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 二人は廊下に足を踏み出す。扉の脇で家令が深々と腰を折っていた。
 去り際、もはや声もなく立ち尽くすドワーフ姉妹をちらりと振り返ると、スノウはグリンバルドに囁く。
「あいつら、蜜蝋倉庫に気持ち悪い人形を隠し持っている。姉妹揃って頭がおかしい。騎士団に報告すべきだ」
「信用していらっしゃったんじゃないんですか?」
 スノウはツンと顎を上げた。
「目が覚めた。あいつら、僕に薬の入った酒を呑ませて眠らせようとしたんだ。僕は長く不眠症だったから睡眠薬には耐性がある。眠り込んだと見せかけてあいつらの会話を聞いていたんだ」
 姉妹たちは、おそらく今夜、スノウの命を奪うつもりでいた。しかし、小指の傷を見つけて断念したのだとスノウは言う。
「完璧な状態で型をとらなければ意味がない、と愚痴っていた。恐ろしい奴らだ。僕としたことがすっかり騙されていた」
「間に合ってよかった」
 概ね侍女長の推理通りだったということなのだろう。グリンバルドは胸を撫で下ろした。しかし、即座に深い自責の念に囚われる。
「未遂とはいえスノウ様を危険な目に合わせた。自分を許せません」
「気に病むな。僕が浅はかだったんだ。それに、ちょうど抜け出すところだったんだ。そのついでに屋敷の内外を見て回っていたというわけだ」
 スノウは薄い胸を張り、得意げに顎を上げた。
「……だけど、まさかお前が迎えに来てくれていたなんて思いもしなかった」
 グリンバルドの腕に手を絡ませ、スノウはぎゅっと身体を寄せる。
 姉妹たちの殺意を確信した時、浮かんだのはグリンバルドの顔だった。死んでもいいと思っていたはずなのに、猛烈に命が惜しくなった。グリンバルドに直接確かめもせず彼の心を決めつけていたことを後悔し、本心を聞きたいと願った。ずっと胸の奥にしまったままの気持ちを、打ち明けぬままには死ねないと思ったのだ。
 あの日閉じ込めて、しかし、燻り続けていた恋情が、スノウ中から瞬く間に噴き出したのである。
「命に代えても貴方をお守りするのが私の使命です。遅くなって申し訳ございませんでした」
「勇者というものはギリギリに駆け付けるものだ。その方がありがたみが増す」
「今回、助けられたのは私の方のような気もしますが」
「僕は勇者の器ではない」
 どちらかというと、白馬に乗った王子に救い出される姫がいい。
 髪を切り、男の服に身を包んでも、スノウの本質は変わらなかった。どれだけ否定しても引き寄せられる心は止められない。ありのままに生きているドワーフ姉妹が眩しく、羨ましかった。
「当主にも相応しくない」
「そんなことはありません」
 身を屈めて覗き込むグリンバルドから顔を背け、スノウはぼそりと言った。
「僕もお前と同じだ。結婚をするつもりがないんだ。いや、できないんだ」
 沈黙するグリンバルドの腕を引き、スノウは廊下の先に見えた男に手を挙げる。
「ジャック、帰るぞ! 馬を連れてこい!」
 ジャックは両手を上げて大きく振ると、玄関扉を開き外へ飛び出していった。
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