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祖母の告白
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妻と別居することになり、おれは実家に戻ってきた。六年ぶりの実家には両親のほかに、母方の祖母がいた。介護が必要らしく、一昨年から同居しているとのこと。
介護に疲れた母は、おれを歓迎した。話し相手になってやってね、と。
「蒼馬、ずいぶんとまあ、立派になったじゃないの」
今年八十三になる祖母は、介護用であるリクライニングベッドを起こした状態でそう言い、相好を崩した。そういえば就職のため実家を出てから祖母には一度も会っていない。最後に会ったのは、大学に通っていたころだ。
「ばあちゃんこそ、元気だった?」
「元気じゃないからこんななんだよ。足がすっかり弱ってね」
どこに行くにも車椅子が必要になったらしい。トイレや風呂も一人では危うく、今まで父と母がその都度交代で介助してきたという。八十三といえど女性だ。父は気を使い、もともと細い体の母は、車椅子から祖母を便座や浴槽に移動させるのにへとへとになっていた。
当の祖母は、おれの目から見ると、疲れたりやつれた様子もなく、いたって健康そうに見える。実際、今まで深刻な病気にはかかったことがないという。
「そうよ、病院に入院したのは綾子を生んだときと、一昨年家の階段で転んだときだけだよ。生まれたのだって、病院じゃなくて自宅なんだよ」
綾子、というのは一人娘の母のことだ。
「蒼馬、今日は仕事休みなの? たしか火曜日だね今日は」
祖母が部屋に掛けてある大きなカレンダーを見ながら言う。
「そう……休みだよ。ちょっと長めの休みをとってね」
「そうなんだ」
まさか仕事を辞めて、現在無職とは言いづらい。嘘をつきながら、背中をポリポリと掻いて誤魔化す。
「結婚したんだって? 綾子からだいぶ前に聞いたよ。式は挙げないの? 子どもはまだ?」
どうして年寄りというのはこう、ずけずけと色々聞いてくるのだろう。というか、母はおれが何で実家に戻ってきたのか、祖母に説明していないらしい。
「それが色々あって別居になったんだ。おれ、しばらくここにいるから」
「あら、離婚?」
「違うよ、別居婚」
「ふうん、そう。子どもはまだなんだね?」
「まだだよ」
そこでなんとなく会話が途切れた。父も母も出かけていて、大きなベッドが占領する六畳間は静まり返った。
話の接ぎ穂を探していると、黙って正面を向いたままの祖母が、口を開いた。口をもごもごさせて、言おうか言うまいか、何度も出しては引っ込めを繰り返したあと、ようやく決心して
「なんで今こんなこと言うのか不思議に思うだろうけど、言っとく。あんたのお祖父ちゃん、つまり私の夫は突然いなくなったんじゃない、妖精だったんだよ」
一気に吐き出すように祖母は言った。
「え?」
「妖精」
「妖精ってあの、小さくて、羽が生えてるやつ?」
「そうとも限らない。あの人は……博さんは普通の男の人の体格をしていた。ただ、背中に羽があった」
「羽」
「うん。透明な羽が四枚」
「はあ」
おれは困ってしまった。祖母は少し、認知症が現れているのではないかと疑った。おれの祖父は、まだ母が小さいころ突然いなくなり、それきり帰って来なかった、普通の工場勤務の男だと聞いている。聞いているというか、目の前の祖母自身がずっとそう言ってきた。
浮気相手と逃げたんだと陰口を言う母方の親戚もいた。祖父はとても男前だったらしい。写真など、一枚もないので分からないが。
「あの人はね、国に帰ったんだ。妖精の国に。どうしても帰らなくちゃいけないんだと言っていた」
「それで、ある日突然いなくなったの?」
「そう。私が私も妖精の国に行きたいと言って泣いたから、あの人はひどく困ってね。妖精の国は妖精の血が流れていないと入れないんだよ。あの人は男だから、男子にしか、受け継がれないのだと言っていた」
「それじゃ、おれにも受け継がれているってこと?」
「そうだよ。それを、言っておきたかった。やっぱり、言わずに死ねない」
「妖精のじいちゃんは、なんで人間の世界にいたのさ?」
「きまぐれだと言っていたね。人間の世界が楽しくて」
「きまぐれに人間の世界に飛んできて、ばあちゃんと夫婦になって、母さんが生まれて、あるとき帰って行ったと」
やはり祖母は認知症になっている、とおれは推測した。それか、突然介護されるような身になって、精神的に弱ってしまっている。じゃなきゃ、突然こんな荒唐無稽な話を始めるはずはない。
祖父に捨てられたことを認めたくない、という本心から出た、でたらめなんじゃないだろうか。
だったら、話を合わせてあげた方がいい。
「あー……、じいちゃんの背中に羽が生えてて、ばあちゃんよく驚かなかったね」
「そりゃあ、はじめは驚いたよ。けど、そんときは、私ね、あの人と決めていたからさ」
そんなことを言って、布団を皺だらけの手でぎゅっと握る。
自分で作りだした話に思いをはせている。祖母が、あんなにしゃんとしていた記憶の中にある祖母が、遠くへ行ってしまったようで少し寂しい。
「悪いね、長々と話して。最近胃が痛むような気がして、私もそう永くない……いやいや、今の言葉は忘れて。少し眠るよ。おやすみ、蒼馬」
「うん。おやすみ、ばあちゃん」
そっと、部屋を出る。午後五時を過ぎていた。仕事を早めに切り上げると言っていた父も、買い物に出かけた母も、まだ帰って来ない。
風呂にでも入るかと、脱衣所へ向かった。
何気なくスマートフォンの通知を見る。妻からの連絡はない。
妊娠したと喜んでいた妻。もちろんおれも喜んだ。
早産だった。生まれて間もなくおれ達の子どもは亡くなったという。
おれは子どもの姿を見ていない。妻が、頑なに見せようとしなかった。
その日から、妻は精神的に不安定になり、ふさぎ込むようになった。「私の赤ちゃん……妖怪だった」などとときに叫び、泣き、おれは仕事を辞めて妻に寄り添った。それでも妻の精神状態は良くならなかった。
スマートフォンを洗面台の上に置き、手早く服を脱ぐ。
最近背中がかゆい。
かゆくてたまらないわけではないけれど、違和感がある。背中の皮膚の中で何かが動いているような。
洗面台の鏡に背中を映してみる。
背中には、小さな羽のようなものが、よっつ。
介護に疲れた母は、おれを歓迎した。話し相手になってやってね、と。
「蒼馬、ずいぶんとまあ、立派になったじゃないの」
今年八十三になる祖母は、介護用であるリクライニングベッドを起こした状態でそう言い、相好を崩した。そういえば就職のため実家を出てから祖母には一度も会っていない。最後に会ったのは、大学に通っていたころだ。
「ばあちゃんこそ、元気だった?」
「元気じゃないからこんななんだよ。足がすっかり弱ってね」
どこに行くにも車椅子が必要になったらしい。トイレや風呂も一人では危うく、今まで父と母がその都度交代で介助してきたという。八十三といえど女性だ。父は気を使い、もともと細い体の母は、車椅子から祖母を便座や浴槽に移動させるのにへとへとになっていた。
当の祖母は、おれの目から見ると、疲れたりやつれた様子もなく、いたって健康そうに見える。実際、今まで深刻な病気にはかかったことがないという。
「そうよ、病院に入院したのは綾子を生んだときと、一昨年家の階段で転んだときだけだよ。生まれたのだって、病院じゃなくて自宅なんだよ」
綾子、というのは一人娘の母のことだ。
「蒼馬、今日は仕事休みなの? たしか火曜日だね今日は」
祖母が部屋に掛けてある大きなカレンダーを見ながら言う。
「そう……休みだよ。ちょっと長めの休みをとってね」
「そうなんだ」
まさか仕事を辞めて、現在無職とは言いづらい。嘘をつきながら、背中をポリポリと掻いて誤魔化す。
「結婚したんだって? 綾子からだいぶ前に聞いたよ。式は挙げないの? 子どもはまだ?」
どうして年寄りというのはこう、ずけずけと色々聞いてくるのだろう。というか、母はおれが何で実家に戻ってきたのか、祖母に説明していないらしい。
「それが色々あって別居になったんだ。おれ、しばらくここにいるから」
「あら、離婚?」
「違うよ、別居婚」
「ふうん、そう。子どもはまだなんだね?」
「まだだよ」
そこでなんとなく会話が途切れた。父も母も出かけていて、大きなベッドが占領する六畳間は静まり返った。
話の接ぎ穂を探していると、黙って正面を向いたままの祖母が、口を開いた。口をもごもごさせて、言おうか言うまいか、何度も出しては引っ込めを繰り返したあと、ようやく決心して
「なんで今こんなこと言うのか不思議に思うだろうけど、言っとく。あんたのお祖父ちゃん、つまり私の夫は突然いなくなったんじゃない、妖精だったんだよ」
一気に吐き出すように祖母は言った。
「え?」
「妖精」
「妖精ってあの、小さくて、羽が生えてるやつ?」
「そうとも限らない。あの人は……博さんは普通の男の人の体格をしていた。ただ、背中に羽があった」
「羽」
「うん。透明な羽が四枚」
「はあ」
おれは困ってしまった。祖母は少し、認知症が現れているのではないかと疑った。おれの祖父は、まだ母が小さいころ突然いなくなり、それきり帰って来なかった、普通の工場勤務の男だと聞いている。聞いているというか、目の前の祖母自身がずっとそう言ってきた。
浮気相手と逃げたんだと陰口を言う母方の親戚もいた。祖父はとても男前だったらしい。写真など、一枚もないので分からないが。
「あの人はね、国に帰ったんだ。妖精の国に。どうしても帰らなくちゃいけないんだと言っていた」
「それで、ある日突然いなくなったの?」
「そう。私が私も妖精の国に行きたいと言って泣いたから、あの人はひどく困ってね。妖精の国は妖精の血が流れていないと入れないんだよ。あの人は男だから、男子にしか、受け継がれないのだと言っていた」
「それじゃ、おれにも受け継がれているってこと?」
「そうだよ。それを、言っておきたかった。やっぱり、言わずに死ねない」
「妖精のじいちゃんは、なんで人間の世界にいたのさ?」
「きまぐれだと言っていたね。人間の世界が楽しくて」
「きまぐれに人間の世界に飛んできて、ばあちゃんと夫婦になって、母さんが生まれて、あるとき帰って行ったと」
やはり祖母は認知症になっている、とおれは推測した。それか、突然介護されるような身になって、精神的に弱ってしまっている。じゃなきゃ、突然こんな荒唐無稽な話を始めるはずはない。
祖父に捨てられたことを認めたくない、という本心から出た、でたらめなんじゃないだろうか。
だったら、話を合わせてあげた方がいい。
「あー……、じいちゃんの背中に羽が生えてて、ばあちゃんよく驚かなかったね」
「そりゃあ、はじめは驚いたよ。けど、そんときは、私ね、あの人と決めていたからさ」
そんなことを言って、布団を皺だらけの手でぎゅっと握る。
自分で作りだした話に思いをはせている。祖母が、あんなにしゃんとしていた記憶の中にある祖母が、遠くへ行ってしまったようで少し寂しい。
「悪いね、長々と話して。最近胃が痛むような気がして、私もそう永くない……いやいや、今の言葉は忘れて。少し眠るよ。おやすみ、蒼馬」
「うん。おやすみ、ばあちゃん」
そっと、部屋を出る。午後五時を過ぎていた。仕事を早めに切り上げると言っていた父も、買い物に出かけた母も、まだ帰って来ない。
風呂にでも入るかと、脱衣所へ向かった。
何気なくスマートフォンの通知を見る。妻からの連絡はない。
妊娠したと喜んでいた妻。もちろんおれも喜んだ。
早産だった。生まれて間もなくおれ達の子どもは亡くなったという。
おれは子どもの姿を見ていない。妻が、頑なに見せようとしなかった。
その日から、妻は精神的に不安定になり、ふさぎ込むようになった。「私の赤ちゃん……妖怪だった」などとときに叫び、泣き、おれは仕事を辞めて妻に寄り添った。それでも妻の精神状態は良くならなかった。
スマートフォンを洗面台の上に置き、手早く服を脱ぐ。
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