神さまに嘘

片岡徒之

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神さまと私 1

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 少し昔のことを思い出していたんだ。私が死んでしまう前、あいつに、ちゃんと告んなきゃって心の中で思い描いていたあの日、夏。私はあの時なにをしていたんだろう?なにを心の中に描いて、何を考えて、ちゃんと、胸いっぱいに息を吐いて、前を向けていたんだろうか。 

 ぐるぐる頭を回して考えても、自分が当時の生活の中で、ちゃんと誰かと向き合えていたかなんてわからない。当時の私は、自分のことで精一杯で、二つの足で歩くのさえ難しいように思えた。蛇口の水をひねって、がむしゃらに口をゆすいでも、口の中がいがいがしてたまらなかった。叫ぶ。とりあえず叫ぶ。そのスタンスで、汗だくになりながら夏の日差しを浴びていたら、いつか自分も太陽の光の中に溶け込むことができるかなって、思いもしたんだ。叶わない夢なんだけどさ。そんなことは。 

 わかっていたんだ。自分がそちら側の人間じゃないってことくらい。わかっていたんだ。小さくうずくまりながら、学校の帰り道、その校舎裏に伸びた杉の木の下で、体育座りしながら私は下を向いている。内気な少女。それを取り囲む社会の壁。その壁の内側で、ずっと私は身動きができずにいる。死んでからも、それは少しも変わらない。何一つ、変わらない。私は私のまま。臆病で、華奢で、頼りなく、つまらない。それが世界の日常なんだ。シャボン玉のように、急に弾けて、その事実が消えたりはしない。いっそ、空から大粒の雨が降ってきて、目の前の景色を遮ってくれたら楽なのに。雨の音を聞くのは、心地良い。たくさんの雨粒が弾ける度に、心が洗われたような気持ちになる。

 私は何度も目をつむった。目を閉じて、太陽の光を目一杯に浴びて。そうしたら少しは、この足で、この手で、頭上から降ってくるたくさんの星の影を、巨大な重力を、生きている限り、たくさんたくさん受け取ることができるかなって思った。ほんの小さな、少女の夢だ。だけどそれは、私にとって大事なことだったんだ。誰よりも真っ先に、空の中心を切り裂いて、ちりぢりになった雲の奥にある世界を、見つけたい。結局は叶わなかったんだけどさ。死んだ今となっちゃ、もう遅いか。そんなことを考えるだけ、無駄なのかもしれない。後戻りはできないんだから。

 だけどもう少しの間だけ、考えていたい。目をつむって、この瞳の中に残してきたものを見たい。望遠鏡もなにもない。メガネはとっくの昔に壊れてしまった。けれど、私が見てきたものは、きっと側にあるはずなんだ。私を知っているのは、私だけなんだから。だから、せめてもう一度目をつむらせてほしい。瞑想に浸らせて欲しいだなんて、そんな欲張りはしないから、目を閉じて、考えたいんだ。私が死ぬ前に、できたこと。走り出せたはずの足を、思いっきり蹴り出して、現実の中に歩いていきたいと、何度思ったことか。

 今更遅いって?どうしようもないのかもね。死んだ今となっては、沈黙。沈黙。羊の足音さえ聞こえない。ふざけるな!調子に乗るな!って、誰でもいい。囁く、その言葉の内側をひねり出せるあなたは、素晴らしい。私にはできなかったことだ。世界が180度ひっくり返ったって、私の口から出る弱気なセリフは、いつだって太陽の影の中にあった。結局は、ちょっと、くだらない。そんなセンチで臆病な風が、私の前髪を揺らすたび、泣きたくなる気持ちが込み上げてくる。止まらない感情の奥底で、私は私の墓場を掘る。スコップの先端が削れる。
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