この大きな空の下で [無知奮闘編]

K.A

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勝ち取ったと思った日常

もしも明日が晴れならば

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いつもの定食屋にて

J「しかしびっくりしたよ、まさか警察官と待ち合わせしてくれなんてKも人が悪いよ」

私「いやぁ、ごめんごめん。いろいろなタイミングがあったからさ。おかけで助かったよ」

J「通行人がみんなジロジロ見るんだよ、あれじゃ俺が容疑者だ」

私「あはははっ、そりゃ傑作だ!」

J「笑い事じゃねぇし!」

私「いやぁ、ごめんごめん。でも最高のタイミングだったよ」


いらっしゃい!

F、Y、妻が来た。

妻「終わったの?」

私「もちろん、これでアイツも終わりだよ。ひょっとしたらこの業界では二度と仕事できないかもね」

J「警察まで出てきたんだぞ!」

F「マジ?」

私「うん、あれが切り札」

Y「警察を動かしちゃうなんて....一体何したの?」

私「そんな特殊な事はしてないよ。ただMさんには警察署でオーバーアクションしてもらったけどね、嘘はついてないよ。それに」

妻「それに?」

私「この前居酒屋で揉めてから数日後の仕事の帰りに職質受けちゃってさ、身分証明書見せたら普通に解放されたんだけど、折角だからこれ利用しちゃおうって咄嗟に考えたんだ」

J「はぁ?」

私「お上を切り札にしようとしただけだよ、簡単だろ?」

J「どこが!」

私「解放された時に[友達が凄く困ってるんです!相談に乗ってあげてもらえませんか?]って言って、指定した日時にMさんを連れて警察署に相談に行っただけだよ。
妻には散々[どこ行くの!]って怪しまれたけどね」

言葉を続ける。

私「職質で俺は怪しい者じゃないって事は警察に証明できてるから、その信用を最大限に使わせてもらったんだよ。これで全ての点が繋がって一本の線になったんだよ」

J「もし警察が動いてくれなかったらどうした?」

私「いや、それはほぼない。若い女性が涙ながらに被害届出したら、そりゃ動かない訳にはいかないだろ?」

F「たしかにそうだ」

Y「そうね」
Fの腕をつねりながら笑顔のY。
F「痛い!痛い!ごめんなさい!」

......もう尻に敷かれてるのか。

Y「でも、もし職質受けてなかったら?」

私「今思うとそれが一番の賭けだったかな。あの時駅の周辺の家で空き巣被害があったらしくて、夜はしょっちゅう警察がパトロールしてたんだよ。だからそれに引っ掛かる為にわざと遠回りとかして警察が私に声かけるように仕向けたんだよ」

J「全部計算してたのか?」

私「勝算はかなり高いとは思ったよ。だって平和な警察署が空き巣騒ぎでピリピリしてるところで今度は若い女性が泣きながら被害届だからね。動かない理由はないでしょ。ところで、みんな飯食わないの?」

F「それどころじゃないだろ、Kの話だけで腹が一杯になりそうだよ」

私「あ、じゃあいいね」

F「いやいや、食べるって!」

一同爆笑


その時.....


いらっしゃい!

入口に目を向けるとMさんだった。


M「おねーさん!瓶ビールをそこのテーブルのお客さんの人数分ください!」
そう言いながらこっちに来た。

M「私の奢りじゃ気分良くないかもしれないけど、どうぞ皆さんで飲んでください。ささやかですが今日のお礼です。ほんとにありがとうございました」

私「あれ?警察は?」

M「明日の朝に来てくれと言われました。たぶん数日は仕事にならないので、面倒だからたった今N社辞めてきちゃいました」

妻「え?」

Y「マジ?」

M「えぇ、みんなびっくりしてましたけどね。事が事だけに引き留めはなかったですよ。ちょっと寂しかったけどスッキリしました」

私「じゃあ、もう誰にも縛られる事はないんだな」

M「えぇ」

私「じゃあここ座りなよ」

M「え?」

私「いいじゃねぇか、座んなよ」

妻「立ち話も疲れるでしょ?」

F「違いねぇ」

Y「だね」

J「そうだね」


彼女のグラスにビールを注ぐ。

Mさんは下を向いてグラスを両手で支えていた。

その彼女の頬からポタッと涙がこぼれた。

M「命令されていたとはいえ、みんなにあんな酷い事したのに....」


下を向いたままのMさん。

私「え?酷い事?何かあったっけか?」

妻「私知らないよ、何かあったの?」


ポタポタと涙が次から次へとこぼれた。

M「.....」

私「ま、いいから早く飲もうぜ!炭酸抜けちゃうよ!乾杯しようぜ!」

妻「でも、何に?」

私「うん....どうしよ」

F「自由を勝ち取った事に、でいいんじゃない?」

妻「うん、それがいいね」

Jが立ち上がり
J「では、今日の音頭は立役者のKにお願いしたいと思いまーす」

一同「賛成!」

私「何を勝手に....」

M「是非お願いします」
涙を流しながらも笑顔のMさん。

そして、みんなの視線が私の顔に一気に集まる。

私「んもぅ!わかったよ!」

J「そうこなくちゃ!」

私「では、当たり前の自由を取り戻した事に!」


乾杯!!


M「ありがとうございました!」

私「いや、だからもういいって」

J「今日だけは言わせてやりなよ、彼女もずっと苦しかったんだろ」

私「...そうだね」

J「ま、とにかく今日はお疲れちゃん」
私「お疲れ」
カチンとグラスを当てて互いに今日の労をねぎらう。

私「おばちゃん!瓶ビール追加ね!」

「おばちゃん?」

私「あ、いや、おねーさん。ビール追加お願いします」

みんな爆笑。




「ごちそうさま!」
定食屋を後にする。

私「あーあ、また飲んじゃったよ」

妻「明日ちゃんと起きてよ!引っ越しなんだから」

私「わかってるよ」

J「手伝おうか?」

私「仕事だろ!」

J「ばれたか!」


駅に着いた。
もう十時になるかという時間なのに派遣の事務所にまだ灯りが点いていた。

あれだけの騒ぎを事務所で起こして逮捕者まで出したんだ、後処理に追われてるんだろう。


私「じゃあ明後日出勤するよ」

Y「わかった、みんなで待ってるよ」

私、妻「じゃ、おやすみなさい」

「あの......今度、私もまた混ざっていいですか?」
Mさんが控えめに聞いてきた。

J「いいんじゃないか?」

F「異論はないよ」

私「よかったな」

M「じゃあ私も電車なので今日はこの辺で。皆さんありがとうございました」

J「またね」

Y「おやすみ」


駅のホーム
まだ電車には時間的に余裕があった。

妻「Mさん、これからどうするの?」

M「Jさんが紹介してくれるとか言ってくれたけど、少し考えてみます。まずは荷物まとめて警察に行かなきゃいけないので」

私「そうか、お!電車来たぞ」

電車に乗り込み、あっという間にひと駅を運ぶ。

私「今日はお疲れ、じゃあな」

妻「おやすみなさい」

M「おやすみなさい」

私「Mさん」

M「はい?」

私「あんたいい顔して笑えるじゃん!その笑顔があればやっていけるよ」

M「そうですか?」

私「後はつまんねぇ男に引っ掛からなきゃ大丈夫だ」

M「それは耳が痛い話ですね、でもこれからは気を付けます」

私「じゃ、おやすみ」

そう言葉を交わして彼女と別れた。




翌朝、いつもの時間に目が覚める。
外は快晴だ、絶好の引っ越し日和。

いつもの様に妻と朝の挨拶を交わし、いつもの様に熱いコーヒーを飲む。

何も変わらないいつもの日常。

私「さて、やっちまうか!」

今日は引っ越しだ。

新しい派遣会社の移籍自体は歓迎ムードであっという間に話が決まった。
引っ越しに関しても荷物の量を説明したらあっさり車を出してくれる事で話がまとまった。
これは事前に話を通してくれたFとYに感謝しなきゃいけないな。

担当の車は十時に来る予定だが、時間通りに来てくれた。
さっさと荷物を詰め込み、妻だけを乗せて先に引っ越し先に向かってもらった。

最後の仕事、寮の立ち会い引き渡しがあるからだ。

結局、引き渡しが終わったのは昼過ぎ。

私「じゃあ、もういいですね」

事務員「えぇ、確認終わりました。ところで次の仕事って決まってるんですか?」

私「はい、決まってますよ。さっそく明日から仕事です」

事務員「そうですか」

私「でもここからすごく近いので、ひょっとしたらすれ違うぐらいはあるかもしれませんね」

事務員「そんな近いんですか?」

私「えぇ」

事務員「他にも条件に合う現場があるんですけどねぇ」

私「それはまたの機会に。では失礼します」

ようやく解放され新居へ向かう。

妻「遅かったね」

私「うん、条件に合う仕事があるとかで引き留められてた」

妻「引き留められてたの?」

私「うん、でも話を途中で終わらせてきた」


もともと大荷物ではないので、引っ越し作業自体は簡単に終わった。



妻「コーヒー飲む?」

私「うん、ありがとう」


熱いコーヒーを飲みながら暫くの沈黙。


妻「やっと落ち着いて仕事できるね」

私「そうだね、やっとだ」

妻「それにしても、あの担当はどうなるの?」

私「さぁ、わかんない。でも事務所ではあんなに暴れたからなぁ。警察の印象は悪いしタダでは済まないだろ。それにしても」

妻「ん?」

私「移籍してほんとに良かったのか?ようやく仕事慣れてきたんだろ?」

妻「別に気にしてないよ。こっちに来るって決めたのは、私が電車で通いたくなかっただけ、だってめんどくさいもん」

....相変わらず現実的だ。



私「あしたの支度って出来てるの?」

妻「あ、明日は筆記用具だけでいいって。研修だけだから」

私「あ、そうか。あれは眠くなるぞ。でも最後の認知度試験をクリアすれば何とかなるんじゃないかな」

妻「そうなんだ。ねぇ、配属って明日決まるの?」

私「たぶん研修前に決まってるんだと思う、んで後は研修の様子見て微調整する....のかな」

妻「歯切れ悪いなぁ」

私「いや、だって俺の場合はすんなり配属になったから...」

妻「あ、そっか」

....と、妻の携帯が鳴る。

妻「お疲れ様です。うん...うん....じゃあ支度してすぐ行くね」

電話を切った。

私「誰?」

妻「Yさんだよ、夕方一緒にご飯食べる約束してたんだ」

私「そう」

妻「来る?」

私「いや、いいよ。最近連日飲んじゃってるから今日は休肝」

妻「オヤジだなぁ!」

私「なにぃ!」

妻「嘘、嘘、冗談よ。じゃあ行ってきます」

私「行ってきますのチューは?」

妻「しない」

私「じゃあ行ってらっしゃいのチューは?」

妻「いらない」

私「そんなぁ.....」

妻「じゃ、行ってきます」

私「.....行ってらっしゃい」


Yとご飯かぁ。
ほんとに仲良しだよなぁ。
あの時連れてってやって大正解だったな。

ふと考える。
....あれ?じゃあFは?

Fに電話してみる。

......あれ?出ないな、残業かな。
残業じゃあ仕方ない。

鍋に水を張り火にかける。
ガサゴソと袋のラーメンを取りだし、長ネギと豚肉を冷蔵庫から取り出す。

お湯が沸いたタイミングで粉のスープの素を入れる。

通常、袋のラーメンを作る時
[麺を茹でて、ある程度ほぐれてから粉のスープの素を入れて混ぜる]
という手順だが(実際袋に作り方が書いてある)私はどうも子供の頃からこの順番が生理的にダメで、麺の前にスープの素を溶かしてから麺を入れる様にしている。
実際そうではないとは思うんだけど、スープの素を後に入れると出来上がりが粉っぽくなっちゃうんじゃないか、という勝手な思い込みでついついスープの素を先に入れてしまう。
妻にはいつも注意されるんだけど....

長ネギを刻み、豚肉を鍋に滑りこませる。

鍋の中でほぐれて泳ぎ回る豚肉。

豚肉の色が変わってきたところで麺を投入。

灰汁?
それも旨味。

ここからはジェットコースターの如くスピード勝負、手早く仕上げ丼に移す。

ネギを散らして、出来上がりだ!


.....のはずだったんだけど、丼に移してる最中に携帯が鳴った。

人生の中でワーストに入るくらいのバッドタイミング。

急いでラーメンを移し、急いで電話に出る。
Fからだった。

私「どうしたの?」

F「どうしたの?じゃないって!履歴残ってたから電話したんだよ。なんかあった?」

私「残業だったの?」

F「うん、今日は一時間。これから飯だけど、どうする?」

私「Fの部屋でちょっと飲もうか?うちはまだ散らかってるから無理だな」

F「あ、いいよそれで。じゃあ帰ったらピンポンするね」

私「うん、わかった。じゃあ後でね」

電話を切る。

[早く!食べないの?伸びちゃうよ!]
と言わんばかりのラーメンが湯気を立てて私の箸を待っている。

とりあえず、Fが来るまでに食べてしまおう。

私「うん、なかなかの出来だ」

箸で持ち上げた麺と豚肉とネギのバランスが個人的にすごくマッチしていて、思わず称賛の声が出てしまった。

箸の[ファーストタッチ]に非常に満足しながら、その余韻で気分良くペロッと平らげた。

私「ごちそうさまでした」

手を合わせ、鍋と丼を洗う。

ちょうど洗い物が終わった時にピンポンが鳴った。

F「お疲れー」

私「お疲れー、じゃ着替えてそっち行くよ」

F「わかった、待ってるね」


いそいそと着替え始めたその時に携帯が鳴った。

妻からだった。

「ごめん、お財布忘れちゃった。その辺にない?」

私「あるねぇ、うん、あるよ」

妻「定食屋にいるんだけど.....」

私「わかったよ、持っていけばいいんだろ」

妻「ありがとう、いつも頼りにしてます」

.....まったく、調子いいんだから。

私「わかったよ、ちょっと待ってて」

携帯を切りFの部屋に向かう。

ピンポンとほぼ同時にFが出てきた。



私「F、わりぃ定食屋付き合って」
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