11 / 16
10 恋を諦めた女
「隣、いいかな?」
会議室に入ってすぐ、一番後ろの席に唯野を見つけて声をかけた。
果帆を見上げた唯野は「お」と小さく声をあげて目を細める。
「バッサリいったねー。カッコいい」
この週末で、胸の位置まであった髪を切って顎のラインギリギリのショートボブにした。
肩の位置よりも短くしたのは小学生以来で、果帆自身まだ馴染んでいなくて照れ臭い。
「こんなに短くしたの初めてだから、わたしもまだ慣れなくて変な感じ」
「雰囲気変わるね。前の感じも似合ってたけど、その髪型だと顔の小ささが際立つなー」
じっと見られているとどんな顔をしていいのか分からなくなって、無意味にサイドに落ちた髪を耳に掛ける。
「咲にはモテから遠ざかってるって言われちゃったけど」
「あ、カッコいいってのは、思い切りの良さがね」
さすが、直様フォローが入る。
「あの、別に、失恋したショックで、切ったとかじゃないんだけどね」
「うん?」
「成り行きとノリで……あと、気分転換」
「うん」
「みんな、あまりに触れないから……」
聞かれてもいないのにつらつらと髪を切った理由を言い訳するのを、唯野は不思議そうに聞いている。
このタイミングで切ったのは失敗したかなと思っていたところだったのだ。
バッサリと髪を切って出社した果帆を見て、部内の人達からは痛ましげな視線が向けられた。
いつも毛先を数センチ切っただけでも、新しい洋服やピアスでもすぐに気付いて声を掛ける隣の席の先輩すら何も言わなかった。
不自然なほどみんな何も言わないから、敢えて触れずにいてくれるのだろうと察した。
「本当に思いつきで切ったんだけどーーなんか、変に気を遣われてしまった」
「ああ」
果帆の説明を聞いてようやく得心した顔で、軽く頷いた。
「本当に似合ってるよ。可愛い」
「ありがとう。唯野くんはスキンヘッドにしても可愛いって言ってくれそうだけど」
「信用ないなぁ」
楽しそうに笑うのを見て、果帆もつられて笑みをこぼした。
「唯野くんも、メンバーだったんだね」
「そう。今年決まってた子が退職することになったから代わりに。去年に続いて二回目」
「わたし、今回が初めてなんだけど、やっぱり若手が多いんだね」
ぐるりと室内を見渡して、メンバーの顔ぶれを見る。
果帆たちが出席するのは、毎年、夏前に開催される職業EXPOという子供向けの職業体験イベントの運営スタッフの打ち合わせだ。必ず各部署でスタッフをひとり選出することになっている。
準備や打ち合わせは就業時間に含まれるが当日は有給を取得して参加をしなくてはいけない。
つまり、無給のボランティア活動なので、大抵は若手に回ってくる。
「なんか、最近よく会う気がする」
「同じ会社だし、今までもそれなりに会ってたはずだけどね。お互いに存在を認識し出すとそう感じるのかもね」
唯野と寝た日から、半月が経った。
本当に何事もなかったかのように、唯野との関係は変わらない。
お互いがあの夜のことを話題にすることはないし、気まずい空気や、まして甘い雰囲気を醸し出すこともない。
果帆はさすがにどんな顔をして会えばいいのか分からなくて、事業部のあるフロアを避けたりもしたけれど、翌週偶然すれ違った廊下で唯野の方から何事もなかったかのように話しかけてきた。
まさに一夜の夢だったのではと自分の記憶を疑ったほど、あまりに自然で、普通だった。
まごうことなく同期を貫いていて、感心を超えて尊敬する。
唯野にとっては、言葉通り何事にもならなかった出来事なのだとほっとして、なぜかほんの少しだけ寂しさを覚えた。
こうなってみて分かったのは、唯野は男女の関係に関して、弁えと線引きが徹底されているということ。一定ラインから先は踏み込ませない、期待もさせない。その冷たさも感じる徹底ぶりが、やり捨てのように感じる人もいたのかもしれない。クズの定義は分からないけれど、いい加減とはまた違う気がした。
だから、不思議に思う。言われているような、誰とでも適当に寝る人ではない気がするのに、どうしてこの人は恋人を作らないのだろう。
恋愛感情など微塵もない果帆に対しても、あんなに心を砕いてくれる人なのに。
唯野がふぅと、軽く伸びをして椅子に寄りかかる。
「元気ない?」
「こともない——つもりだけど。なんか、顔に出てる?」
「ううん、なんとなく。疲れてる感じ?」
いつもと同じではあるけれど、どこか違う。
「落ち込んではないんだけどね」
「そっか」
あまり聞かれたくないのかなと思い、これで切り上げようと短く返事をした。
「あ、全然訊かれても何ともない話。聞いても全然楽しくない話ってだけで」
「わたしだって、楽しくない話、散々聞いて貰ったよ」
「昔、ちょっとだけ関わった相手が、なぜか最近になって連絡して来て、かわしてもかわしても毎日毎日連絡してきて、ついに会社の前で待ち伏せしてきて困ってる話、聞く?」
「思ったより、ぜんぜん軽かった」
「いや、重たいでしょう。一日五十件だよ?」
「自業自得だよ」
自分が口にしたかと思ったが、声は果帆のものではなかった。
振り向くと同期の矢嶋という男性がそばに立っていた。
「矢嶋もメンバーなんだ?」
「そ。あ、汐見さん、髪切ったね」
「うん。お疲れ様です」
「お疲れー。珍しい組み合わせだなぁー。何、同期で固まる感じ?」
「全然。自由席。最前列ど真ん中空いてるよ」
綺麗に壇上の前を避けて席が埋まっている。
唯野がどうぞと手のひらを向けた先を見て、矢嶋は顔をしかめた。
「俺も仲良し同期の仲間に入れてよ」
唯野の目の前の席に座り、後ろを振り返って身を乗り出す。
「で、何、唯野のクズっぷりを披露する会?」
「お前は、入ってこなくていいから」
「唯野のことで、俺以上に語れるやつはいないだろー」
「仲、いいんだね」
「全然」
仲良しだろーが、と矢嶋が唯野の腕を叩く。
唯野は比較的、社内では誰とでも平等に親しい印象があったから、特別仲が良い人がいるのが意外だった。
こんなふうに、遠慮のない態度や言動をするのを初めて見る。
「高校の同級生。大学は違うけど」
「会社一緒に受けたの?」
「まさか」
「まさか」
声が綺麗に重なった。ふたりして苦虫を噛み潰したような顔でお互いを見る。
息ぴったりに似たような反応をするふたりの様子で、仲の良さがうかがえた。
「たまたまだよ」
「お互い内定出てから知ったしな」
「そう、まさかこっち来るとは思わなかったし。こいつは蒼紅の内定蹴って、うちに来た変わり者だから」
「そうなの?」
蒼紅を辞退する人もいるのか。
生涯年収ランキングや福利厚生ランキング、就職人気ランキングなんかで、必ず上位にあがる日本で指折りの商社だ。果帆たちが勤める食品会社も、平均して百位以内には入ることが多いが、やはり総合商社は格が違う。
「勿体ねぇけど、商社は転勤避けられない感じあるもんなー。さすがにナオちゃん置いてはいけないよな」
「そんな大昔の話、聞かされる側も困るからやめろって」
会話を終わらせようと矢嶋の言葉を遮った。
聞かれたくないのだと思って、果帆もそれ以上、聞き出したりはしなかった。
聞かれたくないのは、ナオちゃんのことか大手の商社を捨てた理由かは分からないけれど、どちらにしても果帆が踏み込めることではない。
「そんで? なんで仲良いの? おふたりは」
同期同士、仲良くなっても疑わしいことはないと思っていたけれど、つい数ヶ月前までほとんど話さなかったふたりが突然話すようになれば、やっぱり何かあると思われるのか。
「同期だから?」
「えー?」
納得いかなさそうに唯野から果帆に視線を移す。内心、同期会の夜がバレないかとヒヤヒヤしていた。
ふたりで帰っているところを、誰かに見られていないとも限らない。
唯野は涼しい顔で矢嶋をあしらうが、果帆は彼ほどうまく繕える自信はない。
ボロが出そうで、矢嶋の顔を正面から見られなかった。
「また、りっくんの悪い癖がでたのかと思った」
「その呼び方やめろ」
「この人、優しいけど、あんま本気の相手には向かないよ」
探るように見られて、心臓がぴくりと飛び跳ねた。
矢嶋とはほとんど話したことがなかったけれど、どちらかといえば周りとつるまず、単独行動派であまり他人に興味がなさそうな人だと思っていた。
深入りしない方がいいと忠告されているのか、友達がやばい女に付き纏われないように牽制しているのか。
後者かな——
今や果帆はわけあり物件だ。事情を知らない人が状況だけきけば、どちらに有責があったかなんて分からない。
直前に婚約破棄されるなんて、相当な問題がどちらかにあったと勘ぐられる。実際に、果帆に何か問題があったのではないかという憶測も飛び交っていた。
「汐見さんが、俺みたいなの相手にするわけないだろ」
……あ、これは牽制されてる。
本人にそのつもりはなかったとしても、今のは庇うというよりは、果帆に対して壁を作っていた。
「それもそうか。いや、逆にこれまでの反動で、今までと違うタイプにいったりするじゃん」
「いかないいかない。大丈夫。次とか全然、考えてもない。付き合ったりとか、多分、もうないから」
唯野とのことを隠そうとして、慌てすぎたかもしれない。必死になって否定して、一層怪しくなってしまった。
「お時間になるので、そろそろ始めまーす」
微妙な空気になったところで、ちょうど主催部の人事の社員が入ってきた。矢嶋も話を切り上げ前を向いてくれたのでほっとした。
打ち合わせが終わり、同じ係になった人と簡単に挨拶を交わしてから会議室を出た。
「あれ、まだ戻ってなかったんだ」
先に矢嶋と出ていた唯野が廊下に立っていた。
「うん。さっき、矢嶋がなんか、ごめん」
「それで、待っててくれたの?」
気にしなくて良かったのにと笑う。
「さっきの」
「ん?」
「もうないって」
「ああ」
それを気にしてくれたのか。
唯野のことを誤魔化す勢いもあったけれどーー。
「引きずってるわけじゃないんだけど。なんていうか、もう、まともに誰かと付き合える気がしないんだよね」
隣を歩く唯野から視線を感じる。
「次、付き合ったら、わたしすっごい束縛系彼女になっちゃいそう。他の女の子と話さないでほしいし、友達にも会わせたくないし、自分が知らないことがあるといちいち疑っちゃいそうだし。なんならスマホチェックしちゃったり、仲良い女の子のことも牽制しそう」
「そういうの、大丈夫なやつもいるけどな」
「もしも相手が受け入れてくれても、そういう自分に疲れちゃいそうだから」
「あー……そうかも」
「そういうことしてる自分も嫌だし。そこまでして、誰かと付き合わなくてもいいかな」
「しないと思うけどね。汐見さんはそういうこと。ちゃんと留まれる人だから、大丈夫だよ」
「そうかなぁ……」
こんなふうに言われると、自分を分かってくれていると勘違いしそうだ。
これ以上踏み込むなと線を引くのに、こんなに面倒見が良ければ、期待する人だっていただろう。
自分は決して、これ以上踏み込まないようにしようと、密かに自分を戒めた。
あなたにおすすめの小説
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。