16 / 45
16.真逆の覚悟
しおりを挟む
その後、信二は、スティーブンス教授から、テレビ電話を介した遠距離診断を受けた。
スティーブンスの傍らに座った通訳を介して、何点か現状の信二の容態について、質問が飛んだ。
それにしても、日本の医療とアメリカの医療では、患者の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)に対して、ここまで考え方が違うのか、と目から鱗が落ちる思いだった。
日本では、(どのような形であれ)生きている、という事実のみを重要視する。
脳の波形が計測でき、心臓さえ動いていれば、意識がなくとも、たとえ、人工呼吸器の管で守られているだけだったとしても、生きていることが重要視される。
いや、例え本人の意識化で、
「死にたい」
と思っていても、死ぬことは許されない。
だが、アメリカでは、その人らしく、その患者の意思を尊重するための医療を提案してくれる。
訴訟大国であるはずのアメリカのほうが、一見無茶な要求もリスクを恐れず、実行する。
信二は、前例主義にとらわれている日本医療の限界を感じていた。
その後も何度か、遠距離診断を受け、無事スティーブンスから、GOサインが出た。
ついにアフリカ行きが、決まった。
その前に気管切開を、という話も出たが、気管切開した後に、飛行機に乗るのは、ハードルが高い。
それに、気管切開後、すぐに退院できるわけではない。
信二は、これ以上、時間を無駄にしたくはなかった。
さらに、もう一つ、信二が気管切開を拒む理由がある。
それは、気管切開をすると、匂いを感じなくなる、ということだ。
肺と喉から突き出た呼吸器の間で、空気の流れが完結し、匂いを吸い込もうとしても、鼻腔に空気が流れないからだ。
信二は、それを避けたかった。
アフリカの暑い空気を嗅ぎたかった。
野生動物の匂いで、肺を充満させたかった。
そんな刺激への期待とは裏腹に、信二の頭の中には、今も医者の言葉がこびりついている。
「死ぬ覚悟をするなら、気管切開をしない、という選択をするしかありません。
ただし、延命しても、亡くなる寸前まで、ベッドの上で後悔することも考えられます」
(だが、そんなことを言われても)
と、信二は思う。
死ぬ覚悟、なんてそんな簡単にできるものではない。
例え、できたところで、死ぬ寸前まで絶対に後悔しない、などということもあるわけがない。
人の気持ちなど、移ろい易いものだ。
今日死にたい、と思っていても、明日にはもっと生きたい、と思うかもしれない。
いや、下手をすると、朝には死にたいと思ったものが、昼に美味しい食事をしただけで、もっと美味しいものを食べたい、長生きしたい、と思うかもしれない。
もちろん、その逆もある。
朝気持ちよく目覚め、生きていることに感謝しても、一日が終わるころには、この世から消えてなくなりたい、と思うかもしれない。
死ぬのには、覚悟がいるかもしれないが、生き続けるのだって、覚悟はいる。
光り輝く命は、どちらの覚悟を選ぶのか。
(その答えを出すために、俺はサバンナに来たんだ)
と、信二は、密かに期待していた。
そんな信二を清子は、心配そうに見つめていた。
スティーブンスの傍らに座った通訳を介して、何点か現状の信二の容態について、質問が飛んだ。
それにしても、日本の医療とアメリカの医療では、患者の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)に対して、ここまで考え方が違うのか、と目から鱗が落ちる思いだった。
日本では、(どのような形であれ)生きている、という事実のみを重要視する。
脳の波形が計測でき、心臓さえ動いていれば、意識がなくとも、たとえ、人工呼吸器の管で守られているだけだったとしても、生きていることが重要視される。
いや、例え本人の意識化で、
「死にたい」
と思っていても、死ぬことは許されない。
だが、アメリカでは、その人らしく、その患者の意思を尊重するための医療を提案してくれる。
訴訟大国であるはずのアメリカのほうが、一見無茶な要求もリスクを恐れず、実行する。
信二は、前例主義にとらわれている日本医療の限界を感じていた。
その後も何度か、遠距離診断を受け、無事スティーブンスから、GOサインが出た。
ついにアフリカ行きが、決まった。
その前に気管切開を、という話も出たが、気管切開した後に、飛行機に乗るのは、ハードルが高い。
それに、気管切開後、すぐに退院できるわけではない。
信二は、これ以上、時間を無駄にしたくはなかった。
さらに、もう一つ、信二が気管切開を拒む理由がある。
それは、気管切開をすると、匂いを感じなくなる、ということだ。
肺と喉から突き出た呼吸器の間で、空気の流れが完結し、匂いを吸い込もうとしても、鼻腔に空気が流れないからだ。
信二は、それを避けたかった。
アフリカの暑い空気を嗅ぎたかった。
野生動物の匂いで、肺を充満させたかった。
そんな刺激への期待とは裏腹に、信二の頭の中には、今も医者の言葉がこびりついている。
「死ぬ覚悟をするなら、気管切開をしない、という選択をするしかありません。
ただし、延命しても、亡くなる寸前まで、ベッドの上で後悔することも考えられます」
(だが、そんなことを言われても)
と、信二は思う。
死ぬ覚悟、なんてそんな簡単にできるものではない。
例え、できたところで、死ぬ寸前まで絶対に後悔しない、などということもあるわけがない。
人の気持ちなど、移ろい易いものだ。
今日死にたい、と思っていても、明日にはもっと生きたい、と思うかもしれない。
いや、下手をすると、朝には死にたいと思ったものが、昼に美味しい食事をしただけで、もっと美味しいものを食べたい、長生きしたい、と思うかもしれない。
もちろん、その逆もある。
朝気持ちよく目覚め、生きていることに感謝しても、一日が終わるころには、この世から消えてなくなりたい、と思うかもしれない。
死ぬのには、覚悟がいるかもしれないが、生き続けるのだって、覚悟はいる。
光り輝く命は、どちらの覚悟を選ぶのか。
(その答えを出すために、俺はサバンナに来たんだ)
と、信二は、密かに期待していた。
そんな信二を清子は、心配そうに見つめていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる