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5記憶
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延命治療も虚しく、春子は3日後の早朝、静かに息を引き取った。
病院から自宅に運ばれた春子は、和室の布団に寝かされている。身体が固く冷たいことを除けば、いつもの春子と変わらないように見えた。
「お義母さん、すごく穏やかな顔をしているわね」
今日子が、春子の肩に手を添えて言った。
「最後に記憶を取り戻したのは、奇跡だったな」
忠義が、春子の頭をそっとなでる。
「未来のお友だちに感謝しなくちゃね」
今日子が言うと、
「母さんからあえて遠ざけた鏡で記憶を取り戻すなんて、皮肉なもんだな」
と忠義が苦笑した。
「でも、わたしがもっと早く鏡を見つけていたら、おばあちゃんこんなに早く死ななかったかも……」
春子の布団の前に座り、未来は唇を咬んだ。
「そんなことない。これが母さんの寿命だったんだ」
「でも、次に鏡を見たら、命の保証はないってお医者さんに言われていたんでしょ?」
未来は涙ぐんだ。
「え?」
忠義と今日子が、訳が分からないというように顔を見合わせた。
「次に鏡を見たらじゃなくて、次に脳梗塞をおこしたらよ」
今日子がゆっくりと言う。
「じゃあ、なんで家中の鏡を全部外したの?」
未来が首をかしげると、忠義が笑った。
「鏡を見て母さんが暴れるのを避けるためだよ。血圧が上がって間接的には、病状を悪化させる可能性もあるかもだが」
「前回、わたしが一人で大変な思いをしたからね」
今日子が気まずそうに言う。
「じゃぁ、鏡を見たら死ぬわけではないの?」
「まさか、そんな病気聞いたこともない」
忠義があっさり言う。
「血管性認知症」
忠義が、早口で言う。
「え? なに? 欠陥製品自称?」
「ひどい空耳ね」
今日子がクスクス笑う。
「母さんの病気。けっかんせいにんちしょう」
忠義がゆっくりはっきりと言う。
「脳の血管障害が原因でおこる認知症のことよ」
今日子が付け加える。
「認知症ってことは、まぁわかっていたけど……。どうしよ。おばあちゃんの病気のこと、友だちに変なふうに説明しちゃったかも!」
未来は慌てふためいた。
「一体どんな説明をしたんだい?」
忠義が呆れたように笑う。
「ちょっと見て。お義母さん、笑ってる」
今日子が、春子の顔を覗き込んだ。
未来も春子の枕元に近づく。
「あれ? さっきまでこんなに口角あがってなかったよね?」
まだ生きているかのような表情に驚き、未来は春子の頬に触れた。
だが、やはり春子の頬は冷たかった。
「きっとみんなの話、聞こえているのね」
今日子が優しく言う。
「母さんの悪口なんか、とても言えないな」
忠義が涙声で呟いた。
――永野春子 享年七十九歳
病院から自宅に運ばれた春子は、和室の布団に寝かされている。身体が固く冷たいことを除けば、いつもの春子と変わらないように見えた。
「お義母さん、すごく穏やかな顔をしているわね」
今日子が、春子の肩に手を添えて言った。
「最後に記憶を取り戻したのは、奇跡だったな」
忠義が、春子の頭をそっとなでる。
「未来のお友だちに感謝しなくちゃね」
今日子が言うと、
「母さんからあえて遠ざけた鏡で記憶を取り戻すなんて、皮肉なもんだな」
と忠義が苦笑した。
「でも、わたしがもっと早く鏡を見つけていたら、おばあちゃんこんなに早く死ななかったかも……」
春子の布団の前に座り、未来は唇を咬んだ。
「そんなことない。これが母さんの寿命だったんだ」
「でも、次に鏡を見たら、命の保証はないってお医者さんに言われていたんでしょ?」
未来は涙ぐんだ。
「え?」
忠義と今日子が、訳が分からないというように顔を見合わせた。
「次に鏡を見たらじゃなくて、次に脳梗塞をおこしたらよ」
今日子がゆっくりと言う。
「じゃあ、なんで家中の鏡を全部外したの?」
未来が首をかしげると、忠義が笑った。
「鏡を見て母さんが暴れるのを避けるためだよ。血圧が上がって間接的には、病状を悪化させる可能性もあるかもだが」
「前回、わたしが一人で大変な思いをしたからね」
今日子が気まずそうに言う。
「じゃぁ、鏡を見たら死ぬわけではないの?」
「まさか、そんな病気聞いたこともない」
忠義があっさり言う。
「血管性認知症」
忠義が、早口で言う。
「え? なに? 欠陥製品自称?」
「ひどい空耳ね」
今日子がクスクス笑う。
「母さんの病気。けっかんせいにんちしょう」
忠義がゆっくりはっきりと言う。
「脳の血管障害が原因でおこる認知症のことよ」
今日子が付け加える。
「認知症ってことは、まぁわかっていたけど……。どうしよ。おばあちゃんの病気のこと、友だちに変なふうに説明しちゃったかも!」
未来は慌てふためいた。
「一体どんな説明をしたんだい?」
忠義が呆れたように笑う。
「ちょっと見て。お義母さん、笑ってる」
今日子が、春子の顔を覗き込んだ。
未来も春子の枕元に近づく。
「あれ? さっきまでこんなに口角あがってなかったよね?」
まだ生きているかのような表情に驚き、未来は春子の頬に触れた。
だが、やはり春子の頬は冷たかった。
「きっとみんなの話、聞こえているのね」
今日子が優しく言う。
「母さんの悪口なんか、とても言えないな」
忠義が涙声で呟いた。
――永野春子 享年七十九歳
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