夫の心に私はいない

久留茶

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11 理花の本音

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 理花にとって新は特別な存在だった。

 幼い頃から面倒見が良くて、理花が中学校の時イジメに遭って不登校になった時も、誰よりも理花を支えてくれた頼れる兄のような存在。

 長い間理花の中で新はずっとそんなポジションだった。
 
 ――異性として見てはいけない。

 理花は顕在意識の中でずっとそう思うようにしていたのかも知れない。
 男女の感情を持ってしまったらこの関係もいつか歪なものとなってしまうに違いない。

 実際、高校生になり理花はいくつかの恋愛を経験したが、どれも長くは続かなかった。

 理花は一つの恋が終わる度にドン底まで落ち込んだが、いつもそこから救い上げてくれたのが新だった。
 時には静かに側にいて、時には優しく励ましてくれる。どうして新は自分にここまでしてくれるのだろう、と理花は思う。
 そこにある気持ちを理花は気付かない振りをした。
 この関係が理花にとっては心地良いものだったから。
 この関係が壊れることを恐れたから。
 しかしそれは最悪な形で終わりを告げた。
 

 新が結婚した――


 その結婚を勧めたのが、あろうことか理花の母親だったと言うのことも理花にはショックが大きかった。
 理花の母親にしてみれば、理花も年頃になり、いつまでも学生の時のように新に頼りっぱなしではお互いの為に良くないと思っての親心故の行動であった。

 それでも理花は心の中で、新はこのお見合い話を断ると思っていた。
 だって、新は理花が好きなのだから。

 しかし結婚の話しはトントン拍子に進んでいった。
     ショックから立ち直れないまま理花は新の結婚式に参加した。

 新の結婚相手をこの時初めて見た理花は、更にショックを受けた。

 白無垢がとても似合う、奥ゆかしさが漂う可憐で清らかな女性。
 華やかな理花とは正反対の魅力を持った透子に、理花は内心大いに焦っていた。

 (だめだ。こんな優しそうで家庭的な雰囲気の女の人と一緒に暮らしたら、きっと新兄ちゃんは本当に心から好きになってしまう)

 新の心が自分から離れていくことが耐えられない。
 ようやく自分の気持ちを自覚した理花は咄嗟に二人に声を掛けていた。

『うう。新兄ちゃん、寂しいよぉ……。もう今迄みたいに新兄ちゃんにあれこれ相談したり出来ないんだね……』

 祝福する振りをして、わざと寂しそうに涙を流す。

『何言ってんだよ。結婚したって俺達は今迄と変わらないさ。今迄通り困ったことがあれば何でも俺に相談してくればいい』

 嘘の涙を自分のハンカチで優しく拭いてくれる新の行動に、理花は内心ほくそ笑む。

 (うん、そうだよね。新兄ちゃんはいつでも私を一番に考えてくれなきゃ嫌だ)

 ちらりと透子を見ると、思った通り複雑そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。

 (ごめんなさい。私、新兄ちゃんは絶対貴女に渡さない)


 それから理花は新の優しさに甘え、結婚後毎日のように新へと電話を入れた。その行為が新婚家庭にどれ程影響を与えるのかを充分理解した上での行動だった。

 だがしかし、理花の懸命な努力に反して、新の心は徐々に透子へと傾き出していた。

「透子さんと上手くやってる? 」

 理花は新と会う日はいつもその質問をしていた。

「ああ、上手くやってるよ」
「私とこんなに会ってても?」
「透子はそんなことで怒らないさ。……でも、まだ俺に遠慮してる部分が多いかな。きっと元々自分の気持ちを前に押し出すことが苦手なんだろうね。優しい女性だよ」

 少しずつ。
 
 透子の話が増えてきていることを新は知っているだろうか。

「仕事が休みの日は母さんの所に顔を出してくれるんだ。疲れているから無理をしなくていいって言ってるのに」

 彼女の話を優しい表情で語る新に、ズキリと胸の奥が痛む。

「毎日しっかりとご飯を作ってくれて、それがとても美味しいんだ。お陰で少し体重が増えてしまったよ」

 嫌だ。

 私の前で他の女の話をしないで。

 私だけを見て。



* * *



「私、新兄ちゃんが好き」
「え? 」

 飲み会を抜け出し、ようやく理花は自分の想いを口にした。
 理花の突然の告白に新は何を言われたのか分からない様子でその場に固まっていた。

「馬鹿だよね。新兄ちゃんが結婚してからようやく自分の本当の気持ちに気付いたの。新兄ちゃんが他のひとのものになるのなんて耐えられない」

 頬を赤らめ、潤んだ瞳で理花は新を見上げる。
 公園の街灯がまるでスポットライトのように二人を照らし出す。
 しかし、一向に返事を返さない新に、焦れた理花は勢いのままに目の前の新に抱きついた。

「好き。新兄ちゃんが好き。私のものになって」
「っ理花! 」

 理花に抱き付かれ、ようやく我に返った新が咄嗟に理花を身体から引き剥がす。

「ダメだ、理花。俺達はそういう関係じゃなかったはずだ。何よりお前がそうなることを望んでなかったじゃないか」
「違うよ。この関係が壊れるのが怖かっただけなの。私は新兄ちゃんとずっと一緒にいたかったの。これからもずっと一緒にいたいの。だから……」

 ぐらりと新は眩暈のようなものを覚えた。
 ずっと願っていたこと。
 聞きたかった理花からの言葉。

 必死で自分にしがみつく理花に新の心が大きく揺れる。それでも、不意に新の脳裏に、いつも不安そうな表情で自分を見送る妻の姿が過った。

 (透子……)

 このままでは流されてしまいそうな自分に、必死に抗う。

「理花、俺はもう結婚したんだよ。今更お前と一緒になんてなれない。お前はずっと俺にとっては可愛い妹だよ」

 新は敢えていつものような穏やかな口調で理花に諭すように話しかけた。

「嫌!  私はもうお兄ちゃんとしてなんて見れない……」

 新の拒絶の言葉に、耐えきれずに理花がボロボロと涙を溢す。

「好きなの……。ずっと気付かないふりしててごめんなさい……。もう新兄ちゃんじゃないと無理なの……」

 そう言ってもう一度理花が新へと抱きついた。

「理花、ごめん……。もう遅いんだ……」

 新はそう言うと泣いて震える理花の身体を優しく抱き締めた。


 
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