A&R

小椋シゲコ

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狭山と赤星

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ー6年前

 不安を押しのけて狭山の胸は躍っていた。『BMY』にはもはや夢を追いかける手段が無い。

「制作になれないなら、やめます。」

 そう言った狭山を、課長も部長も止めるどころか軽蔑する様な冷たい目で見ていた。「今は宣伝の時代だ。頭の堅いおじさんディレクターのつくる音でも、俺らが宣伝すれば必ず売れる」宣伝部のベテランプロモーターが口を揃えて、若手にひけらかす口上だ。制作になれないで卑屈になるのが一番最悪の末路だと思った。宣伝をするなら冷蔵庫でも自動車でもコンドームでも何でも良い。でも、それらをつくりたいとは思わない。

「僕は音楽を“つくって”売りに来たんです。」

 小さくそう言うのが精一杯だった。なぜなら、彼らも若い頃はきっと希望にあふれ、音楽を愛し、この業界の門戸を叩いたに違いないからだ。自分と同じように、もし、俺がディレクターならこんな音にするだとか、こういうジャケットにしたいだとか熱く語り合っていたに違いないのだ。

 このままここに残れば、必ず自分も目の前の様になる。それは間違いない事だと狭山は確信していた。なぜなら、彼らベテランの言っている事は正しいのだ。実際、BMYで制作を任されるようになるのは若くて三十前後。ディレクターのほとんどが四十を超えたオジサンばかりなのだ。自分の時代の音楽だけを一途に今も愛し続け、なんとか嘘を付きながら今の若者に音楽を売ろうとしているが、彼らも彼らで飲みに行く度に音楽の文句ばかり言っている「今の音楽はもはや音楽じゃない」などと酷い評論家でも恥ずかしがりそうな台詞ばかり吐くのだ。

 もはや、この会社には音楽を愛する人間がひとりもいないように思えた。素晴らしい音楽を生み出して“世に広める”綺麗に言えばこうなるが、それは“売れる”音楽を作って“売る”という事に他ならない。シンプルな事でいい。綺麗事は入社する時点で捨てている。ただ、自分の携わる音楽を心底貶すほど魂を売り払った気はない。今も昔も音楽は音楽で、それに若いも古いもない。狭山はバンドが好きだが、アイドルでも女性ソロでも音楽をつくる仕事であればその音楽を愛してみせると決めていた。未来の自分が自社の音楽の文句ばかり言う宣伝や制作にならないためには、今、この年齢でBMYを去るしかないのだ。

 三ヶ月前だ。二年ぶりに「ケミカルブラザース」の会が催された。幹事は、同名アーティスト好きのOBEYの松本という奴だ。既にディレクターとして新人まで任されていると聞いた。音楽業界は同業他社との横のつながりが非常に強い。色々な要因があるだろうが、狭山を含めた多くのプロモーターの場合、担当の媒体での出会いによってそれは生まれていく。狭山も松本も最も過酷と言われるラジオのプロモーターだった。制作希望の多くの新入社員がまず通る道、それが宣伝部の媒体担当だ。

 その中でもラジオ担当は、自分が行う営業の対象人物がとっかえひっかえ一日中働いている。番組ディレクター、MC、編成担当、イベント担当、番組制作会社のスタッフ。雑誌社のように一雑誌に一音楽担当でもなければ、アポを取って会えるような人種でもなく、収録や放送の合間に立ち話と変わらないスタイルで交渉するのがほとんどだから、基本的にラジオ局に張り付くのがラジオ担当の仕事の大前提だ。楽曲オンエアのお願い、ゲスト出演のブッキングのお願い、ラジオ局主催のイベント出演や新たな番組の情報収集、時には事務所に頼まれてレギュラーMCのキャスティングの手伝いまでやる。お願いする事ならいくらでもある。しかも、宣伝を担当するアーティストはひとりじゃない。両手で足りないのが普通だ。やろうと思えば一日中仕事はあるのだ。しかも、担当ラジオ局もひとつではなく大抵二、三局を同時に担当するので、必然的に会社よりも局にいる時間が長くなる。自ずと他社レーベルのプロモーターと顔見知りになっていく。

 それ専用に設置されたわけでもない待ち合いスペースと化した局のロビーでは情報交換が盛んに行われ、スラッシュよりも早くゴシップを入手する事すらある。互いの会社の好きなアーティストのサンプル盤を交換したり、時には、待ち時間のほとんどを音楽論に費やすこともある。そして「あれ?最近あいつ見ないな?」と思うと、営業や地方への異動か、制作への異動だ。プロモーターの誰しもではないが、制作を目指す者にとっては、当然、前者は地獄で後者は天国への階段だ。制作を目指す宣伝マンは、いつも誰かと音楽の話をしたくてしょうがない。そんな彼らが一日中同じ場所で仕事していれば、酒の場に流れ出るのは自然のなりゆきだ。狭山と松本もそうやって出会った。

 松本は、他社ではあるが狭山と同期入社で、世界でも日本でも最大手のOBEYのプロモーターだった。狭山がプロモーターとしてラジオ局を初めて訪れた入社半年のその日に、初めて会話をした同業他者が松本だ。OBEYでは三ヶ月で研修期間を終えて実際の業務に入るらしいので、同期であってもプロモーターとしては大先輩のように思えた。次々に番組ディレクターなどを紹介してくれたおかげで、狭山はBMYの新卒プロモーターの中でトップの成績を残し、その後、宣伝部で将来を有望視されるまでになった。

 その松本が、音楽業界の交流を深めるという名目で、制作志望のプロモーターを集めて一年に4度開催していたのがケミカル会だ。メジャーと呼ばれるレコード会社だけでなく、インディーズや事務所側のプロモーターまでもが集い、実際に様々なケミカルが起こった。メジャーからインディーズに移って好きな音楽で商売をやり出した奴、逆にインディーズの安月給に嫌気が差し、メジャーの営業職のアルバイトに就いた奴、自分のバンドを事務所に売り込んでデビューしかけた奴までいて、今では、その事務所でチーフマネージャーをやっていると聞いた。

 松本が十人にも満たない人数で始めたその会は他にも存在する似たような集まりのどれよりも人気を博し、一時期は毎回五十人以上が集合する業界の名物にまでなったが、その発足当時のプロモーター達が天国と地獄に分かれていくに連れ、次第に参加人数も減り、そのうち定期開催ではなくなり、二年前ほど前からは特に参加率の高かった五、六名程度が同窓会のように集う寂しいものになっていた。ここ一年はその同窓会すらなくなり、狭山も個人的に松本と二人で会うばかりだった。

 そして、三ヶ月前、松本が突然、大規模な同期会同窓会なるややこしいものを行おうと言い出した。今だからこそもう一度みんなで会ってみたら、また何かケミカル(化学反応)が起こるんじゃないか?という事らしい。正直、狭山は反対した。今さら、営業や地方に行ってしまった奴からしたら惨めなんじゃないか?と主張した。しかし、本当は、BMYの古い体制で制作になれず、敏腕宣伝マンとしてくすぶっていく自分がケミカル出身で制作になった天国の住人と会うのがたまらなく嫌だったのだ。

 結果、催されたその会に、半ば強引に参加させられた僕は松本からMATFという新興会社の人間を紹介される。ケミカル会の絶頂期に見た事のある顔ではあったが、ほとんど会話をしたこともなかった赤星という男だ。年齢は狭山より2つ若いが、すでにA&Rとして社内で独り立ちしているらしい。二年前にILLからMATFに籍を移し、たった一年で宣伝の働きぶりが評価され、制作部に異動になったのだと言う。ILLもBMYと同じ制作になりにくい旧体制然の会社と聞いていた。赤星もそれを認めた上でMATFは全く違うと笑い、「天国だ」と断言した。

 赤星によると独自に抱えたアーティストで業界8位へと急成長を遂げた新興MATFだが、更なる利益拡大のために大手芸能事務所と組むべきだという考えが上層部を占めており、特にシナプスに興味を持っているらしかった。アイドルとは全く逆に位置するような硬派でアンダーグラウンドなアーティストを好んでリリースするMATFからシナプスの名前が出たのは意外だったが、それなら自分にもチャンスがあると思った。なぜなら、狭山はシナプスのアーティストを三組、しかも、数年に渡って担当し、自分で言うのもおこがましいが、幹部連中からも相当買われていた。勘違いなどではない。その証拠に、何度、破格の条件でうちに来ないか?と誘われたことか・・・。

 シナプスは業界最大手の芸能プロダクションであり、あらゆるメディアに対して絶対的な権力を握っている。もし、シナプスに所属する歌手、タレント、俳優などをテレビから総撤退させたなら、一日のテレビ視聴率がどれだけ下がるか想像もつかない。だからこそ高飛車なテレビマンもシナプスの前では愛想笑いを浮かべ、お世辞を言うのだ。朝のニュースキャスター、ドラマや映画に主演する俳優、最も影響力があるとされている音楽番組の司会者、冠バラエティーを持つ人気芸人、アニメの声優、番組の間に入るCMのキャスティングまで、シナプスはあらゆるテレビ需要を満たしている。雑誌の表紙を飾るモデルやラジオのパーソナリティーなど他媒体においても同じくだ。

 レコード会社の視点から見てもそのメリットはとてつもなく巨大で、シナプスのアーティストには音楽を大勢に訴求できる優れたドラマ、映画、TV-CFなどのタイアップから、通常の新人ならば異例となる主要音楽番組への出演などプロモーション面でのメリットが確約されている。だからこそ、レコード会社側も思い切った予算の投下に踏み切れるのだ。結果、シナプスアーティストはいつも時流に乗り、確実に何世をも風靡してきた。

 数日後、赤星から電話があった。

「俺の上司に大木さんという人がいる。お前と同じBMY出身でうちの立ち上げ当初からいる人だ。会ってみるか?」


で、今、辞表を出している。狭山の心底がチクッとだけ痛む。「はぁ、ハル子先輩が悲しがるだろうな」と、声にならない息に台詞を乗せたように吐いた。
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