殺陣を極めたおっさん、異世界に行く。村娘を救う。自由に生きて幸せをつかむ

熊吉(モノカキグマ)

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:第6章 「ケストバレー」

・6-12 第158話 「放物線:1」

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・6-12 第158話 「放物線:1」

 安宿を抜け出した源九郎は、ラウルの姿を追って夜の街並みにくり出した。
 夜の街というのは、当然だが、暗い。照明用の蝋燭やランプを点灯させ続けることができるのはほんの一握りの富裕層だけであり、多くの人々は暗くなるとまともに動けなくなるので休んでしまう。
 あるのは、夜警のための兵士が巡回で困らないようにするために点々と存在するかがり火の明かりだけだった。警備兵たちは定期的に定められたコースを一回りし、かがり火に燃料を継ぎ足しながら不審がないかを見張っている。
 途中、源九郎も松明を手にした兵士の集団とすれ違ったが、特に怪しまれることはなかった。
 素顔をさらして堂々としていたというのもあるし、———向かっていた先が、夜であろうとも利用する者のいる施設だったからだ。
 やがてたどり着いたのは、宿屋街の一角にある、公衆トイレだった。
 いわゆる、古代ローマ式のものだ。
 表通りから外れた裏側にある四角い建物。レンガを積み重ね漆喰で塗り固めて作った壁で囲まれており、そして、その壁沿いに[トイレ]が並んでいる。
 もちろん、令和の日本で一般的な、高品質な陶磁器によって作られた清潔なものではない。
 レンガと石板で作られた人が腰かけられる台座に、天井側に丸い穴、側面に四角い穴があるというだけの簡素な作りのものだ。
 それが壁沿いにずらっと並んでいる。最低限の照明として左右に一つずつ松明が灯されており、開いた穴の陰影がくっきりと浮かんで、揺らめいていた。
 視線を遮るためのついたても扉もない。プライバシーなどまったく考慮されていない代物で決して衛生的とは言えないものの、あるだけマシといったところだろうか。
 それに、メイファ王国にあるこうした公衆トイレは簡易的な水洗式で、出したものは下水の流れに乗って自動的にどこかへ運ばれていくので、その点がほんの少しだけありがたかった。
 日本ではトイレというのはそれぞれの家に必ずあるモノだったが、この世界ではそんな[贅沢]な作りにはなっていない。
 一部の富裕層を除き、庶民はこうした公衆トイレか、おまるのようなものを使う。それか自然の中で野生動物と同様の方法を用いている。
 街中でそんなことをしていては不潔極まりない。だから誰もが、あれば公衆トイレを優先して利用するし、メイファ王国では古くからこうした施設を整備し、都市部の公衆衛生に気を配っている。もちろん、令和の日本の清潔さとは比べるべくもないのだが、地球で伝え聞く[中世]の世界から比べるとずいぶんと過ごしやすい。
 夜中に急にもよおすこともあるから、そこに向かっている限りは夜中に出歩いていても怪しまれることはない。だから誰にも見咎められなかったのだ。
 そしてそこに、源九郎の予定通り、ラウルがいた。
 彼はぽっかりと空いた穴の一つの前に立ち、今まさに用を足そうとしている。
 ———そうなるように、仕向けたのだ。
 彼はフィーナが口の中に突っ込んでいたパンを無理やり飲み込んだ。
 当然、口の中はパッサパサ。喉もカラカラになる。
 だから源九郎はわざと、水をどんどん、飲ませた。
 すべては、夜中のこの時間に、二人だけで話をするためだ。

「よっ、ラウル。隣、お邪魔するぜ」
「なっ!? た、タチバナ……? 」

 犬頭が一筋の放物線を空中に描き始めた瞬間を狙い、源九郎は気さくに、何気ない風を装ってその隣に立った。
 ラウルは驚き、一瞬逃げようとしたが、できない。
 すでに放水は開始されており、パンパンに膨れ貯水量の限界に達した膀胱からあふれ出す水流を止められる状態ではなかったからだ。

「いや~、夜は冷え込むよなぁ。どうしても、近くなっちまうんだよなぁ」

 源九郎は親しみやすい笑顔を浮かべながらラウルの隣に並ぶ。
 しかし、袴に手をのばすことはない。
 そもそも、本当にもよおしてここまでやって来たわけではないからだ。

「くそっ、お前……、まさか、狙ってたのか? 」

 その様子で、彼が自分にわざと大量の水を飲ませたのだと気づいたのだろう。
 犬頭は犬歯をむき出しにして睨みつけて来るが、サムライは意に介せず、単刀直入に切り込んでいく。

「なぁ、ラウル。……セシリアの、お嬢ちゃんのことだけどよ」
「その話は、しないことに決まっただろう!? 」
「まぁ、聞けって。ちょっと確かめられればそれでいいんだ。誰にも、なにも言わねぇさ」

 そう前置きをすると、源九郎は声を潜め、ラウルにだけ聞こえる声で言う。

「あのお嬢ちゃん、どっかの、貴族かなんかのお姫様なんだろ? 」
「……っ! 」

 犬頭はわずかに顔をしかめたが、なにも答えなかった。
 しかし、彼はサムライの問いかけを、実質的に事実であると認めていた。
 ———なぜなら、空中に一定の形で描かれていた放物線が、その瞬間、隠しようもなく動揺したからだ。
 源九郎はその一瞬の揺らぎを、見逃さなかった。

「やっぱりなぁ。ただのお金持ちのお嬢ちゃんにしちゃ、いろいろと物知りすぎたし、雰囲気も違ったからなぁ」

 満足そうな笑みを浮かべると、サムライは視線を天井へと向け、軽く溜息を吐く。
 いろいろと合点がいって、納得することができた。
 やはりセシリアは貴族のお姫様であり、だから政治や社会制度について詳しかったのだ。
 だが、そうなると、別の疑問も無視できなくなってくる。
 ラウルは最初、お嬢様のことを自分たちの[スポンサー]であると説明していた。
 それは彼女の正体を偽るためのウソだったということになるが、しかし、こうしたウソというのは、まったくの虚構ではないことがある。
 完全な作り話というのは、往々にして、どこかでボロが出てしまうものなのだ。
 しかし、そこに一部の真実を混ぜれば説得力が増すし、そのウソに破綻が生じにくくなる。
 つまりは、ラウルたちは本当に、セシリアの家に、貴族の家に雇われているのだ。

「なぁ、ラウルよ。お嬢ちゃんが本当に、どっかのお姫様だとするとよ」
「……なんだ、タチバナ」

 ラウルは苦々しい表情でサムライのことを睨みつけている。
 さっさとこの話を終わりにしたいという様子だったが、やはりまだ放水は完了しておらず、途切れないので、動けないという状態にいらだちを隠せていない。
 そんな彼に、源九郎はあまりに自分の作戦がうまくいったことに笑いを隠せなくなりながら、自身がすでに半ば確信している問いを投げかける。

「お前、悪党じゃないだろ? 本当は、贋金事件を暴くために差し向けられた密偵とか、そういう、政府側の人間なんだろ? 」

 答えは、返ってこない。
 しかし犬頭の動揺は、やはり、はっきりと放物線の形になってあらわれるのだった。
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