都合のいい友だち

ことは

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3 見知らぬ子

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 さゆりは息を切らしながら、教室の後ろの扉を開けた。

(うそっ)

 さゆりは扉を開けたまま、その場に立ちすくんだ。

 廊下はシンと冷え切っていて、早く教室に入りたかったが、体を動かすことができない。

 息を吸ったまま吐くのを忘れそうになる。

(誰かいる)

 一番後ろの窓際の席。

 セーラー服を着た女の子が、窓の外を見て座っている。

 さゆりとほぼ同じくらいの長さの黒髪。机の上に置かれた手は、か細く、向こうが透けて見えそうなくらい白い。

 女の子が座っているのは、さゆりの隣の席だった。その席には、いつもなら誰もいない。

 その席に座るはずの女の子は、中学が始まってから、一度も学校に来たことがなかったからだ。なぜ学校に来ないのか、理由は知らない。

(今日初めて学校に、来たのかな?)

 別の小学校から来た子だから、さゆりはまだその子に一度も会ったことがない。

 さゆりは、無意識に一歩教室に足を踏み入れた。

(歩けた)

 さゆりは自分で自分にびっくりした。

(教室に人がいるのに、どうして。しかも知らない子なのに)

 いつもなら、自分の意思に反して、体が硬直して動けなくなってしまうのだ。

 女の子が、ゆっくりとこっちを振り向いた。

 逆光で顔は陰っているが、なんとなくうっすら笑っているように見えた。

 さゆりは驚いた。

 女の子の顔は、自分とよく似ていた。生き別れた姉妹と言っても過言ではない気がした。

 さゆりは吸い寄せられるように、その子の傍まで歩いて行った。

 傍まで行くと、さゆりは首をかしげた。

(あれ、全然似てなかった)

 似ているのは髪型だけで、目も口も鼻も全く違う。どう違うかといえば、うまく答えられないのだが、とにかく自分とは全く違う世界を生きている子、という印象を受けた。

 女の子は、ぎこちない笑顔を浮かべながらじっとこっちを見ている。

 目を合わせたまま、お互い黙っているのはとても気まずかった。ほんの数秒のことだろうが、数十分もの長さに感じられた。

 さゆりは女の子から目をそらし、隣の席に座ろうとして椅子を引いた。

 床と椅子がこすれる音が、妙に甲高く教室に響く。その音にビクッとしながらも、さゆりは平静を装って椅子に腰かけた。

 黙ったまま、通学カバンからペンケースを取り出す。

 その間、隣からずっと視線を感じる。

 目を合わせたくなかったが、さゆりは気になって隣の女の子を見た。

 女の子が無表情でこっちを見て、ゆっくりと口を開いた。

 口を開いた状態のまま、時が止まったかのように、女の子は動かない。

 何か話しかけられるのかと思ったが、強い風が窓をカタカタ揺らす音だけが、教室に響いている。

 女の子が一度口を閉じて、もう一度開いた。

「おはよう」

 女の子は、自分で自分の声に驚いたような顔をした。

「おはよう」

 さゆりは答えながら、はっと口を押えた。

「えっ、どうして……」

「どうかした?」

 女の子が不思議そうに首をかしげる。

「あの、わたし、いつもは学校では喋れないの。長い間ずっと喋れなかった。それなのに、今、あなたと話せたからびっくりして」

 さゆりは、両手で胸を押さえた。

「もしかして、あなたも場面緘黙症ばめんかんもくしょうなの?」

 女の子から、『場面緘黙症』という言葉が出て、さゆりは驚いた。

(しかも、あなた『も』って言った?)

 さゆりは、深くうなずいた。

 気持ちが高ぶっているのがわかった。飛び出しそうな心臓を、もう一度ギュッと押さえる。

「家では普通に話せるの。でも学校に来るとなぜか声が出なくなっちゃうし、ひどい時は……、あ、大抵いつもひどいんだけど、体も動かなくなっちゃうの」

 さゆりは、自分の口からすらすらと言葉が出てくることが信じられなかった。

「ねぇ、あなた……」

 次々と言葉があふれそうになるが、女の子の名前を呼ぼうとして、さゆりは首をかしげた。

(えっとこの子の名前、なんだったかな)
 
 さゆりは、思い出そうとした。

 クラス名簿で見ただけの名前。一度も会ったこともなければ、声に出して呼んだこともないその子の名前を、記憶の底から手繰り寄せる。

(石……田、ミ? ミサ? 確かそんな感じ)

「わたしは矢井田さゆり。石田、ミサちゃん? だよね?」

 さゆりは自信なさそうに聞いた。

「うん、そうだよ」

 ミサがにっこり笑った。

「ミサちゃんも、同じ病気なの?」

 さゆりが聞くと、ミサはうなずいた。

「多分ね、そんな感じ」

「多分?」

「別にお医者さんに診断されたわけじゃないけど。でも、誰もわたしに話しかけてこないし、話しかけても無視されるから、だんだん話す気がなくなっちゃった……」

 ミサが泣きそうな顔をする。

「病院は、行ったことある?」

 さゆりは遠慮がちに聞いた。

 ミサが首を横に振る。

「どこの医者だってみんな同じ。友達と一緒で、わたしの話なんか、誰も聞いてない。そんなやつらに話しても、意味ないでしょ?」

 机の一点を見つめるミサの目が陰る。

(もしかして、ミサちゃんいじめられてた?)

「あ。なんか変なこと聞いちゃってごめんね」

 さゆりが気を使うと、ミサが首を横に振った。

「ううん。さゆりちゃんと話せてよかった。こうやってわたしの話ちゃんと聞いてくれた子、さゆりちゃんが初めてかもしれない」

「わたしも、ミサちゃんと話せて嬉しい。何年ぶりだろ、学校で友達と話すのって」

「あのね、もしかしたらわたし、い……」

 ミサが何か話そうとしたとき、ガラガラと教室のドアが開けられる音がした。

「おはよー」

「うーっす」

 次々と、クラスメイト達が教室に入ってくる。

「さゆりちゃん、おはよう」

 今野はるかが、隣の席についた。

 さゆりは、あいさつを返そうとしたが、針と糸で縫い付けられたように口が開かなかった。

 なにか話そうとすると、喉の奥がキュッとなって、息ができなくなる。

 ミサとは話せたのに、他の子とはやっぱりダメみたいだ。

 反対隣のミサを見ると、うつむいてじっと机を見つめている。長い髪が頬にかかって、表情は見えない。

 初めてミサが登校してきたというのに、ミサには誰もあいさつすらしようとしない。

(みんな、どう話しかけていいかわからないよね)

 さゆりはミサが可哀想になった。

 さゆりも久しぶりの登校だが、病気を理解して話しかけてくれる子が少しはいる。隣の席のはるかのように。

 だが、ミサのことを気にかけてくれる子は誰一人いない。

(そうだ。わたしがミサちゃんの一番の友だちになろう)

 さゆりは一人で小さくうなずいた。

(みんなが来る前、ミサちゃんはなにを話そうとしたんだろう?)

『あのね、もしかしたらわたし、い……』

 ミサが言いかけた言葉を、頭の中で反芻する。

 さゆりは首をかしげたが、テストが始まるとすぐにそのことは忘れてしまった。
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