ウィッチアタック・ギャラクチカ

まんなかは恥ずかしい

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その5

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 このところ、梅雨らしい空模様が続いている。
 シルシュはそのまま家に居着いている。というより、ウチの家族が引き留めているといったほうが正しい。その後も警察に捜索願が出ていないか確認しているが、該当するものはないらしい。妙な扮装をした青髪青目の少女なんていう届け出があれば目立つだろうから、見落とされはしないだろう。いたずらだと思われて相手にされていない可能性もあるが、ひとまず、彼女が本物の異世界人であることの裏付けにはなっている。
 乗りかかった舟で、警察のご厄介になるよりはとシルシュに留まるよう勧めた。一旦は遠慮していたが、大人たちから見れば子供が一人きりでどうしようというのかという状況である。彼女としては、俺を介して魔力を補充さえできれば見知らぬ土地でもなんとでもできるのだろうが、そんな理屈が通じるはずもない。信じる信じないではなく良識の問題として、容認できないものなのである。
 かくして西山家の居候に収まったシルシュだったが、祖母に相手をしてもらいながら日々を無為に過ごしている。とはいえ、ぐうたらとしているわけではない。祖母はそういうのに厳しい性質で、ただで居候させるなんてとんでもないといって家事を手伝わせている。シルシュもシルシュで、もともと師匠である魔女の身の回りの世話をしていたというのだから、そのあたりはお手の物。そつなくこなしてしまって祖母もたいそうご満悦とのこと。ちなみに、シルシュが空を飛ぶときにまたがっていたラクロスのラケットみたいな杖は掃除用具らしく、それ一本で埃取り、水拭き、油落とし、ワックスがけまでこなし、果ては草刈り、高枝切りまでできてしまう万能用品らしい。学校から帰ると家中ピッカピカになっており、まさか俺の部屋まで浄化されてしまったかと血の気が引いたが、祖母に止められたとのことで手つかずのままだった。自分の部屋は自分で片付けるべし。あって良かった西山家家訓。
 そんなこともあって、縮こまっていたシルシュもだいぶ打ち解けたようだった。
 ただし魔女探しは一ミリも進んでいない。
 魔女のほうからちょっかいをかけてくる気配も、今のところ見受けられない。
 シルシュのいた世界では、雨が降ることがないらしい。現象として知ってはいたが、なんとなく得体が知れなくて、初めて見たときには屋根のある場所でじっと止むのを待ったこともあった。今はもう、濡れるだけとわかっているが、だからこそ雨続きで家にこもっているのだという。便利な魔法はどうした。
 気になるのは、様子のおかしい父である。紗莉が言うには、自分の進路希望の変更を打ち明けて以来のことらしいが、その段階では俺にはわからなかった。一方、シルシュがウチに来てからの異変は明らかである。誰が見てもおかしいが、俺以外はあきれることはあってもあやしむことはない。
 魔女は俺の近辺に潜んでいると推測されている。魔女が父になりすましている可能性は捨て置けるものではない。しかしそれにしてはあからさまにすぎる。父を疑いたくはないが、疑いを晴らすにはどうしたら良いか。
「西山ぁ……それはねぇ、初孫現象だよ」
 教室で懊悩する俺に、志津木は息の多い声で言った。心の底から辟易し、諦めに肩までどっぷり浸かったようなその調子は、どうやら俺に対する不満の表明ではなさそうだった。
「なんだそれは」
「親っていうのは、本心では子供を甘やかしたくてしかたないんだってね。でも我が子のためを思えばこそ、きびしくしつけなければいけない。だからその制約から解き放たれたとき……そのありさまは、親ならぬ者の目には奇異に映るんだそうよ」
「なにを言ってるんだこいつは」
 隣のあーちゃんに振ると、意外にも訳知り顔での首肯が返ってきた。あれ、ひょっとして一般常識だった? もう習ったやつ?
「つまり、西山父の不審な行動は、すべてその初孫現象で説明がつくということだよ」
「そうなの? すると、仕事帰りに何の脈絡もなく洋生菓子を買ってきたのは?」
「初孫現象です」
 志津木は顎の下で手を組み、鷹揚に目を閉じた。
「じゃあ、特に理由もなく三日連続で有休を取ってるのも?」
「初孫現象です」
「普段はしない家事を手伝ったり、物置の整理を始めたり、庭の手入れをしたりしてるのも?」
「みーんな、初孫現象ですね」
「まさか、七夕用に笹の手配をしているらしいのも……?」
 志津木は深くうなずく。薄く目を開き、言い聞かせる相手に諦観を求めるように告げた。
「典型的な、初孫現象です」



 ともあれ、シルシュをせっついてみようと思うのだった。
 本音を言えば、俺の日常が保たれるのなら魔女のことなんてどうでもいいと思っている。魔女の小細工で知らぬ間に魔力とやらをどぶどぶ注入されているのだとしても、健康を損なうことがないのなら蚊に刺されるよりも無害だし、家に居候がいたところで父がうっとうしいキャラを発露するくらいで特に気にならない。むしろシルシュが家に居続ければ、来年になって紗莉が家を離れることになったとしても、そのときの父の落胆が緩和される効果が期待できる。自分の代わりに、なんて紗莉が言ったのも、あながち嫌味だったわけじゃないのかもしれないと思えてくる。
 ただ、どうしても気がかりなのは、魔女が誰かと入れ替わっている可能性を否定できないことだ。入れ替わられた本物の安否が危ぶまれるのはもちろんだし、いずれにせよ実害が出ていることになる。シルシュはそこまではしないだろうと言っていたが、どこまで当てにできるのかわからない。
 居間でテレビを見ていたシルシュに、魔女探しの今後について尋ねた。
「ん~~ゅ~~~ぅぅ……」
 動きそうで動かない家電のようにうなりながら、ゆるゆるとうつ伏せに寝転がり、座布団に顔面を埋める。こういうリアクションには心当たりがあった。親から試験勉強について言及されたときの俺そのものである。
 しいてそれ以上は追及せず、その日はそれだけ。
 あーちゃんに意見を求めた。
「そりゃあ十年も経ってたってのがショックだったんだろ」
 あーちゃんには、シルシュから聞いた話をだいたい余さず伝えてある。確かに十年と聞くと相当な時間だしインパクトあるし途方に暮れてしまうかもしれない。
 でも、そもそも、そんな常識的な感覚が通じる話でしたっけね。今さらって感じもするけど。
 後日改めて問うと、シルシュは赤ん坊がイヤイヤするみたいに、再び座布団に顔面を埋めた。何も見たくない聞きたくないと言わんばかりで、やさぐれた心境がうかがい知れる。
「探します、探しますよぅ……」
「そんなこと言って、ごろごろしてばっかりじゃないか」
「そんなことないです。ちゃんとお手伝いしてますもん」
「えらい。けどそういうことじゃねえよ。お前、ウチでホームステイするために異世界くんだりから来たわけじゃないだろ」
「だってぇ……」
 座布団の中でごにょごにょと続けるシルシュのそばに、俺は近づいて座り込む。
「……お前さぁ、魔女を探すのなんてやめて、もう帰ったらいいんじゃないか?」
「…………」
「お姉さまとやらだって、わかっててお前に面倒を押しつけたんだから責められるいわれなんてない。本当に必要なら、あとで誰かが探しに来ればいいし。お前がひとりで背負い込むようなことじゃないだろ」
「……アーチャンさんが、リゼリヤお姉さまがお師匠と結託してるのかも、って言ったことあったじゃないですか」
「あったっけ?」
「あったんです。そんなはずないって、私すぐに言いましたけど。でもあのとき、もしかしたらそうかもとも思ったんです。お師匠とお姉さまが協力して、私を騙すんじゃなくて、私を試そうとしてるんじゃないかって」
「でも、魔女はそんなことしそうにないヤツなんだろ?」
「……そうです。そうなんですけど……」
「なんだ? なにが言いたいんだ?」
「…………」
 ごろりと転がる。畳の上に青い髪が広がる。シルシュは顔を覆っていた座布団を引き下げて、わずかに青い目を覗かせた。
「……ニシヤマさん、私、どうしたらいいんでしょうか」
「魔女を探すか、あきらめて帰るか、どっちかじゃねえの?」
「…………帰れません」
「じゃあ探すしかないじゃん」
「どうやって? 何の手がかりもないし、やみくもに探したって見つかるはずもないし……」
「そうはいっても、なんにもしないわけにはいかんだろう」
「わかってますよ! でも、だったらどうすればいいっていうんですか! 役に立つことも言ってくれないくせに、うるさいです! ニシヤマさんうるさいですよ、もぉー!!」
「むぅ……」
 怒鳴られてしまった。それから座布団を数回ぶつけられる。以前は、やみくもに探すしかなかったとしても、腐らずに取り組む気概があったのに。あーちゃんの言うとおり、思いのほかこたえているのかもしれない。
 どうしたらいいか。しかしそんなのは俺に求められても困る。こういうときに頼るべき相手は決まっているのだ。
 俺はシルシュをなだめて、あーちゃんに相談に乗ってもらおうと提案した。まだちょっと憮然としたままうなずくシルシュ。まあ、あーちゃんも嫌とは言うまい。



 翌日、また学校帰りに話そうということになった。相談自体には了承してくれたあーちゃんだが、それも弱腰な感じで、きりりとした猛禽類的な目つきにいつものキレがない。
「正直、お手上げなんだよなぁ……」
「またまたご謙遜を」
「いやマジで。こっちの世界をよく知らない魔女が不自然な行動をとってるかも、なんて期待したけど、十年も過ごしてるんじゃすっかり馴染んでるだろうし。何でもありの奴相手のしっぽをどうすれば掴めるのか、皆目見当がつかんね」
「でも、話してれば何か思いつくかもしんないじゃん? あいつにとっても、気晴らしというか、気を取り直すきっかけになるんじゃないかと思うし」
「そうかね。ま、いいけど。聞きそびれたこともあったし」
「ほらぁ、あるんじゃ~ん」
「シル坊にとっては当たり前だから説明してないだけで、どうせ確かめたところでどうにもならんよ」
「……え、しるぼう? え?」
 放課後、学校からほどほどに離れた場所でシルシュと落ち合うことになっている。バスケ部の練習をサボることにためらう理由はなかったので、授業が終わるとすぐに向かった。藤野は、今日は志津木から手品部に参加することを誓わされていたようで、こちらに関心を示していたものの、あえなく連れられて行ってしまった。一方、夏目はわざわざ部活を休んでまで一緒に来るという。つまり、男ばかりが三人で、見た目小学生の少女と待ち合わせることになる。咎められたら言い訳できないのではなかろうか。わざわざ学校から離れているのも、なんだか人目を避けてこそこそしているみたいだし。
 しかしそれは杞憂だった。ある意味でもっとひどい状況が待ち受けていた。
 校門のそばに横付けされた車に、どうしようもなく見覚えがあった。嫌な予感。おそるおそる運転席を確かめると、案の定父の姿があった。
 助手席の窓がウィーーンと下がり、顔を出した少女がこちらに向かって手を振る。
「おおーい、ニシヤマさーん。こっちですよー、こっちー」
 下校中の生徒たちの視線がシルシュに向かう。渋々車に近づくと、俺にもまとめて視線が集まる。雨が降っていれば傘でガードできたのだが、不幸にも重苦しい雲が広がるばかりだった。
「あんまり目立つことしないでほしいんだけど……」
「? どうしてですか?」
「どうしてと言われると、どうしてもとしか言いようがないんだが……」
「今日はドライブというものに連れて行ってもらいました」
 シルシュが言うと、運転席の父は得意げに口の端を持ち上げ、親指で後部座席を示した。
「とにかく乗れ。みんなで何か相談事があるんだってな。そのへんのファミレスでいいか?」
「待て。なんか参加するつもりの口振りに聞こえるんだが」
「そうだが?」
「…………」
 俺は無言で助手席のドアを開けると、シルシュを引っ張り出した。
「……母さんに、夕飯いらないって言っといて」
 素っ気なく言ってドアを閉める。父は軽く舌打ちすると、開けっ放しになっていた助手席の窓を閉め、車を発進させた。
 シルシュが不思議そうに俺を見ている。彼女にはわからないのだろう。少年同士の会合に、保護者の同席などありえない。父だって、本来ならその程度の機微は承知のはずなのだ。かつて少年であった、本来の父ならば。
 走り去る車を一瞥し、俺は短く息をつく。
 おそるべし、初孫現象。



 三人ともアルバイトは未経験なこともあり、懐に余裕はない。勢い、食べて帰ると言ってしまい、二人にも付き合わせてしまって申し訳ないという話をしていたら、シルシュがおもむろにポケットから一万円札を取り出した。我々は目をむいた。正月にしか見かけないやつである。
「パパさんにもらいました。おこづかいだそうです」
 実の息子への月額の倍額をポンと渡すとは、げにおそろしきは初孫現象である。ていうかあの野郎、「パパさん」なんて呼ばせてるのか。捕まっても知らんぞ。いや、いっそ捕まるべきか。
 それはそれとして、一万円である。誰もがその価値を認め、欲して止まない一万円。意図せず、生唾が喉を下った。
「……豪遊、できる!」
「待て待て西山。こんな子にたかる気かよ?」
 それもそうだ。まあ、シルシュの分の払いを考えなくても良いというだけでも助かる。各々の好みやら懐事情やらを鑑みて、比較的安価でオーソドックスなファミレスに入ることにした。
 ちなみに、シルシュはもともとの服装ではない。どこにとってあったのか、紗莉の子供の頃の服が続々と湧いて出てきて、それを着させられている。青い髪も、今日は三つ編みおさげのうえに帽子をかぶっているため、飾りみたいに見えてあまり目立たない。父と出掛けると話したら、祖母が編んでくれたらしい。心温まる一幕。
 席に通されて、二人ずつ向かい合わせに収まると、シルシュがいそいそとメニューを開いた。この手慣れたムーブ……親父の野郎、けっこう連れまわしてやがるな。軽く職質されろ。
「そういや、西山んちに行くまでは食事はどうしてたんだ?」
 シルシュと向かい合わせに座るあーちゃんが、何気ない疑問を口にする。
「食べてません。魔力があるうちは食べなくても平気です。逆はダメですが」
「逆って?」
 俺が隣から口を挟むと、代わりにあーちゃんが答えてくれた。
「僕らと同じく活動するために食事はする。で、魔力でその代わりにすることはできるけど、食事で得たエネルギーを魔力として代用することはできねーってことだろ。それってホムンクルスだけの性質?」
「いえ、普通のヒトでもできます。一種の魔法ですね」
 ふーん。ってことは、魔力がたぷたぷらしい俺も、意識して飢えをしのぐことはできなくても、多少は飲まず食わずでも生き延びられたりするのかね。
 話しながらもシルシュはメニューから目を離さない。さすがに字までは読めないので、写真を眺めるだけなのだろうが、かつてないほどに真剣な面持ちである。このただならぬ眼光、もしや当初の目的を忘れているのでは。さてはこいつ、ただの食いしん坊だな?
「あっ、これ、昨日の晩ごはんに食べました。カレーってやつです。ですよね?」
 ほとんど歓声みたいな声をあげて指をさしてみせるそれは、まさしくカレーである。ウチのはそんなに上等な見た目をしていないが。それにしても子供ってカレー好きよね。子供だけど。
「西山家のカレーってめちゃ辛いんじゃなかったっけ? 食べれたの?」
 夏目の言うとおり、我が家のカレーはすこぶる辛い。何でも辛くするわけではないが、辛い食べ物は極端に辛くする文化があるのだ。紗莉が重度の辛党だから、というのが唯一にして最大の理由。耐性のない俺は苦しみあえいでいるのだが、シルシュはすんなり順応してしまってちょっと悔しい。
「こいつ、辛いの平気みたいなんだよ。普通に食ってた」
「全然平気です。辛いのおいしいです」
「へえー……」
 そんなことより本題である。食べるのは後にして、とりあえず飲み物だけを注文することにした。ぞろぞろとドリンクバーへ向かい、また元の席に戻る。
 あーちゃんの疑問その一。魔女は魔力切れにならないのか。
 この世界には魔力の元になるマナがほとんどないらしい。シルシュはそのことを失念してガス欠になり、校舎に墜落するという失態をかましたわけだが、魔女であっても条件は同じはず。
「有名な魔女なんだろ? 莫大な量の魔力があるんじゃないか?」
 夏目が言うが、シルシュはコンパスのように魔力の在りかを指し示す魔法の道具を持っている。それに探知されないということは、魔女自身が保持している魔力量は多くはないということ。
 また、魔女は〈コンパス〉での捜索を妨害するために、俺に大量の魔力を注入して囮に仕立て上げている。ただし、魔法使いではない俺の身体からはどんどん漏れていくため、魔女は自分の魔力が上回ってしまうことがないように、定期的に俺に魔力を補充しなければいけない。たとえ魔法を使わずに潜伏していたとしても、魔力を消費してしまうわけだ。しかも、そんなことをもう十年も続けている。使い切ることがないのか、確かに疑問である。
「魔女が西山の身近に潜伏してるんなら、漏れた魔力を吸って、また西山に戻せばよくない?」
 また夏目が言う。的を射た指摘。確かに説明はつくけれども、一旦体外に排出されたものをまた体内に戻されるってすごい嫌なんですけど。
「それは僕も考えたんだが、ロスもあるだろうからいずれは尽きるわけで。魔女にとって魔力は生命線だろうし、無策とは思えねーんだけどな」
 シルシュは平然として、ちゅうちゅうとりんごジュースを吸っている。あーちゃんの予想どおり、特に有用な話ではなさそうだった。
「それはですね、お師匠は炉から魔力を引いているんです」
「ろ?」
「そういや、ナントカの魔女とか言ってたっけな。なんだったっけ?」
 エサをねだる鯉のように間抜けに口を開く夏目と俺とは違い、あーちゃんは思い当たるところがあるらしい。
「『うつつろ』です。お師匠にとって、さっきのドリンクバーっていうやつみたいなものですね」
 ディスペンサーの並ぶ一角をちらりと振り返ってから、シルシュは改めて説明してくれる。
 シルシュの師匠である魔女ロワリィは『うつつろの魔女』の異名を持つ。それは魔女の根城が、マナから魔力を精製する炉であることに由来するのだという。本来、魔法使いはマナを体内に取り込んで魔力を得るのだが、その過程を魔女は機械的に再現してしまった。知られているかぎりではそんなことが可能なのは魔女だけで、魔女にしか仕組みを理解できない。
「お師匠と私が住んでる世界は、辺境も辺境、ヒトなんて住んでないばかりか、見渡すかぎりの荒野にマナが充満してるっていう場所です。魔力はひっきりなしに精製されて、お師匠はそこから自由に魔力を得ることができるんです」
「それは、本人が異世界にいても? うっかり十年も経っちまったっていうやつは障害にならないのか?」
「ならないんでしょうね。魔女は特別なんです。こないだ、お師匠が『全宙連』というところのお手伝いをしてるってお話ししたと思いますけど、お師匠は今言ったような辺境に引きこもっているので、まともに連絡をとることなんてできませんし、直接会おうと思うとそれこそうっかり時間に流されちゃうことになりかねません。じゃあどうやってやりとりするかというと、ちょっとした道具を『全宙連』の方に渡してあるんですね。それを使うと何らかのかたちで伝わるらしく、お師匠から連絡がもらえることになっているんだそうです」
「ああ、それ知ってる。えっと……ポケベル?」
「で、そのお師匠からの連絡は、どういう理屈か、時間差が発生しないそうです。魔女は特別で、常識が通用しない存在なんです。だから、炉とお師匠をつないでいるものも、不都合なくつながっていると思います」
「…………」
 なんとなく、そろって息をついて押し黙ってしまう。魔女が魔力を切らすなんて初歩的なミスはしないっていう予想どおりの話なのだが、思いがけずスケールが大きくて途方に暮れてしまう。
 不意に、夏目がつぶやく。
「あれ? ひょっとして魔女って人間じゃない?」
「え。女の魔法使いだから魔女なんじゃないの?」
 俺が素朴な感想を返すと、シルシュは首を振った。
「ちがいますよ。魔女は魔女です。ヒトじゃありません」
「老いないとか言ってたから、もしやとは思ってたが」
 あーちゃんもおどろいた様子。確かに言ってたけど、老化に抗ったり加齢を認めない人っているから、てっきりそういう人なのかとばかり……
「あ、そう……じゃ、なんなの?」
 重ねて素朴に聞き返すと、シルシュは困ったように眉を寄せた。りんごジュースを一口。
「なんなんでしょうね。魔女が何者なのか、はっきりしたことは誰も知りません。どうしてそんな飛び抜けて特別な存在がいるのか。一説には、魔女はマナから生まれるっていわれてますけど……」
「マナから? 自然発生するってことか?」
 あーちゃんの問いに、ややためらいがちに首肯を返すシルシュ。自然発生ってことは、親が子を生んで、その子がまた子を生んで――っていうのとは違うってことか。うぅむ、それはもはや生き物ではないのでは。妖怪変化とかそういう類?
「マナが魔法を媒介するって話、しましたよね? マナは世界を変容させます。だから魔法使いは魔力を通じてマナに働きかけることで世界に意思を反映させます。裏を返せば、世界はマナによって形作られているともいえます。マナから生まれる魔女は世界と同等、あるいは上位の存在なわけで、だから制限も受けないんじゃないか、というわけですね」
「あのさ、その魔女は、どうして『全宙連』とかいう連中の手伝いなんてしてるのさ。なんか義理でもあるの?」
 今度は夏目から素朴な質問。
「さぁ……なんででしょうね」
 空になったグラスを揺らしながら、首をひねるシルシュ。
「そもそも、そいつらは具体的に何をしてんの?」
「全生活圏域の統一的恒久平和を標榜しているそうですが、よく知りません。ただお師匠が最近お手伝いしてることに関してでいえば、つまるところマナの暴走を鎮静化するんだそうです。なにかの弾みでマナが世界をめちゃくちゃにし始めることがあるんですが、それを魔法の逆用で抑え込むわけです。これが言うほど簡単なことじゃないらしくて、ヒトの手でやろうとすると膨大な人数が必要になるところをお師匠ならたったひとりで――」
「あっ、ごめん。もうそのへんでいいです。だいじょうぶでーす」
 俺が手のひらを突き出してギブアップすると、シルシュはあきれたように鼻を鳴らした。
「それじゃあ私、飲み物がほしいので、ついてきてください」



「えぇ……ニシヤマさん、なんですかそれ……? そんなの飲んで大丈夫なんですか……?」
 シルシュが俺のメロンソーダを見てドン引きしている。炭酸飲料を冒涜する目つき。たいがい失礼なヤツである。
「大丈夫に決まってるだろうが。飲んでみ? 甘いぞ?」
「いやぁぁあああああ」
 シルシュはぶるぶる首を振って俺の勧めを断る。この鮮やかな蛍光色と弾ける炭酸を目にして心躍らせることもしないとは、子供にあるまじき感性といわざるをえない。
 あらためまして、あーちゃんの疑問その二。どのようにして魔女がこの世界にいることを特定したのか。
 聞くかぎり、この世界以外にも複数の世界が存在するようである。数ある世界の中から、この世界に魔女が逃げ込んでいると断定できる根拠とはなにか。
「――と思ったんだが、炉から魔力を引いているってんなら、それをたどったってことか」
「それなら、魔女の居場所まで突き止められたりできなかったの?」
 夏目の反論。俺はシルシュに緑色の液体をしつこくするのに忙しい。
「そこまでの精度は出ないのかもしれんし、こっちに来ちまったらもうたどれないんだろ。だから〈コンパス〉使ってたわけで。仮にあっちで正確な居場所を掴んだとしても、こっちに向かってる間じっとしてるってこともないだろ。ただでさえ時間差が発生するっていうんだし。それに、魔女もシル坊もジャコスンに出現したっていうんだから、世界間を移動するうえで到着地点が限定される要素があるのかもな」
「そのあたりは私もわかりません。リゼリヤお姉さまに言われてこの世界に送ってもらっただけなので。ちょっと手間取ってたみたいで、そのときにはお師匠のことでイライラしてるんだとばかり思いましたけど」
 シルシュは押し付けられるグラスを押しやりながら答える。ん? ってことは、うっかり十年も経っちゃった件は、こいつの責任じゃないんじゃ。なんでへこんでたんだ?
 ぁあ、と我ながら間抜けな声が出た。
「そうだ、思い出した。こないだ言ってた『漂流』ってやつ、もう一回説明してくれよ」
 そうそう、ぜひともあーちゃんにも聞いてもらいたかったんだ。まあ、その話が魔女の居場所を突き止めるために重要だとは思えないが、俺なんかの思いもよらないようなことを閃いたりするからなあ。けっして、俺にもわかるように噛み砕いて解説してほしいわけではないんだ。あくまで魔女を探すためだ。それにほら、あーちゃんってば異世界設定に興味津々みたいだし。
「え? あ、はい、かまいませんけど……」
 請け合いながらも、青い瞳はちらちらとメロンソーダへ向けられている。嫌がってはいても気になってしかたがないようだ。これは時間の問題でしょうな。さっさと素直になれば楽になれるものを。おろかなオンナだぜ。



 あーちゃんによるわかりやすい説明。
 我々の住む『世界』というものは、大きな川を下る船なのだという。川の流れは時間の経過。川上が過去方向で、川下である未来方向へ一方通行で進んでいく。さかのぼることはできない。流れは一方向だが、場所によって流れが速い場所があったり遅い場所があったり、一定ではない。一方、船の上ではそんなことはない。船がどこを進んでいても、船の上では、船首も船尾も甲板も船底も、時間の流れる速さは一定である。そこでなら人は暮らせる。すなわち人の住む『世界』ということ。
 川には無数の船が浮かび、それぞれ川下へ下っている。下る速度はまちまちだが、平均すると同等になるといわれている。異なる世界への移動とは、別の船に乗り移ることに相当するわけだが、そのために接舷してロープをかけて橋を渡して――というような手順を踏んでいる間にも船は進んでいる。この作業が長引けば、それだけ余分に船は進む。ここでいう作業とは移動のための行為全般であり、それに費やした時間は移動者の体感時間ではなく、移動先の世界における時間経過を意味する。したがって、手際が悪かったりトラブルがあったりすれば、その分だけ大きな時間差が発生してしまうことになる。
「ふーん、ウラシマ効果みたいだな。信じがたい話ではあるけど、そういうものだと言われれば、べつにややこしい話でもないような」
 シルシュに続いて、あーちゃんにより簡略化された解説が終わると、夏目は腕組みしながら言った。夏目よぅ、難しい話を易しく話してもらったあとで理解できたってドヤったところで、頭が良いとはいえないんだぜぇ。
 ちなみに俺は、今もってよくわかっていない。
「うんうん、とてもわかりやすかった。完全に理解した。さすがあーちゃん、そこの小娘とはわけが違うな」
「自分ではわかってても他人に説明するのって難しいんですよっ」
 噛みつかんばかりに俺をにらむシルシュ。しかしどんなに目を三角にしたところで、その手にメロンソーダがあっては格好もつくまいて。
 ともあれ、話は一段落となった。あーちゃんも気になっていたことは一通り聞けたという。
 肝心の魔女探しに関しては、進展の兆しなし。
「一般人の手には負えねーものという印象がより深まった感じだな」
「……そうですか」
 あからさまにトーンダウン。その反応に、バツの悪い顔で視線を泳がすあーちゃん。初めから言わなきゃいいのに。でも、いつもはほとんど無駄口を叩かないタイプなのだ。だからやっぱりこの件に関しては、うっかり本音がこぼれるくらいには非日常モードなのだろう。
 目に見えて落胆したシルシュが、ストローでグラスの中身をかきまぜる。ケミカルグリーンの中を泳ぐ氷が、カラコロとうつろな音を立てる。伏せられた青い瞳の輝きが弱いのは、まつ毛の影が濃いからだけではないだろう。頬杖をついてそれらを眺めていた夏目が、ふと片手を上げた。
「たとえばこういうのはどうかな。この子を人質にして、魔女に名乗り出るよう呼びかけるんだよ。愛弟子の命が惜しければ正体を現せ、みたいな」
「夏目。お前、こないだ俺がどんな目に遭ったかおぼえてる? どうやったらこいつに危害を加えられるというのか。説得力ゼロだろ」
「どっちみち演技なんだし、そのへんはうまいこと考えるとしてさ。それに、学校では実際におとなしくせざるをえなかったわけでしょ? 絶対にありえない状況ってわけじゃないじゃん」
「それは魔力切れだったからだしなぁ。西山が近くにいればその心配もないわけで、そのことは魔女も把握してるだろうし」
「そうだ、じゃあ西山から引き離せばいいんじゃん。魔法がなければ普通の子供なんだからさ。西山家から出てもらって、しばらくの間ひとりで適当なところを探すフリをしてもらって、頃合いを見てどこかに閉じ込める――そのうえでなら、ちゃんと脅し文句として成立するよな。これでどうよ?」
「……ニシヤマさん。私、この世界のことはまだよくわかりませんが、普通の子供を脅迫の材料にするっていうのは一般的な手段なんですか?」
「いい質問だなシルシュ。察しのとおり、子供を使って脅すなんて最低のクズ。クズの中でもトップエリートの所業。悪魔に魂を叩き売った者の末路。人の皮を被った卑劣。そう、お前のことだよ夏目ェ! このひとでなしめ!」
「やっぱりそうなんですね、そうだと思ってました、このヒトデナシ!」
「な、なんだよ。途中までは話に乗ってたじゃないか。……わるかったよ。ちょっと思いついたから言ってみただけだよ……」
「どうだかね!」
「そもそも、なんでここにいるんですか?」
「えぇ……なんか俺にだけ当たりきつくない?」
 さすがにショックを受けた様子の夏目。子供とはいえ、イケメンが女子に邪険にされるのは悪い気がしませんなぁ。
「でも正直、夏目、なんで一緒に来たんだろうとは僕も思った。部活もサボってるし」
「なんだよ相川まで。いいじゃんかべつに。俺だって何かの役に立つかもしれないだろ」
 まあニシヤマさんよりは賢そう、とシルシュが小声で言った。はっきり聞こえたが、聞かせないつもりだったようなので不問にしてやることにする。
「ひょっとして、僕らに用事でもあったか?」
 あーちゃんが言うと、夏目は目を大きくする。しばらく迷うように口元をごにょごにょさせていたので、こちらから促して口を開かせた。
「実は、ちょっとした話が、あるようなないような、まあたいしたことじゃないんだが……」
「待ってください。話しにくそうにしてますけど、それって私が聞いても大丈夫な話ですか?」
「かまわん。いいから早よ話せ。てゆうかお前がプライバシー的な概念を心得ていることに驚きを禁じえない」
 ぎろりとにらみつけてくるシルシュ。だからメロンソーダ片手にすごんでも以下略。
 夏目はなおももじもじとしていたが、やがて一通の封筒を取り出した。今朝登校したら、机の中に入っていたという。はあ、なるほど、ラブレターですねこれは。
 俺とあーちゃんの目がすっと冷たくなるのを見て取って、夏目が何やら言い訳がましいことを連ねて取り繕おうとしてくる。でもまあ無駄無駄。何を言おうと我々の心の壁は抜けませんよ。その間に、シルシュが躊躇しつつも遠慮なしに封筒を手に取り、しげしげと眺める。
「異性からのお手紙というのは、要するに好意を伝えてるわけですよね。テレビで見ました。それで、どうしてニシヤマさんたちは急に態度が冷たいんですか?」
「異性からの人気と同性との友情はトレードオフなんだよ」
 あーちゃんがすかさず言う。けっして譲れない意志が伝わる。これは日頃の鬱憤を感じますなぁ。
「なんだか理不尽な気がしますが」
「そうでもないぞ。夏目には付き合ってる女子がいるんだ。ほら、こないだ学校から帰ったときに一緒にいた小さいヤツ、あいつだ。つまりこいつは、相手がいるのにこんなものをもらったと俺たちに自慢するために見せびらかしてるんだ」
「ははぁ、確かに、相手がいない人にとっては屈辱的な仕打ちですねぇ」
「いや待て待て、そんなつもり全然ないから!」
 じゃあどんなつもりかと問えば、また言いづらそうに口ごもってしまう。はーやれやれ。
 差出人は、夏目と同じクラスで女子バレー部の部員らしい。中学も別で、顔も名前も知らない子。手紙の内容は昼休みに呼び出しを告げるもので、用件は言わずとも知れたこと。呼び出しに応じた夏目は、その場で断ったという。まあ、当然であろう。しかし同じクラスで席も近く、お互い気まずい。そうならないよう、その子は事前にリサーチしなかったのだろうか。
「昔からだけど、お前と志津木さんって、ホントに付き合ってんのか?って感じあるよな」
 あーちゃんが率直に問題点を指摘する。本当にそのとおりで、周知されるよう振る舞ってさえいれば突っ走った挙句に気まずくさせることもなかったわけである。……待てよ。ってことは、カップルがこれ見よがしににいちゃいちゃするのは周囲への配慮だった……?
 夏目は中学の頃からモテた。バスケ部で知り合ったときには三人そろってちんちくりんだったのに、夏目だけがタケノコみたいにぐんぐん背が伸びて、試合に出て活躍するようになって注目され、そのくせ顔も整っていて勉強もできたものだから女子にちやほやされまくっていた。何度となく交際を申し込まれたはずだが、結局付き合ったのは幼なじみの志津木茜だった。中学生にまでなっても疎遠にならなかったのだから気が合ったのだろうし、外野がとやかく言うことではない。どうあれそれ以降、夏目の周囲は落ち着いていたのだ。
 誰と誰が付き合っている、なんていう話はすぐに広まるものだ。高校に上がったとはいえ、大半は同じ中学出身なのだし、知られていそうなものに思えるが。
 もともと幼なじみから発展した間柄ということもあり、交際が始まっても大きな変化はなかった。事情を知らなければ、付き合っているように見えなかったとしても無理もない……のかもしれないけど。
 気がかりなのが、俺には最近の二人の間には溝があるように思えてならないことだ。ちょっとした負い目があるせいでそう見えるだけで、俺の思い過ごしなら良いのだが、傍目にもそのように見えているのなら、これはいよいよゆゆしき事態である。
 今後このようなことが起こらないようにするためにも、対策を講じる必要がある。カップルをやっかむのは習性なのでいかんともしがたいが、これでも二人の仲を心配しているのだ。
 ところが、志津木とどんな感じなのか尋ねても、夏目は奥歯に物が挟まったようなことしか言わない。普段からもっと付き合ってるっぽいことをすべきではないかと諭しても、どうにも煮え切らない。
「ニシヤマさんたちの助言に具体性が欠けるからじゃないでしょうか?」
 シルシュが脇から口を挟む。ほっとけ。しかたないだろ、経験がないんだから。



 昨年末、大晦日のことである。
 夏目と志津木は二年参りに行く約束をしていた。高校受験がじりじりと迫り寄る時期にあって、貴重なデートの機会であった。東向きに海がひらけたこの辺りにはあちこちに御来光スポットがあり、ちょっと気の利いた年越しをしようと考えるならば、お参りしたその足で初日の出を拝むというのが定番となっている。カップルというのは、往々にして気の利いたことをしたがるものである。夏目たちもその例にもれず、出かける予定を立てていた。寒風吹きすさぶ中、受験を控えた身を省みず。
 しかし中学三年ともなれば、いくら幼なじみだろうと男女が夜通し二人で過ごすなんて容認されるものではない。夜中に出歩くこと自体、ほめられたものではないだろう。偽装工作が必要だった。
 一方俺はその日、あーちゃん他数名を我が家に招いていた。このところ受験ムードで辛気臭いし、大晦日くらい羽目を外すなんていかがかしら、という趣旨である。夏目は、このささやかな催しに参加したいと申し出てきた。そういうことで口裏を合わせてほしいという魂胆なのかと思ったがそうではなく、約束の時間まできちんと遊び、その足で志津木との待ち合わせに向かうというのだ。なかなか癇に障るダブルヘッダーだが、まあ許してやった。そのかわり、夢中になって待ち合わせに遅れても知らないぞ、とは忠告しておいた。
 ――まさかそのとおりになるとは思わなかった。
 気がつくと、そろって元旦を迎えていた。年越しどころか、すでに外が明るくなっていた。
 集まったのは昼過ぎ。時間を忘れて遊びほうけていたことについては否定できない。ただ、夏目は外が暗くなったあたりからときどき時計を気にしていたはず。最後に確認してから、いきなり夜が明けるまで夢中になるなんてことは考えにくい。
 いつのまにか寝ていたわけでもない。誰一人として寝ていない。しかし家族の証言によると、ずっと騒がしかったが、不意にぷっつりと静かになり、騒ぎ疲れて寝たのかと思ったという。不可解。
 寒空の下、待ちぼうけを食わされた志津木は、当然夏目に連絡を入れていた。何度連絡しても、一向につながらなかったらしい。夏目のほうに履歴は残っていなかった。志津木からすれば、故意にすっぽかしたとしか思えないだろう。
 志津木がどんな気持ちでいたのか。激怒したとか、一言で言い表せるようなものではないと思う。想像するだけで脂汗がにじむ。しかも、正月の間ずっと寝込むことになったというのだからますます居たたまれない。
 夏目がどんなふうに弁解したのか、聞いていないし聞けない。謝って許してもらったと本人は簡単に言うが、俺にはそうは思えない。半年経った今も禍根を残しているように思えてならない。
 夏目が男友達との付き合いを優先しがちなことで、志津木が俺を目の敵にするのはお門違い。でもこの件に関しては、そしてこの件があってからは、俺にも責任の一端があるような気がしてしまっているのである。



「それは、いわゆる『異界化』というやつかもしれないですね」
 ペペロンチーノをせっせとフォークに巻きつけながら、シルシュは言った。未知の辛いものが食べたいというので勧めたものである。
「イカイカ? なにそれ。このシーフードカレーとなんか関係ある?」
 うるせえ、とあーちゃんに一喝される。ちょうど目の前にあるのだから、関連性を疑わないわけにはいかないだろうに。そしてカレーはおいしいものだという真実を噛みしめる。二晩続けてのカレーにツッコミが入ることは必定であったが、俺はノーマルの辛さのカレーが食べたいのだ。何らおかしいことはない。
 あーちゃんと夏目もそれぞれハンバーグとかを食べている。夕飯にはまだ早い時間だが、こういう店の食べ物って、味が濃いせいなのか妙に腹持ちがいいからちょうど良いだろう。
「異界化というのはですね、さっきアーチャンさんがしてくれた川を下る船のたとえで言うと、船体の一部がはがれて、流れに取り残されてしまう、ってところです」
 そう言われてもまったく飲み込めなかったので、あーちゃんのほうを見る。
「流れにっていうことは、時間に取り残されるってことだろ? 時間が止まるのか?」
 そうです、とシルシュはうなずいた。
「止まったり、ゆっくりになったりですね。空間が分離しかかってる状態なんです。それで、そのまま分離してしまうと、時間の乱流にもまれて分解されます。時間が安定していないと物質はかたちを保てないので」
「すると、その空間にいる人間は……?」
 もちろん死ぬ。それどころかサラサラになって異次元に消える。こわい。
「分離しなかったときには、元の時間の流れに戻ります。そのとき、その間の時間はあっという間に過ぎてしまったように感じられるそうです。ひっぱったゴムが戻るみたいなものでしょうか」
 つまり俺たちは、志津木との待ち合わせ時間を飛び越えてしまったというわけか。
「でも、なんでそんなことがウチで起こるんだ? ウチは世界の端っこなのか?」
「三次元的な端っこじゃねーんだろうよ。シル坊たちが現れたジャコスンだって、べつにこの世界の端っこってわけじゃないだろ」
「んん? なるほど?」
 正直わからないが、あーちゃんがそう言うならそうなんだろう。
「あのさ、それって、やっぱり魔法がらみ? 西山から魔力が漏れてるっていうのが関係しているとか」
「え」
 夏目の言葉にぎくりとする。ちょっと待って。だとすると、いよいよ志津木に対して申し訳が立たないんだけど。
「マナの作用だっていわれてますから、自然災害みたいなものですね。原理的には魔法で起こすこともできるんでしょうけど、お師匠でもなければ無理だと思います。魔力があるからって自然に起こるものとは思えませんねぇ」
「っつーことは、魔女の仕業なんじゃねーの?」
「いや待て待て。そんな大がかりなことを、なんで俺らに?」
「お師匠なら特に意味のないイタズラにどんなに労力をつぎこんでも不思議はありませんが、みなさんを標的にする理由はないですよね」
 わちゃわちゃと議論を始める三人。魔女の手がかりはわずかでも欲しいところだろうが、でも正直、今の俺にはそんなこっちゃどうでもいい。はー、もどかし。いいからほら、どうせその話、結論でないでしょうよ。ねぇ?
「そんなことより、どうなんだ? 俺のせいじゃないってことでいいのか!?」
「な、なんですか急に……。違うと思いますよ、たぶん」
 目を大きくして、すすすと俺から身体ごと離れるシルシュ。あーちゃんと夏目も、開きかけていた口を一旦閉じて、同意を示す。
 ふー、なら良し。あの件は不可抗力だし、なんなら単なる夏目の不注意であって俺は無関係。俺に責任はない。俺は無罪。そう思わにゃやってられん。
「ま、あのときその異界化ってのが起こった証拠もねーしな」
 あーちゃんが落ち着いた声で言う。それもそうだし、そもそもなんで俺がヨソの彼氏彼女のことでやきもきしなきゃならんのだってことですよ。そういうのは恵まれてる人がボランティアでやるべきだろうに、なぜか恵まれてる人が恵まれない人から搾取するという逆転の構図。世知辛い、ああ世知辛い。これは政治のせい? それともマスコミ?
「どっちにしろ、西山が気に病む必要なんてないんだから。な?」
 俺の内心がささくれ立っているのを見て取ってか、夏目もおだやかになだめすかしてくる。そうはいっても、簡単に割り切れるものでもない。志津木も志津木で、わかりやすく恨み節をぶつけてくれたらいいのに。べつにこっちが悪くなくたって謝る用意はあるんだ。でも、俺が居合わせただけで俺のせいじゃないことは彼女もわかっている。だから憎まれ口を叩いて、せいぜいが憤りのはけ口にでもしているだけなのだと思う。
「そのとき、アーチャンさんも一緒だったんですよね? でもアーチャンさんのせいっていう話にはならないんですねぇ。これが日頃の行いの差ってやつですかぁ……」
 うるさい。魔法少女がうるさい。
「夏目の言うとおり、気にしすぎなんだよ。つーか、お前ばっかりがそんなんだと僕が無神経みてーじゃねーか。それに、志津木さんってお前に対しては昔からあんな感じだったよ。知り合ってすぐなのに、妙に気安いなぁこいつって思ったもんだ」
「つまり、最初から軽んじられていたわけですね」
「…………」
「ニシヤマさんでも落ち込むこと、あるんですねぇ」
 そういうお前は楽しそうですねぇ!
 とにかく、だ。俺は夏目を見据えて指を突きつける。
「とにかく、俺は、お前らは円満であってほしいと思ってる。世のカップルはすべからく一回足折れろと願っている俺でも、これは本心だ。なぜなら俺の罪悪感が消えてくれるからな。だからな、ラブレターなんてもらってる場合じゃねえんだ。もっと志津木と付き合ってるっぽいことしろ。何気なく恥ずかしげもなく惜しげもなくイチャコラしろ。俺のためだと思って」
「…………」
 しかし、夏目はついと目をそらす。無言のまま顔を下向けて、その前で手を組む。あれ、全然刺さってない。確かに、完全に自分の都合を述べただけで何にも格好良くないけど、それを踏まえても渋い反応。
「んー……あの、実はさぁ。今日ついてきたのは、二人に話そうと思ってたことがあったからなんだ。手紙のことじゃなくて、それとはべつに。なかなか、言い出せなかったんだけど……」
 気まずそうに、短く言葉を切って、夏目は続ける。
「俺、茜と別れようと思っててさ」
「えっ?」
 二人同時に声を上げる。シルシュが、その反応を順番に見る。
 聞き違いか、だとしたら何を言われたのか。聞こえたままを言われたのだと、じわじわと浸透してきてようやく理解に及んでも、
「……えぇ?」
 結局、それしか出なかった。
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