【完結】ツンな猫君の恋愛事情

結城れい

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72 牧場

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 翌日。迅が起きたのは昼過ぎだった。
 昨夜は脳内で1人大反省会を開催していたため、なかなか眠りにつけなかった。失態から未だ立ち直れていなかった迅は、ノロノロと体を起こして、隣を見るが、そこに樹の姿はない。

「はぁ」

 顔を両手で隠してため息をつく。何たる失態。薔薇の花束を渡した時までは良かった。あの時に戻りたいと何度も思うが、もちろんそんなことはできない。
 ベッドの上に座ったまま頭を抱えていると、リビングとベッドを仕切っている布の間から樹がひょっこりと顔をのぞかせた。

「あ、迅くん起きた? ご飯用意できてるけど、食べられそう?」
「――あ、ああ」

 声をかけられてパッと顔を上げると、そこには心配そうな顔をした樹がいた。迅は慌ててベッドから飛び降りる。

「もう体調は大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ! 元気になった!」

 腕をグルグルと回して元気をアピールをすると、ようやく樹は笑顔になった。

「よかったー! ご飯はリゾットをお願いしたんだ。温めてくるから座って待ってて!」

 テーブルの上の皿を持ち電子レンジまで歩いていく樹に礼を言った迅は、樹の後ろ姿を見つめた。ついつい、視線が下の方へと――尻尾のある辺りへと向く。昨夜の記憶が脳内を駆け巡った迅は、慌てて目を閉じ首を振った。
 樹は迅が体調不良で鼻血を出したと思っており、心配してくれているのだ。そんな中何を考えているのだと、自分の頬を殴りつけた迅は姿勢を正した。

 まだ旅行が終わったわけではない。時間はまだまだたっぷりあるし、挽回できるチャンスはいくらでもある。動いている樹を見ながら気持ちを切り替えた迅は、樹が温めてくれたリゾットを元気に食べた。

「近くに牧場があるから、今日はそこに行こう!」

 食べ終わった迅は、樹に声をかけた。

「え、でも、今日はコテージでのんびりしよーよ」
「いや、ほんとに元気なんだ! もう大丈夫だ!」

 心配げに眉尻を下げた樹は、じっと迅の顔を見つめる。笑顔でうんうんと頷く迅に、樹は「うん、じゃあ行こう」と返した。
 素早く着替えた迅は、樹の手を取って近くのバス停まで向かう。牧場まではバスで15分ほどだ。もちろん、歩く際には日傘を差すのも忘れない。


「わあー、馬さんがいっぱい!」
「――ああ」

 牧場の入り口に一番近いエリアでは、何頭もの馬が柵で囲われた広いエリアの中で自由に過ごしていた。エリア中では、首を下げて草を食べている馬や走り回っている馬がおり、思い思いに過ごしている。そのうちの栗毛の馬が2人に気づいて近づいてきた。

「樹、少し下がろう」
「え、うん」

 迅は樹の手を引いて一歩後ろへ下がった。大きく存在感のある馬が首を揺らしながらゆっくりと向かってくる。馬と2人を隔てているのは木でできた低い柵だけだ。こんなもので大丈夫なのか、とひやひやしながら注意深く観察していたが、栗毛の馬は少しだけこちらを眺めた後に方向転換し、また奥の方へと戻っていったので、迅は肩の力を抜いた。

「――他の場所にも行ってみよう」
「うん!」

 樹に声をかけた迅は、早々に馬のエリアから離れた。

 奥にはアルパカや羊、ヤギのエリアがあり、ヤギのエリアでは餌やり体験ができるとの看板が立っていた。
 その看板を見た樹が、目を輝かせながら「やりたい!」と言っていたので、止めることはできなかったが、迅は不安で仕方なかった。樹の手がヤギに食べられてしまわないかと緊張しながら、すぐ後ろで見守った。
 無事に樹の番が終わった後、迅もしないかと勧められたが、もちろん断った。


「か、かわいい……」

 迅はしばらくその光景に目を奪われていたが、慌ててポケットからスマホを取り出して写真を撮り始めた。
 迅の目線の先には、しゃがみ込んでウサギをなでる樹の姿がある。
 現在、迅が持っている樹の写真は先日の植物園でのデートで撮ったものだけだ。その写真の樹の部分だけを切り取り、あらゆる媒体の壁紙につかっている。もちろん、スマホのホーム画面もその写真だ。
 今がチャンスだとあらゆる角度から笑顔の樹の写真を撮っていた迅だったが、餌で誘導しているとはいえ、ウサギが樹の膝の上に乗ろうとしている光景を見て、段々とモヤモヤし始めた。樹の視線はずっとウサギに注がれっぱなしだ。先ほど撮った写真の中の樹も笑顔だが、こちらを見ていない。
 迅はわざと少しだけ足音を立てながら樹に近づく。その音に気づいたウサギは元気に飛び跳ねて逃げていった。

「――樹」
「ん? どうしたの迅くん」
「いや、何も……」

 樹の視線を受けながら隣にしゃがみ込んだ迅は、言葉に詰まる。

「迅くん」
「なんだ?」
「ふふっ、呼んでみただけー」

 柔らかな笑みを浮かべながらそう言ってきた樹。あまりのかわいさに、迅の胸はギュッと締め付けられる。無性に触れたくなり、気づけば手が動いていた。腕をつかみ、引き寄せながら唇を触れ合わせる。

「――もう、迅くん! 周りに他の人もいるから!」
「ああ、ごめん」

 ひそひそと唇を尖らせながら注意してくる樹に、迅はふわふわとした感情のまま謝った。樹の言い方では、周りに他の人がいなければいいと思ってくれているのだ。今すぐにコテージへと戻りたくなった迅は、立ち上がる。

「そろそろ出ようか」
「うん」

 ウサギのエリアから出た後、迅はさりげなく出口へと誘導しようとしたが、その前に樹が逆の方向を指さした。

「あ、ソフトクリームが売ってるんだって! 食べようよ! 牧場のソフトクリームなんて絶対おいしいよ」

 樹の見ているのぼり旗には、ソフトクリームの写真と牛の絵が描かれ、『濃厚』だの『生乳』だの書かれていて、確かにおいしそうに見える。

「そうだな、食べよう」

 きびすを返した迅は、樹と一緒に販売所まで行き、生乳ソフトクリームを購入する。そして、近くの空いている席に座ると早速食べ始めた。

「おいしい!」
「うん!」

 想像を超えた美味しさに思わず声が出た迅は、夢中で食べ進める。なめらかな口当たりで、なにより濃厚でコクがある。それなのに、後味はすっきりとしている。
 食べ終わった後も、しばらくその美味しさが口の中に残っていた。

「この後どうしようか? 迅くんはどこか行きたいところある?」
「ああ、ある」

 樹の言葉に即答した迅は、樹を見つめた。

「どこ? まだ行ってないのは、牛のエリアとか?」
「いや――コテージだ」
「コテージ?」
「ああ――」

 予想していなかった言葉が返ってきて目を丸くする樹に、迅は大きく頷き、言葉を切った。そして深く息を吸ってから樹を見つめて声を出した。

「昨夜のリベンジをさせてくれ」
「――え、あっ」

 ふわりと頬を赤く染めた樹が「体調は大丈夫なの?」と聞いてきたので、迅は「大丈夫だ!」と言い切り全力で頷いた。樹は数秒待った後、「うん」と言いながら小さく首を縦に振る。

 コテージに戻るまで、2人の間にあまり会話はなかった。ただ、つないだ手は燃えるように熱く、2人の手汗が混じりあう。それでも、互いに手を離さなかった。
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