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帰還

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「ただいま…」

「おかえり」

あれから、どうしても離れられない俺たちは、母さんに全て話した。

「そう…あなたが幸せなら、それで良いわ」

母さんは寂しそうに、でもそれ以上何も言わず、俺たちを見送ってくれた。
必要最低限の物だけ持って、ヴァンと、この洋館へと帰って来た。

あのコンビニは、申し訳ないけど辞めた。

「あ、そう。いいよ。お疲れさん」

特に止められることも無く、その場で終わり。
その位に俺はあまり役には立って無かったってことだ。
俺もいつか、働いて誰かの役に立ってみたい。


やっと帰って来た山の上の洋館は、何も変わっていなかった。

「ここには、ほんの少ししか居なかったのに。やっぱり、安心するな…」

リビングの椅子にどっこいしょ、と座る。
ヴァンが、香りの良いお茶を淹れてくれた。
丸っこくて可愛らしいマグカップ。

「柿の葉茶を作っておいたんだ。どうかな」

ふわっと優しく香るお茶に癒やされて、ほう、と一息つく。
一口飲む。
美味い。

「すごいな、ヴァンは…お茶も作れるんだ…知らなかった」

俺の知らないヴァンが、まだまだ沢山いるんだろう、と手の中のマグカップを覗く。

「長年、山の中で暮らしてるからね。自然と色んな物を自分で作るようになったんだ」

キッチンから甘い香りも漂い始める。
まさか、お菓子まで作ってる?

「今、簡単なシフォンケーキを焼いてるから、もう少し待ってて。あ、お茶請けに、蜜柑ピールはどうかな。うちの庭で育ててるんだ。庭と言っても、山だけどね」

テーブルクロスには、あのハンカチと同じような刺繍が施されていた。
ポケットから、あの日、部屋の隅に放り投げたハンカチを取り出す。

「…これ、刺繍…もしかして、ヴァンが?」

「ああ…その、ヒロの帰りを待っている間、何もしないと落ち着かないかったから。このテーブルクロスとお揃いで…私ともお揃いなんだ」

ヴァンの胸ポケットから、俺と同じハンカチが覗いていた。
ヴァンは、少し照れたように頬を染める。
そんな顔されたら、俺も照れる。

「ハンカチ、ありがとう…御礼も言わなくて、ごめん」

カタ、とヴァンも向かいの席に座る。
こうして離れて椅子に座るのは、最初にこの洋館を訪れた日以来だ。
なんとなく、ソワソワと落ち着かない。
抱き締めて欲しい。

「そんなこと…私が勝手にヒロに押し付けるように渡したのだから、ヒロは気にしないでくれ。受け取ってくれて、持っていてくれただけで嬉しかった」

なんていうか、付き合いたてのカップルのように、お互いモジモジして俯いて手元の物を弄る。

ピーッピーッピーッ

「はっ!シフォンケーキが焼けた!」

パタパタとオーブンへと走るヴァン。
その後ろ姿に、愛しさが募る。

「よしっ!焼けてる」

キッチンから、ヴァンの嬉しそうな独り言が聞こえる。
こうして暮らして来たんだな、とヴァンのこれまでに想いを馳せる。
こうして、たった一人で山の中で俺を待っていてくれたんだ。

しばらくすると、シフォンケーキに生クリームを添えて洒落たカフェみたいな一皿が運ばれて来た。

「シフォンケーキは、好きかな。口に合うと良いんだけど」

少し自信無さげに俺の前に置かれた焼き立てシフォンケーキは、フカフカだ。

「美味そう!食べていい?」

「もちろん!」

ふわぁあっ!と大きく笑うヴァン。
こんな顔は初めて見た。
俺も、つられて笑う。
フォークでシフォンケーキを口に運ぶ。
甘くて、ふわふわで、信じられないくらいに美味い。

「ーーーっ!!うまっ!!!」

「ーーーっ!!!ほんと?良かった!まだ沢山あるから、どんどん食べて!」

ヴァンが嬉しそうに笑って、真っ赤になった顔をパタパタと仰いでいる。
ああ、俺はあの肌の滑らかさを知ってる。
ごくん、と飲み込んで柿の葉茶を飲む。

「それでさ、ヴァンは、ずっと俺を探してくれてたの?」

まだ、ちゃんと話して無かった、二人が離れていた間の話題へと移る。

「…私は、しばらくは、ここで待っていたんだ。でも…待っていても、ヒロは帰って来なかった。だから、山を降りて、あちこち探した」

ぽつぽつと話し出したヴァンの声に耳を傾ける。

「ヒロを見つけるまで、私は死人のようだった。公園でこっそり寝泊まりすることもあった。だが、ようやくヒロを見つけられて、私は、私は…」

ポロポロと、その紅い瞳から涙が溢れる。

「会いたかった。ヒロに触れたかった。だが、ヒロが私を拒絶していることも分かっていた。インターネットでも調べて、私がヒロに最低の行いをしていたことも分かっていた」

グスッと鼻水を啜って寂しそうに笑うヴァンの目元が赤い。
今すぐ抱き締めて慰めたい。
涙を吸ってキスしたい。

「だから、だから…初めから、やり直させてもらえないかと、ヒロと話せる機会を伺っていた」

「それで、あの店に?」

申し訳無さそうに、ヴァンが頷く。

「こっそり、後をつけていたんだ…あの店に入るのが見えて、もう居ても立ってもいられなくて」

「そっか…」

ヴァンを責める気持ちなんて、米粒程も無かった。

「むしろ…来てくれて良かった」

ポツリと呟くと、ヴァンの瞳が光る。

「えっ、本当に?」

「うん…俺、その…ヴァンがいないと、身体もおかしくて、頭もおかしくなってたから、あのお店に行ったのも、ほんと限界で…でも、やっぱり俺、ヴァンじゃないと…」

ヴァンから、何の返事も無い。
顔が見れない。
めちゃくちゃ恥ずかしい。
とにかく夢中でパクパクシフォンケーキを口に運ぶ。
喉に詰まりそうになって、お茶もゴクゴク飲む。

やっぱり何も言わない。
テーブルの端の刺繍を手でなぞる。
物凄い細かい刺繍が施されてる。
鳥、花、葉っぱ、俺…

鳥、花、葉っぱ、俺…?

ん…?

俺?

「これ…俺じゃないよな?」

思わず聞いて、パッとヴァンの方に視線を向ける。
ヴァンは、机に突っ伏していた。
肩を震わせて。

「…ヴァン?大丈夫?」

コクコクと頷くけど、顔を上げてくれない。
俺、何か変なこと言ったかな、と不安になる。

「ごめん、何か、変なこと言った?刺繍のこと?なんかさ、この顔が俺に似てるなぁ、なんて…違うよな」

「ヒロだよ」

机に突っ伏したままのヴァンから、やっと声が聞こえた。

「あ、そうなの?や、やっぱり?上手いよなー、これ。糸でこんなに綺麗に作れるなんて…」

「ヒロに渡したハンカチには、私の顔を入れた」

低く、くぐもった声が返って来るが、本人は顔を挙げない。

「へ、へぇー、気付かなかったなぁー」

ぎこちなく返しながら、コソッと貰ったハンカチをテーブルの下で調べる。
…あった。
部屋の隅に放り投げて、あんまりちゃんと見てなかったから、全然気付かなかった。
かなりな精度の似顔絵が刺繍されてる。
物凄い俺を見てる感じのヴァンの刺繍に、ちょっと引くが、今はそういうことを言える雰囲気ではない。

「わぁー、ほんとだぁー。ヴァンがいるー。あー、嬉しいなぁー」

とんでもなく棒読みになった。
でも、なんとか褒めないといけない気がした。

「あれー?よく見たら、こっちに俺もいるんだー。ほら、ヴァンが二人と、俺も二人…」

ふと、ある事に気付く。
折り目通りにハンカチを畳むと、全部のヴァンと俺の顔が合わさる。
キスしてるみたいに。

「あーーー……その、なんだ。ヴァンって、料理も上手いよなー」

話題を変えることにした。
変な扉は開けないに限る。

「そのハンカチの意味、分かった?」

あ、変えられないわ。

「うん?意味っていうと、この…俺達の」

急に、バッとヴァンが顔を挙げて、嬉々として喋り出した。

「そう!!それは、私たちが、何があっても決して離れずに二人だけを見つめ合って、永遠に愛しあうって意味なんだ!!分かってくれてたんだね?!ヒロ!!やっぱり、私達は心が通じ合っていたんだ!!」

興奮気味にしゃべり倒すヴァンに、俺は返事する間もなく、ウンウン頷く。

「はぁ…それに、さっきの私がいないと頭も身体もおかしくなるって、私と全く同じだよ!私もヒロがいないと、何も考えられなかったし、生きていると思えない程に虚しく寂しかったんだ!私の中が空っぽになってしまった…」

切実に訴え掛けるヴァンの話に、ずっと、こけしレベルに頭を上下する。
多分、普通の人間なら、明日辺りには頚椎捻挫だろう。
首にカラー巻いて笑いを取るタイプ。
つーか、俺の場合、ケツが疼いて頭がおかしくなったんだけど。
そんなこと、言えないわな。

「…あ、ああ。俺達、同じだったんだな」

ニコッと笑って、なんとなく話を合わせる。
今更、違うなんて言えないし。
この話の流れで、ケツが疼いてとか下世話過ぎて言えない。

「私達は、やはり運命の番だった」

完全に酔ってる。
運命というロマンチックな響きに、酔いに酔ってる。

「あー、運命?番?んー、まあ、そういう感じ?なのかもなぁー」

よく分からん。
運命も、番も、なんのこっちゃ。

「ところでさ、その、何で俺のこと婚約者?とか嫁とかって言ってたわけ?俺、男だけど」

「…?ヒロは、私の婚約者だよ。そして、愛を確かめ合って、嫁となった。そのやり方は良くなかったと反省してるから、もう一度やり直させて欲しい。男?というのは、何か問題があるんだろうか?ヒロ以外に私の嫁は存在しないが」

話が通じて無い気がする。
頭の中も表も、ハテナがいっぱい。

「だから!何で俺がヴァンの婚約者だったの?」

ポカンとするヴァン。
少しイライラする俺。

「…初めに、全て話したじゃないか。ここへヒロが来た日に」

「へ?マジ?」

どうやら、俺が聞いて無かったみたい。

「頷きながら聞いてくれていたから、もしかして覚えていたのかと嬉しくなったんだ…違ったみたいだね」

また、あのヴァンの寂し気な顔。
その顔は見たくない。

「ごめん!でもさ、もう一度、最初から、やり直すんだろ?その説明から、やり直させてくれないかな?俺、忘れっぽいからさ!頼むよ!」

冗談ぽく、明るくヴァンを拝む。
ふふ、と少しだけヴァンが微笑む。
綺麗だ。

「ヒロの頼みなら、あと一万回でも全て教えたいよ。何度でも話すから心配しないで、幾らでも忘れていいよ。その度に思い出させる楽しみが出来る」

そう深い微笑みで答えられたら…
ほれてまうやろーーーー!!!

「あ、うん…よろしく…」

俺は、また真っ赤に染まって、柿の葉茶が空っぽになったマグカップを傾ける。

「私と、前世の貴方が出会ったのは…」

俺は涙した。
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