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梅肉エキス工場は布石の一つ
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その日の朝、私は診療所ではなく薄汚い工場の床を掃除していた。紅茶の茶殻がまかれた床を木目にそってホウキで撫でるようにしてはく。
「なんか勿体ないね~~」
私の数歩先を歩くリタは遠慮がちに床に紅茶の茶殻をまきながら、嬉しそうに呟いた。確かに紅茶などめったに飲めない彼女達からすると出がらしの茶葉を使っているとはいえ、この掃除の仕方は贅沢以外の何ものでもないかもしれない。
「紅茶の茶葉をまいておくと、茶殻にほこりがついて効率的に掃除ができるのよ」
本来は玄関の掃除の仕方だが、この薄汚れた工場は我が家の玄関より薄汚れているのでむしろ正しい方法といえるかもしれない。工場で作業が開始されるまでに何度も掃除したのだが、それでも廃工場という雰囲気を残したままだ。何もしていないのに、一日でも掃除をしないとこうしてホコリがたまる。
「バケツの紅茶はどうするの?」
「その水を使ってぞうきんがけをすれば、床のコーティングもできるのよ。白木の場合は変な色がついちゃうからできない技なんだけどね……」
「なら、ここは大丈夫だね」
リタが見渡した部屋の床は、本来白木だったかもしれないが、明らかに茶色くすすけた床が広がっており紅茶の茶葉を使っても問題はなさそうだ。床が綺麗になるだけでなく、消臭効果が期待できるのも魅力だ。
「ここ、閉鎖されてから五年しか経ってないと仰っていましたが……」
私はそう言って、道具を運び入れるディランを睨んだ。
「しゃ~ないだろ。商会で貸し出せる工場っていったら、ここぐらいしかなくてよ」
「そんなことありません!! こんなに早く工場が用意されるなんて思っても見ませんでした」
リタの兄は目を真っ赤にしながらも、喜々としながらそう叫ぶ。おそらく昨日は寝ていないに違いない。廃工場同然のこの場所ですら、嬉しくて仕方ないといった表情だ。
「ま、少なくとも五十人は働けると思うぜ。ま、おいおい人を増やしていくとして、必要なもんがあったら言ってくれ。用意するから」
貧民街には全部で三十から四十世帯が生活をしているという。働ける人口がどれぐらいいるのか不明だったが、十分な規模の工場といえるだろう。
「で……だ。グレイス、お前がさっき使っていたヤツを出せ」
リタ達が作業を始めると、ディランはそう言って手を差し出す。その唐突な要求に私は無言で首を傾げて見せた。
「だから、さっき手を洗った後に使っていたヤツだ」
「あぁ~これですわね」
エプロンの中から殺菌アロマスプレーを取り出し、彼に渡した。と言ってもこの世界にスプレーボトルはないので、香水用のボトルとなるのだが……。
「なんだこれ?」
「キース様など医療関係の魔法を使える方は、手を消毒する魔法を使っていらっしゃりますでしょ?あれの代わりとなる物ですわ」
「凄いな……。で、作り方は?」
「ボトルに度数が高いアルコールを入れ、ラベンダーやヒノキなど殺菌効果が高い精油を十から二十滴加えて、よく混ぜます。混ざり合ったら、一度沸かして冷ました水を加えて完成です」
アルコールと水の分量は1:4になるのが理想だ。実際に使ってみてアルコールの香りがきつい場合は水の分量を増やして調整する。勿論、この劣悪なインフラ環境だから水を一度沸かして使ったが、おばあちゃんは水道水を使っていた。
「手に振りかけたら感染症の予防にもつながるんですのよ」
「精油を使うのか……。これは原価が高くつくな」
「そうなんです。私もこの工場で、アロマスプレーが作れたらとおもったんですけど、精油は決してお手頃価格では販売されていませんからね……。商品の材料としては買えませんわ。さすがにディラン様も廉価で質のいい精油なんて用意できませんでしょ?」
日本では純度のいい精油でもラベンダーならば千円もせずに手に入る。さらにアルコールと水で薄めるので、一個あたりかなり値段をおさえて生産が可能だ。ところがこの世界では精油が驚くほど高い。貴族の一人娘ということで当然のように与えられていたが、一本あたり金貨一枚(一万円)前後が相場という。
『販売していない』『用意できない』ディランの琴線に引っかかりそうなワードを並べた所、案の定彼は「う―――ん」と小さく唸った。
「数日時間をくれ」
その言葉を待っていたわけだが、おくびにも出さず私は
「お待ちしておりますわ」
とにっこりと微笑んで見せた。それはディランが想像通りに動いてくれただけでなく、順調に私の病院再建計画が進んでいることに満足した笑みでもあった。
私のおばあちゃんは囲碁が大好きだった。いや、正確に言うとおじいちゃんが大好きだったので、付き合わされていたというだけなのだが……。そのおばあちゃんがいつも口癖にしていたのが
「目先の石を取りに行ったらダメよ」
という言葉だった。数十手先を考え、その盤面で効力を発揮する石を置くのが囲碁なのだとか。
それはここでの生活でも同じだ。梅肉エキス販売によって直接病院に収入はないが、それでいい。短期的な収入ではなく、長期的に病院を運営できることが『医者の嫁』の目的なのだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【参考文献】
生活の木:アロマスプレーの作り方(最終閲覧日:2019年5月15日)
https://www.i-shrine.co.jp/hpgen/HPB/entries/92.html
【御礼】
お気に入り登録、本当にありがとうございます。
「面白かった!」「お勧めのおばあちゃんの知恵があるよ!」という方は感想をいただけると嬉しいです。
「なんか勿体ないね~~」
私の数歩先を歩くリタは遠慮がちに床に紅茶の茶殻をまきながら、嬉しそうに呟いた。確かに紅茶などめったに飲めない彼女達からすると出がらしの茶葉を使っているとはいえ、この掃除の仕方は贅沢以外の何ものでもないかもしれない。
「紅茶の茶葉をまいておくと、茶殻にほこりがついて効率的に掃除ができるのよ」
本来は玄関の掃除の仕方だが、この薄汚れた工場は我が家の玄関より薄汚れているのでむしろ正しい方法といえるかもしれない。工場で作業が開始されるまでに何度も掃除したのだが、それでも廃工場という雰囲気を残したままだ。何もしていないのに、一日でも掃除をしないとこうしてホコリがたまる。
「バケツの紅茶はどうするの?」
「その水を使ってぞうきんがけをすれば、床のコーティングもできるのよ。白木の場合は変な色がついちゃうからできない技なんだけどね……」
「なら、ここは大丈夫だね」
リタが見渡した部屋の床は、本来白木だったかもしれないが、明らかに茶色くすすけた床が広がっており紅茶の茶葉を使っても問題はなさそうだ。床が綺麗になるだけでなく、消臭効果が期待できるのも魅力だ。
「ここ、閉鎖されてから五年しか経ってないと仰っていましたが……」
私はそう言って、道具を運び入れるディランを睨んだ。
「しゃ~ないだろ。商会で貸し出せる工場っていったら、ここぐらいしかなくてよ」
「そんなことありません!! こんなに早く工場が用意されるなんて思っても見ませんでした」
リタの兄は目を真っ赤にしながらも、喜々としながらそう叫ぶ。おそらく昨日は寝ていないに違いない。廃工場同然のこの場所ですら、嬉しくて仕方ないといった表情だ。
「ま、少なくとも五十人は働けると思うぜ。ま、おいおい人を増やしていくとして、必要なもんがあったら言ってくれ。用意するから」
貧民街には全部で三十から四十世帯が生活をしているという。働ける人口がどれぐらいいるのか不明だったが、十分な規模の工場といえるだろう。
「で……だ。グレイス、お前がさっき使っていたヤツを出せ」
リタ達が作業を始めると、ディランはそう言って手を差し出す。その唐突な要求に私は無言で首を傾げて見せた。
「だから、さっき手を洗った後に使っていたヤツだ」
「あぁ~これですわね」
エプロンの中から殺菌アロマスプレーを取り出し、彼に渡した。と言ってもこの世界にスプレーボトルはないので、香水用のボトルとなるのだが……。
「なんだこれ?」
「キース様など医療関係の魔法を使える方は、手を消毒する魔法を使っていらっしゃりますでしょ?あれの代わりとなる物ですわ」
「凄いな……。で、作り方は?」
「ボトルに度数が高いアルコールを入れ、ラベンダーやヒノキなど殺菌効果が高い精油を十から二十滴加えて、よく混ぜます。混ざり合ったら、一度沸かして冷ました水を加えて完成です」
アルコールと水の分量は1:4になるのが理想だ。実際に使ってみてアルコールの香りがきつい場合は水の分量を増やして調整する。勿論、この劣悪なインフラ環境だから水を一度沸かして使ったが、おばあちゃんは水道水を使っていた。
「手に振りかけたら感染症の予防にもつながるんですのよ」
「精油を使うのか……。これは原価が高くつくな」
「そうなんです。私もこの工場で、アロマスプレーが作れたらとおもったんですけど、精油は決してお手頃価格では販売されていませんからね……。商品の材料としては買えませんわ。さすがにディラン様も廉価で質のいい精油なんて用意できませんでしょ?」
日本では純度のいい精油でもラベンダーならば千円もせずに手に入る。さらにアルコールと水で薄めるので、一個あたりかなり値段をおさえて生産が可能だ。ところがこの世界では精油が驚くほど高い。貴族の一人娘ということで当然のように与えられていたが、一本あたり金貨一枚(一万円)前後が相場という。
『販売していない』『用意できない』ディランの琴線に引っかかりそうなワードを並べた所、案の定彼は「う―――ん」と小さく唸った。
「数日時間をくれ」
その言葉を待っていたわけだが、おくびにも出さず私は
「お待ちしておりますわ」
とにっこりと微笑んで見せた。それはディランが想像通りに動いてくれただけでなく、順調に私の病院再建計画が進んでいることに満足した笑みでもあった。
私のおばあちゃんは囲碁が大好きだった。いや、正確に言うとおじいちゃんが大好きだったので、付き合わされていたというだけなのだが……。そのおばあちゃんがいつも口癖にしていたのが
「目先の石を取りに行ったらダメよ」
という言葉だった。数十手先を考え、その盤面で効力を発揮する石を置くのが囲碁なのだとか。
それはここでの生活でも同じだ。梅肉エキス販売によって直接病院に収入はないが、それでいい。短期的な収入ではなく、長期的に病院を運営できることが『医者の嫁』の目的なのだから。
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【参考文献】
生活の木:アロマスプレーの作り方(最終閲覧日:2019年5月15日)
https://www.i-shrine.co.jp/hpgen/HPB/entries/92.html
【御礼】
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