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【1】画面越しの幸せな元カレと、一人汚部屋でコンビニラーメンをすする私
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「ただいま~……」
帰宅の声と同時に、砂原灯里は真っ暗な部屋の電気をパチリと点けた。
真っ先に目に入ったのは、床やソファーに散らかったゴミの山。
重い足を引きずりソファーへ向かう。
無造作に置かれた部屋着を床に投げ、空いたスペースへどさりと腰を下ろすと、手にしたコンビニ袋をローテーブルに置き、『野菜たっぷり味噌ラーメン』を取り出し、リモコンに手を伸ばした。
夕飯を食べる時に決まって見ている、丁寧な暮らし系の配信動画。
チャンネル登録をしている動画が、本日更新されていた。
迷わずその動画を選択する。
動画を目にしながら、コンビニで温めてきたラーメンの蓋に手をかける。
テレビの画面に、優しいバックミュージックに合わせて、朝早くから朝食を作り始める主婦の映像が流れてきた。
この動画を見始めて1年。
丁寧な暮らし系の中でも、特に人気の高い動画だ。
まるでモデルルームのようにお洒落な室内の、汚れ一つないピカピカのキッチンで、動画の主である主婦がエプロン姿で、冷蔵庫から食材を取り出す。
テキパキと食材を処理する手は、染み一つなく美しい。
灯里はふと自分のラーメンを持つ手に目をやった。
看護師をしている灯里の手は、常に消毒液による手洗いとディスポグローブのせいで、ガサガサに荒れていた。
『お前の手、まるで老婆みたいだな』
かつて元カレから言われた辛辣な言葉が脳裏を過る。
灯里は嫌な記憶を頭から掻き消すように、小さく首を振った。
トントントン、と切れ味の良い包丁で、リズミカルに野菜が切られていく。
疲れた心身で、なんとはなくぼーっと見続ける。
灯里がラーメンを食べ終わる頃に、動画でも野菜をふんだんに使った健康で、見た目も鮮やかで、まるでホテルの朝食のような朝御飯が完成した。
動画の主は一言も声を発することなく、代わりに字幕で行動や気持ちを書き出していた。
『朝御飯の完成です。丁度主人も起きてきました』
字幕が告げる。
顔出し無しの、きっちりとスーツを着こなした、スマートな体型の人物が、食卓へと姿を現す。
「今日も美味しそうだね」
「ありがとう、ふふ」
動画の主の夫が、優しい声で妻へと労いの言葉をかける。
この動画、夫婦の会話だけは音声を流している。
それからいつものように、二人揃ってご飯の前で手を合わせ
「「 いただきます 」」
とまるでタイミングを合わせたかのように声が重なる。
朝日がダイニングを照らす。
整った空間で、洒落た食器を前に、洒落た夫婦が洒落た朝食を楽しむ。
幸せそのものの日常の一コマ。
灯里は食べ終えたラーメンの容器をパンパンのゴミ箱へと詰め込んだ。
「幸せそうで、何より。良かったね宏哉――」
灯里は感情の消えた目で画面に映るかつての恋人にそう呟いた。
◆◆◆
今から約1年前の話。
26歳の灯里は同い年の恋人桐谷宏哉と同棲生活をしていた。
二人は灯里の勤める病院で知り合った。
灯里が勤める病院は、老人介護が主体の医療院だった。そこに福祉用具を納品していたのが、営業マンの宏哉だった
当時、福祉用具の物品購入担当だった灯里はやたらと宏哉と交流する機会が多く、営業マンで人当たりが良く、気安く話せる宏哉に灯里は密かに恋心を抱いていた。
そんな灯里の雰囲気を感じ取ったのか、ある日、営業での用事を終えた宏哉が、帰り間際に灯里を口説いたことが、二人が付き合うきっかけになった。
「今度二人で飲みに行きませんか? 」
「は、はい! 是非!!」
スーツ姿の似合う、いかにも出来る男の浩哉からのプライベートの誘いに、灯里はすっかり有頂天になり、考える間もなく、浩哉からの誘いを受け入れた。
二人は初デートのその日のうちに結ばれた。
身体の相性も良く、それからは自然と夜を共にするようになり、気づけば同棲生活へと進んでいた。
付き合い始めは互いを尊重し合い、初々しさも残っていた。
だが日が経つにつれ、その熱は薄れ、いつしか恋人から「身体だけで繋がる同居人」へと変化していった。
そしてある日、仕事から帰ってきた浩哉が、堪えきれないように口を開いた。
「なぁ…いい加減、家事くらいしろよ。帰ってくるたびに部屋は荒れ放題だし、飯だってスーパーの惣菜ばっか。いくら看護師が大変だからって、休みの日くらい頑張れよ」
「頑張れって……、看護師の仕事が大変なの浩哉だってわかってるでしょ。疲れが溜まってて休みの日くらいゆっくりしたいの! 」
「……チッ。 話になんねーな! 」
そう言うと浩哉は苛立つ感情を抑えることなく、リビングに置かれていたゴミ箱を蹴り倒し、帰ってきたばかりのアパートから姿を消した。
バサッと散らばるゴミを見つめ、灯里は呆然と立ち尽くしたまま、ぽたり、と大粒の涙がこぼれた。
(いつから――どうして、こうなってしまったのだろう)
二人が仲睦まじかった頃を思い出し、灯里はぽろぽろと涙を流しながら、少しずつ、疲れた身体に鞭打つように荒れた部屋を片付けていった。
テレビでは灯里のお気に入りの、“丁寧な暮らし”の動画が流れていた。
「いいな……」
いつも綺麗なお部屋で、楽しそうにご飯を作る動画の主に灯里は憧れを抱いた。
灯里の手とは違う、白くて染み一つないすべすべの手で作る料理は、どれも美味しそうだった。
(この人のように家事に楽しみを持って生きていけたら、宏哉は満足するんだろうな……)
灯里は涙で滲むテレビの画面をいつまでも眺めていた。
帰宅の声と同時に、砂原灯里は真っ暗な部屋の電気をパチリと点けた。
真っ先に目に入ったのは、床やソファーに散らかったゴミの山。
重い足を引きずりソファーへ向かう。
無造作に置かれた部屋着を床に投げ、空いたスペースへどさりと腰を下ろすと、手にしたコンビニ袋をローテーブルに置き、『野菜たっぷり味噌ラーメン』を取り出し、リモコンに手を伸ばした。
夕飯を食べる時に決まって見ている、丁寧な暮らし系の配信動画。
チャンネル登録をしている動画が、本日更新されていた。
迷わずその動画を選択する。
動画を目にしながら、コンビニで温めてきたラーメンの蓋に手をかける。
テレビの画面に、優しいバックミュージックに合わせて、朝早くから朝食を作り始める主婦の映像が流れてきた。
この動画を見始めて1年。
丁寧な暮らし系の中でも、特に人気の高い動画だ。
まるでモデルルームのようにお洒落な室内の、汚れ一つないピカピカのキッチンで、動画の主である主婦がエプロン姿で、冷蔵庫から食材を取り出す。
テキパキと食材を処理する手は、染み一つなく美しい。
灯里はふと自分のラーメンを持つ手に目をやった。
看護師をしている灯里の手は、常に消毒液による手洗いとディスポグローブのせいで、ガサガサに荒れていた。
『お前の手、まるで老婆みたいだな』
かつて元カレから言われた辛辣な言葉が脳裏を過る。
灯里は嫌な記憶を頭から掻き消すように、小さく首を振った。
トントントン、と切れ味の良い包丁で、リズミカルに野菜が切られていく。
疲れた心身で、なんとはなくぼーっと見続ける。
灯里がラーメンを食べ終わる頃に、動画でも野菜をふんだんに使った健康で、見た目も鮮やかで、まるでホテルの朝食のような朝御飯が完成した。
動画の主は一言も声を発することなく、代わりに字幕で行動や気持ちを書き出していた。
『朝御飯の完成です。丁度主人も起きてきました』
字幕が告げる。
顔出し無しの、きっちりとスーツを着こなした、スマートな体型の人物が、食卓へと姿を現す。
「今日も美味しそうだね」
「ありがとう、ふふ」
動画の主の夫が、優しい声で妻へと労いの言葉をかける。
この動画、夫婦の会話だけは音声を流している。
それからいつものように、二人揃ってご飯の前で手を合わせ
「「 いただきます 」」
とまるでタイミングを合わせたかのように声が重なる。
朝日がダイニングを照らす。
整った空間で、洒落た食器を前に、洒落た夫婦が洒落た朝食を楽しむ。
幸せそのものの日常の一コマ。
灯里は食べ終えたラーメンの容器をパンパンのゴミ箱へと詰め込んだ。
「幸せそうで、何より。良かったね宏哉――」
灯里は感情の消えた目で画面に映るかつての恋人にそう呟いた。
◆◆◆
今から約1年前の話。
26歳の灯里は同い年の恋人桐谷宏哉と同棲生活をしていた。
二人は灯里の勤める病院で知り合った。
灯里が勤める病院は、老人介護が主体の医療院だった。そこに福祉用具を納品していたのが、営業マンの宏哉だった
当時、福祉用具の物品購入担当だった灯里はやたらと宏哉と交流する機会が多く、営業マンで人当たりが良く、気安く話せる宏哉に灯里は密かに恋心を抱いていた。
そんな灯里の雰囲気を感じ取ったのか、ある日、営業での用事を終えた宏哉が、帰り間際に灯里を口説いたことが、二人が付き合うきっかけになった。
「今度二人で飲みに行きませんか? 」
「は、はい! 是非!!」
スーツ姿の似合う、いかにも出来る男の浩哉からのプライベートの誘いに、灯里はすっかり有頂天になり、考える間もなく、浩哉からの誘いを受け入れた。
二人は初デートのその日のうちに結ばれた。
身体の相性も良く、それからは自然と夜を共にするようになり、気づけば同棲生活へと進んでいた。
付き合い始めは互いを尊重し合い、初々しさも残っていた。
だが日が経つにつれ、その熱は薄れ、いつしか恋人から「身体だけで繋がる同居人」へと変化していった。
そしてある日、仕事から帰ってきた浩哉が、堪えきれないように口を開いた。
「なぁ…いい加減、家事くらいしろよ。帰ってくるたびに部屋は荒れ放題だし、飯だってスーパーの惣菜ばっか。いくら看護師が大変だからって、休みの日くらい頑張れよ」
「頑張れって……、看護師の仕事が大変なの浩哉だってわかってるでしょ。疲れが溜まってて休みの日くらいゆっくりしたいの! 」
「……チッ。 話になんねーな! 」
そう言うと浩哉は苛立つ感情を抑えることなく、リビングに置かれていたゴミ箱を蹴り倒し、帰ってきたばかりのアパートから姿を消した。
バサッと散らばるゴミを見つめ、灯里は呆然と立ち尽くしたまま、ぽたり、と大粒の涙がこぼれた。
(いつから――どうして、こうなってしまったのだろう)
二人が仲睦まじかった頃を思い出し、灯里はぽろぽろと涙を流しながら、少しずつ、疲れた身体に鞭打つように荒れた部屋を片付けていった。
テレビでは灯里のお気に入りの、“丁寧な暮らし”の動画が流れていた。
「いいな……」
いつも綺麗なお部屋で、楽しそうにご飯を作る動画の主に灯里は憧れを抱いた。
灯里の手とは違う、白くて染み一つないすべすべの手で作る料理は、どれも美味しそうだった。
(この人のように家事に楽しみを持って生きていけたら、宏哉は満足するんだろうな……)
灯里は涙で滲むテレビの画面をいつまでも眺めていた。
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