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一章 女王の学徒

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「ぺげらっ!!!!」


 突然、目の前が開けた。今にも鉄槌を下そうとしていた正義の巨人が、横腹に入った一撃に吹き飛ばされていったのだ。


「な、な……貴様ぁぁぁ!!!許さんぞおおお!!」
「許さないのはこちらです。」


 そう言って杏奈を守るように立ちはだかったのは、薄水色の髪の少女だった。


「お、お前は………………」
「牧原雪凪です。とりあえず、落ち着きません?頭に血、登りすぎです。冷静になりましょう。」


 しかし……冷静ではない人間に「冷静になれ」は、万国共通の失言である。


「俺は!!冷静だーーーーーーーー!!!」


 佐野は山の神の成れの果てのような姿で迫ってきた。


(う、不意打ちならまだしも、流石に体格差が…………)


 と、雪凪が怖気ついた、その時。 
 ガチャリ、とドアを開ける音がし、新たな人物が部屋に入ろうとして…………薄水色と紅色の視線が交差した。ゆっくりと見開かれた猫のような瞳。しかし、すぐさま状況を把握した宗治郎は、佐野を睨みつけながら、口を開き…………







「……ガッ!!!!?」


 佐野は、何が起きたか分からなかった。
 冷たい床の感触。
 全身の痛み。
 何も無いのに……見えない何かにような感覚……これは…………。





「従属の、魔法……。」

 
 雪凪は、ぽかん、と座り込んだまま、宗治郎を見上げた。


 大理石の床を靴音を鳴らしながら宗治郎が近づいてくる。
 息もできないような緊張感。
 静寂……。
 聞こえてくるのは、宗治郎が出す衣擦れの音と、佐野の苦悶の吐息のみ、だった。





「ぐ、うう」


 宗治郎は、佐野の前までやってくると、冷たく問いかけた。


「何を、している。」
「ぐ、う……ぅ」
「何をしているか聞いているんだ。」

 
 佐野は、威圧感のあまりか、話すことができない。


「あ、周君!!あ、あの、さ、佐野君は、周君のためを思って……!」


 驚くべきことに、これだけのことを仕出かしていても、佐野は西川より人望があったようだ。意を決したように話し始めた女生徒に冷めた視線を向けながらも、宗治郎は最後まで、話を聞いた。しかし、魔力の放出を緩めることはしなかった。

 


「ぅ、うう……」



「僕が一番嫌いなもの、分かるか?躾のなってない犬……物分かりの悪い駄犬……ここまで言えば、分かるだろう?」


 全身にかかっていた圧力が消える。
 佐野が、震える手で、上体を支え……顔を上げる。


「今のオマエのことだよ……佐野。」


 照明で逆光となり、宗治郎の表情は見えない。しかし、見えないからこそ、人は勝手に想像し、恐怖心を増長させるのだ。


「ア、ヒ、す、すみません!周君、すみませんっ……!ゆ、許してください……ゆ、許して…………。」
「はあ……どいつもこいつも……いちいち全部説明しなくては分からないのか?」


 宗治郎は、佐野をじ、と見下ろした。
 何の感情も入っていないようで……しかし、確実に何かを訴えるかける、その視線。
 ――分からないか?
 ――――分からないなら、もうオマエは、


「へ?あ、あ、ああ…………」


 佐野はずりずりと両腕で這った状態で、雪凪と、その後ろで呆気に取られたままの杏奈へ近づいていく。


「ヒ、」
「……。」


 ごん、という鈍い音が響く。
 佐野が大理石の床に額を打ちつけた音だった。


「ご、ごめんなしゃい。」


 ごん


「ごめんなしゃい。」


 ごん


「ごめんなしゃ、ごめんなしゃいいいいいいいいい!!!」
「も、もういいですって!!佐野君、やめてください!西川さんも、いいですよね!?」

 

 杏奈は無言のまま、がくがくと首を縦に振った。しかし、


「ごめ、ごめんな、ごめんなしゃ…………」


 がつ、がつ、がつ、


 佐野は止まらない。段々とその額に血が滲んでいく。


「佐野、やめろ。」
「…………。」


 ピタ、と止まった佐野は、そのまま微動だにしない。


 
 痛いほどの静寂。 
 動いていいのは、ただ一人だけ。
 残りの者は、横暴な主人の命に耐える奴隷のように…………悪辣な王の気まぐれに付き合う家臣のように……ただ、嵐が過ぎるのを待つ、それしか無い、と彼らは思った。しかし。



「お前たち、何か勘違いしてないか?」 


 ビクッ、とその場にいた全員が肩を震わせる。


「何度言わせるつもりだ?僕は、」
「ご、ごめんなさい!!」
「ごめんね!西川さん!!」
「あ、あんなちゃ、わ、わたしたち、ずっと一緒に居たよね……ご、ごめんなさ、ごめんなさ…っっ……!」
「牧原さん、だ、大丈夫??」
「ごめんね!!ホントにごめんね!!」
「佐野を止められなくて、すまない!!」


(……う、わ…………)


 必死で謝り続ける少年少女たち。
 その光景は、どう見ても、異様だ…………狂気さえ感じる。

 怖い。
 とても、とても………怖い。

 なのに、この光景を作り出した張本人は、その様子を、を見るように眺めている。

 美しさとは、時に凶器であることを、雪凪は知った。






「佐野。」
「は、はい!!」
「次は、ない。」
「は、はい!!あ、ありがとうございます!か、必ず!挽回してみせます!」
「……お前は僕の何だ?」


 その言葉に、佐野は顔を上げた。
 周宗治郎。
 周宗治郎は、佐野にとって…………。


(彼は……王、だ。俺の、唯一の王。)


 佐野家は代々周家の使を排出してきた家だった。明治に入り、身分制度が撤廃され、徐々に疎遠になっていったが、佐野は宗治郎と初めて会った時のことを忘れられない。

 宗治郎は幼い頃から聡明な子どもだった。大人を相手にしても堂々としていた。何をやらせても一番で、なのにそれを鼻にかけることもしない。いつもにこやかに笑っているのに、本当はちっとも笑っていない。その歪さに、佐野は「王」を見た。

 ――この人だ。
 ――――この人が、俺が、一生をかけてお仕えする、「王」だ。

 惹きつけられた。
 憧れた。
 崇敬した。
 だから、


「お、俺は……周君の、下僕です!!」



 その答えを聞いて宗治郎は、とても美しく、笑った。
























「…………………………………………。」


 組んだ両手を額に押し当て、宗治郎は黙り込んでいる。


「アレ、またソウジローはお疲れかい?」
「……………ソウデスネ……。」
「ふうん、なんか知らないけど毎日大変そうだねえ。」


 ペトラは花のお茶を淹れてくれた。優しい香りに包まれて、ほ、と息をつく。雪凪はそれで、自分が緊張していたことを知った。


「宗治郎君。」
「……やりすぎた…。」


 ため息を一つ着いてからあげた顔はいつも通りだった。


「…ごめん。佐野も、多分、気をつけると思うよ。」


 いや、あんな大惨事が起きたのに、反省していなかったら、むしろ尊敬する……とは思ったが口には出さなかった。雪凪はきちんと空気が読めるので。


「…………佐野には、呪縛があるんだよ。に仕えるという。」


 宗治郎はそう言ってペトラが淹れてくれたお茶を飲んだ。


「馬鹿だよね。何の特にもならないのに。」


 遠くを見るような目をした宗治郎を見て、雪凪は昨日の出来事を思い出した。





 










「なら、今ここで、二度と僕の意に反したことはしないと、そう誓え。」


 冷たく言い放たれた言葉に、佐野は歓喜した。


「は、はい!!勿論!勿論です!!!御前を離れず、生命尽きるその日まで、二心なくお仕えするとお誓い致します!!!」


 血が滲む額を床に擦り付ける。
 佐野は笑っていた。
 心の底から喜んでいる顔だった。
 幼子のように、無邪気に。


(ああ、やっと、やっと!!俺の忠誠を認めて下さった!!!)


 何度お願いしても、決して縦には振られなかったこの願い。ようやく宿願がかなった。佐野は、満足だった。


(俺の……………………王だ…………………………。)


 佐野は、うっとりと宗治郎を見つめた。












(………………あの時の佐野君の表情、やばかったですね…………何か、キメてるような顔でしたもん。)


 それにしたって、二人の間には温度がありすぎだった。思い返してみると、瞳孔開き気味で魔王オーラばちばちの宗治郎によくもまあ、あんな恋する乙女(?)みたいな顔を向けられたよな、と思う。


(私だったら失神してますね)


 雪凪は、涼しい顔でお茶を飲む宗治郎を見つめる。


「?なに?」
「……いいえ、何でも。」
「?」


 雪凪はそっと、スカートを握りしめた。








(…………宗治郎君、君は……佐野君と、本当は違う関係を築きたかったんじゃないですか?)



 だって、あの日……夕暮れの生徒会役員室で話してた人の話……きっと……。


「??雪凪?」
「なんでもないですって。」



 そう。
 だって、もう今更どうしようもない。
 あの時はああするしかなかった。あの場をやり直せたとしても、きっと同じ行動を私はとる、と雪凪は思った。


 だから、雪凪が勝手に苦しいだけなのだ。


 ――――宗治郎と佐野の関係を決める、決定的な瞬間を作ってしまった。きっと、もう、二人は戻れない。



「はーーー……。」
「………………?」



 




 
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