理系少年の異世界考察

ヴォルフガング・ニポー

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唯一の肉親

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 幼い子供たちがうとうとする前に今日の煮込みを終え、火を消して建屋に戻った。

 卓人とエミリはすぐ隣の別棟の二階で寝ることになっている。手狭さ故に何年も前からそのような配置になっていたらしい。卓人はその状況をおいしいと思えるような度胸など持ち合わせていなかったが、ナタリアは別に兄妹なんだから構わないじゃないかと言いつつ、しっかり釘を刺してきた。エミリは何も疑うことはなかった。

 部屋に戻るとエミリが魔法でランプに火を灯す。もはやこれも見慣れてしまった。

 そのままの流れで棚から布を取り出すと、今度は刺繍を始めた。一ヶ月前からこつこつと針を入れてきたという女性用の腰帯には草花が流れるように美しく配置されている。

「ねぇ、お兄ちゃん」

「何?」

「今日のうちにこれ仕上がると思うから、明日売りに行こうと思うんだ。街に行ったら買いたいものもいっぱいあるし、お兄ちゃんもついてきてよ」

 それは思いがけない提案だった。

「そうだね。僕も街がどんなだか見てみたい……っていうか」

「っていうか……?」

「ああ、いや、思い出したいっていうか」

 記憶喪失という設定を崩してしまわないよう興味本位の発言を強引に濁した。

「あ、でも……怪我の具合はどうなのかな。街に出ても大丈夫?」

「大丈夫だと思うんだけどな。今朝も狩りに行ったし。何もしてないけど」

 腕をぐるぐるとまわしてみても痛みは全くない。

「ナタリア先生に聞いてみようね、明日」

「そ、そうだね……」

 卓人は、お色気が凶暴さをまとったあの女性がちょっと苦手だった。

 ひとしきり会話が続くと、そのあとは静寂が訪れた。

 ふたつのベッドにそれぞれが腰かけて向かい合い、卓人は作業を眺めている。

 ぷつっと針が布に刺さると、しゅーっと糸が布を通り抜けていく。ぷつっとしゅーが単調に繰り返されるだけなのに、絶妙なリズムとなって心地よい。

 その一針ひと針から孤児院の子供たちの生活が生み出されてゆく。

 エミリはここでは母親のような存在である。彼女は料理をつくり、生活資金を生み出すために機織りと刺繍をする。子供たちも農業や家畜の世話などさまざまな役割を果たしよく働くが、その収入の多くはエミリが支えている。

『睫毛長いんだな……』

 なんとなく見たままのことを改めて認識した。夜の室内を一点の灯が照らすと陰影が強くなり、映し出される姿は土気色でさえあるのに印象は柔らかい。まるで名画の聖母像のようだ。しかし昼間、残酷にもシカを射殺したのも彼女である。

「できた!」

 見て見て、と完成したばかりの刺繍入りの腰帯を巻いてくるりと回ってみせた。思いの外それは女性の佇まいを美しく引き立てるものだった。そのできのよさを形容する言葉を探しきれず卓人は沈黙してしまったが、態度には表れていた。エミリは解き放たれたように自分のベッドに飛び込むと、うずめた顔をちょっとだけこちらに向けてじっと見つめてきた。その表情は先ほどまでとはうって変わって少女のものであった。

 これはナタリアから聞かされたことだ。

 昨年、本当の兄であるタクトが軍に入ってここからいなくなったとき、年下の子供たちに隠れてよく泣いていたのだという。十二年前――その当時の孤児院監督はナタリアではなかった――兄妹が親を亡くしてここにきたとき、エミリはしばらく兄にしか心を開かなかったらしい。たった一人残された肉親という絆は彼女にとってそれほどに大切だったのだ。その兄が戦場で重傷を負ったからとはいえ帰ってきた。それがどれほど嬉しいことであるか、わからないでもなかった。

『お兄ちゃんか……』

 ランプの灯りは消え、エミリは隣のベッドでかわいらしい寝息を立てていた。いまだメラトニンの作用が訪れない卓人は星明りでわずかになぞれる天井の環郭を眺めていた。

『なぜ僕はここにいるんだろう?』

 自分は彼女の大切な兄を奪ってしまったのではないだろうか?

 それは違うと思いたいが、こうしてありありと兄を慕う少女の姿を見ると、罪の意識は否応なくわいてきた。

『早く、この子に本当のお兄ちゃんを返してあげないとな……』
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