか。雄弁に僕は語れているか。彼女の反応からは知り得ない。



 ときが止まっていた。



 理解できていなくとも、前振りから充分感じ取れたと思うんだけどな。

 全く予定外の事態にぽかんと口を開けている。



「気づいてなかったんだ。結構アピールしてたはずだけど」

 しばらくして、ようやく、脳の処理が追いついたのか。

「ななななんでそうなるの」

「そうなったのではない。最初からそうだったのだ」

「だって、ええ? おかしいよそれ。へん、へん」



 混乱している、ざまーみろだ。



「私、ずっとせーくんの事が好きだって言ってきたよ。あなたが私を好きなんだったら、協力するなんておかしいじゃない」

「おかしいよ。おかしいだろ、こんな奴。歪な形でしか、僕は君のそばにいられないと思っていたんだ」



「最初から、ってさ、出会ったとき……?」

「うん、初めて君の声を聴いたとき」



 雲雀の顔が真っ赤になるのがわかった。



「あのときからずっと、君のことが好きだよ」



 記憶を遡っているのだろうか。出会って、僕が演劇部に入部した理由や今までの発言の真意、どこを掘り返したって君への気持ちが根底にあるのだ。雲雀も思い至ったのか、赤くなった顔がどんどん青ざめる。



「それじゃあ、私は今まで、ずっとあなたを傷つけて……?」

「教えてやろうか僕がここで誠司先輩への想いを聞かされたときの心境を。聖夜のツーショットを見返す度どれほど熱に焦がされるかを。君が無警戒にくっついてくるたび、その気安さを呪ったことを」



「ひっ、ご、ごめんね……」

「気に病む必要はないよ。君の想いをわかっていながら、自分を制御できなかった僕が悪い」



 悪意など欠片もなく、ただ僕を信頼してくれてただけなのだ。邪な気持ちを抱え続けていた僕の方が、君を傷つけてしまったかもしれない。



「でも……」

「惚れた方が負けなんだ。パワーバランスはあの夏の屋上でもう決定づけられた。だから謝る必要なんてない」

「あ、と……本当、なんだね」

「嘘じゃないって言った」



 さっきまではあれほど距離を詰めようとしてきたのに、今はどうしていいかわからずに足踏みしている。



「だからさくっと誠司先輩に告ってきてさ、玉砕したら僕と付き合ってよ。順番待ってるんだから早くして」

「順番って……あなたのことは好きだけど、本当に大切な人だけど、せーくんがダメだったから代わりになんてできないよ」



 それ、誠司先輩もおんなじ気持ちだよ。

「ともかく、諦めちゃうくらいだったら突撃してきたらいい。僕もね、ずっと押し込めていた言葉を解放してやれて、とってもすがすがしい気分だよ」



 こんなド素人の僕でもできたんだ。女優の君が畏れることなんてないんだよ。



「想いに名前をつけて。きちんとラベリングして心にしまっておけば、何年経ってもきっと、素敵な思い出になるはずだよ。叶わなかったんだとしても。報われなかったんだとしても。その人を好きだった時間を、なかったことにしちゃいけない」



「このまま……何もなかったみたいに、終わらせるのは、駄目、なのかな?」



「想いを伝えたいから僕を頼った。実らなかったとしても、決着をつけて前に進むためにそうした。今ここで逃げたら、また繰り返しだよ。せっかく声を取り戻したってのに」



「へぁ……」



 あまりにも真っ直ぐな僕の視線に耐えられなくなったのか、雲雀はフェンスの方を向いてしまう。陽は沈み、間もなく夜が訪れる。もう時間がない。



「僕は、君を好きになってよかった。このまま恋心が時間に希釈されていくのは看過できない。だから……雲雀、ちゃんと返事をもらいたい。そうすることで僕も、前に進めるはずなんだ」



 無理矢理にでも答えを吐かせる。僕とは付き合えないって、彼が好きだって。



「君を愛している、どうか、僕と付き合って欲しい」



 背後から軋む扉の音がする。完璧なタイミングだ。

 主人公がガラスの靴を届けにきたんだ。

 長い長い、沈黙の後に。

 僕の大好きな、か細い、声が聞こえる。



「…………すき」

「ごめんなんて言った?」

「私は……くん、が、……き」

「そんなんじゃ観客に届かない」

「私は、せーくんが、すき」

「リハビリ中なの? 感情が乗ってない」





「私はっ、せーくんが、大好きなんだからぁああああああ!!!!」





 大気が震えるような叫びが、ちょっと前まで声の出せなかった彼女から放たれる。ずっと心の奥底にしまい続けた言葉が、ようやく、解放される。



 空へ向かって発射したせいで、高校生の主張みたいになってしまったけど、まあいいか。

 まさか聞こえなかったとは言わせないからな。



「だから紡くんとは付き合えない、ごめんね」

「わかった。返事をくれてありがとう」

「わたしの方こそ。なんか、ちょっとだけすっきりしたかも」

「そか、じゃあ声出しも済んだことだし。本番でも上手くやるんだよ」





「…………うん、言ってみる。ちゃんと返事もらう

よ」





 ああ、よかった。僕の役目は終わったんだ。

 今度こそ僕はやり遂げた。

 一年前の約束を果たした。

 これでハッピーエンドだ。



「だそうですよ、誠司さん。返事してあげてくださいね」

 驚きとともにこちらを振り返った彼女は。

「――待たせてごめん」

 僕の隣に立つ主人公の存在に愕然としていて。



「いまの、きいて」



 僕はその隙に、彼女のポケットから○棒をひったくって目の前にかざして。



「脚本通りだよ、雲雀。君は正解を引き当てたんだ」

 脇役にできる、精一杯の、格好つけた笑みを浮かべて。

 



「幸せになってね」





 物語の結びを記した。
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