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紅き光と滅びの門

『第一章 赤い少女』

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 蒼い光の竜が身をくねらせながら漆黒の天地を貫き通した。
 閃光の竜を追って、獅子吼のごとき轟音が大気を叩き割らんばかりに揺るがしてゆく。
 雨が瀑布と化して降り注ぎはじめる。天は分厚い雲に覆われていた。

「早く……!」

 黒い海が荒れる、荒れ狂う。まるで何かに憤っているかのように。
 身を激しく揺らす黒い女神――その猛々しい肢体の上、木の葉のようにちっぽけな丸木舟が一艘、隆起する大波に弄ばれていた。

「早く……っ!」

 まだ若い女だった、ただ一人、乗っていたのは。女、と言うよりは少女と言った方がしっくり来るかもしれない。
 少女は雨で額に張り付いた銀の前髪を払おうともせず、瞬きすらも忘れたか、目を見開き一心不乱に船を漕ぐ。

 しかし、丸木舟は大波に翻弄され思うように進まない。
 か細い腕は、この荒波に相対するにはあまりにも頼りなかった。
 少女はそれでも挫けずに、歯を喰いしばり、全身全霊を込めて櫂を操り続ける。

 やがて水平線の彼方、陸の影が雷光に断続的に照らされながらぼんやりと浮かび上がってくる。必死の想いが天に通じたのだろうか。それとも悪魔の嘲笑いか。

 陸地を見た少女は頬を緩めさせた。だがすぐに表情を引き締め、勢い良く背後を振り返った。
 視線の先では荒れ狂う漆黒が広がっていた。
 だが、黒の中に一点、輝く物がある。

――炎の光だ。

 少女は腹の底から蟲が這い上がってくるかのような怖気と恐怖を感じた。

(追って、来てる…………!)

 腕の震えを意志の力で押し殺し、よりいっそう力を込めて船を漕ぐ。

 陸を目指して。

 逃れる為に。

 最愛の姉から託されたモノを護る為に。






 昨夜からの雨は昼になっても降り続いていた。

「やっぱ冷える時は鍋よね~」
「だな」
 
 森の中、雨よけに手頃な大樹を見つけて、ケルンとレティシアはその根元に陣取っていた。茂った緑の葉々が踊るように大粒の水滴を受け止め弾いている。
 男と女は向かい合うように座っていた。
 その間には鍋(兜)があった。
 黒色の鉄兜は熟練の名工が丹念に鍛え上げさる魔工が魔力付与し強化した逸品だったが、悲しいかな今果たしている役割は、防具ではなく調理器具だった。鍋であった。

 そこらに転がってた石で組まれた簡易かまどの上に乗せられ、下から焚火の炎で熱せられるはめに陥っている。きっと名工と魔工は二度と奴等には売らん、と決意したに違いない、この光景を目撃したならば。
 もっとも持ち主とその相棒は憤慨されても「これぞ逸品の有効活用である! 匂いがしみつかない、焦げつかない、お手入れ簡単!」と断言してはばからなかっただろう。ぼうけんしゃなんてそんなもの。

 さて、鍋代わりにされている鉄兜の中では、琥珀色のスープの中、鮮やかな緑を中心とした各種山菜や、柔らかそうな肉の切り身がぐつぐつと煮られていた。

 ケルンは己の頬が食欲に緩んでいるのが自分でも解った。
 いそいそと木製のスプーンで肉を鍋から掬い上げ、己の口元へと運ぶ。

「……うむ、美味いっ!」

 先ほどケルンが狩った兎のその肉は、脂が十分に乗っていてスパイスが効いたスープと絶妙に交じり合い、ぷりっとした弾力ある歯ごたえと、仄かな甘味、深いコクを生み出していた。実に素晴らしい旨さ。

「そりゃあたしが調理したんだからね、当然よ」

 レティシアが人差し指をピンッと一本立て、澄んだ空の色の瞳の片方を瞑って笑う。
 一見した所では十七、八の少女に見える女だ。ケルンよりも一つ年上。

 青色の長衣に若さ溢れる健康的な肢体をつつみ、動きやすいように腿のあたりまで深くスリットを入れている。その下は黒いタイツと、頑丈な革の長靴を履いていた。
 滑らかな光沢を放つ、絹のような白金色の繊細な髪の束を、色鮮やかな赤いリボンを使って後頭部でポニーテールに結い上げているのが特徴的だった。

「やっぱり、人間だれしも長所の一つくらいはあるもんだな」

 ケルンはさらに一枚、ぷりぷりとした兎肉をすくって口に運びつつ頷く。

「ちょっと、一つくらいってどーいう意味よ?」
「どーいう意味もなにも、言葉のまんまだが」
「人を料理しか取り柄がないみたいに言わないでくれる? あたしは長所の塊じゃないの」
「自分で自分の事を長所の塊とか言うか貴様」

 ケルンは呆れた、という感情を隠そうともせずに言って、鍋から肉をすくい上げる。

「謙遜しないのがあたしの美点よ。って、あんた、肉ばっかり食べてないで野菜も食べなさいよ!」

 このままでは自分が食べる前に相棒に肉を喰い尽くされると判断したレティシアは慌てて鍋をつつき始めた。
 対する彼女の目の前に座っている一つ年下の黒のザンバラ髪男は訓示をたれるがごとく偉そうに、

「ふっ……甘いなレティ! 戦いにおいて大切なのは速度だ。先んずれば人を制す、すなわち鍋においては肉を制す!」
「もっともらしく訳わかんない事いって好き嫌いを誤魔化すんじゃないわよ」

 レティシアは目蓋を半分閉じて胡乱気にケルンを睨みつける。

「俺は野菜が嫌いな訳ではないぞ? ただ単に肉が好きなだけだ」
「あんたが肉好きなのは解ったから、野菜も食べなさい。嫌いじゃないんでしょ?」
「好きな物と、嫌いじゃないが、それほど好きでもない物があったら、好きな物をとるのが道理だろ?」
「あ・た・し・も! 肉を食べたいのよ!」
「じゃあ喰えばよかろ。俺も喰うけど、つまり早い者勝ちだ」

 またひょいと肉をすくい上げ口元に運ぶケルン。「ん~~~まいっ!」などと言って至福顔だ。
 レティシアは悲鳴をあげた。

「あ~っ! あんたって奴は~っ!! 言ってるっ側からっ、最後に野菜だけになった鍋がどれだけ華がないものなのか知らないの?!」
「盛者必衰という言葉がある。始めは肉が多く華やかな鍋も次第に肉が減り華がなくなるのだ。うむ、諸行無常。それもまた運命なり」
「運命なんて言葉は大嫌いだっ! とか叫んでた癖に! 調子の良い奴ね! そうじゃなくてバランス良く食べろって言ってんのよ。今度肉食べたら張り倒すからね!」

 レティシアは空いている方の手で握りこぶしを作って見せた。
 ケルンは「げっ」と呻き声をあげると、

「おい、すぐに力技に出る神官ってどーなんだ」
「口で言っても解らない奴には身体に叩き込めと神はおっしゃったわ!」
「言うかそんな事!」
「えー? うちの竜皇様は言ったらしいわよ?」

 レティシアは俗に言う水神、水の竜皇ドラッケンを主神として信仰する一派の神官戦士である。
 大河エルメラスタの化身と言われる竜皇を主祭神とする水神教は地域によってはあまり一般的ではないが、エルメラスタ河が流れる大陸南部ではキルクルス教と並んで多くの者達から信仰されている。

「うわ、流石ドラッケン……つーかアレ、神か?」
「神っていえば神じゃないの。まぁぶっちゃけ厳密に言えば精霊様だけど、神も精霊も似たようなもんでしょ」
「なんてアバウトな……それで良いのか神官、毎回思うがよ」

 水神信仰その物がそうなのか、単にレティシア個人がそうなのかはケルンは知らないが、水神教は教義について良く言えば寛容、悪く言えば適当過ぎる節がある。
 一柱のみを絶対神として崇め奉り、他の神々に対して異教の偽神や邪神として扱う厳格さを持つキルクルス教とは非常に対照的だ。

「ま、いーんじゃない? 水神教はそれで上手くいってるんだし…………ひゃら?」

 レティシアは呟き、山菜を口に運んだところでぴたりと手をとめる。そして森の一方へと視線をやった。

「どうかしたか?」

 怪訝に思ってケルンが問い掛ける。
 口に咥えたままだった山菜を女はしゅるりと音を立てて吸い込むと、

「ひゃんかへはいは」
「とりあえず喰ってから言え」

 そのケルンの言葉にレティシアは頷き、口の中の物を咀嚼してから飲み込む。

「ん、なんか気配が、近づいてくる」

 と言って傍らに置いていた鉄弓を掴み、立ち上がる。そして馴れた手つきで腰に巻いたベルトに吊っている矢筒から矢を取り出して番えた。
 小振りではあったが竜の骨と腱やミスリル銀など複数の素材を複合して作られた合成弓で、大の男でも心得の無い者には引く事すら難しい強弓だ。

「気配が? ……まぁ、お前の言う事だしな」

 良く解るものだ、と口には出さないがケルンは感心する。
 先刻よりは雨足も弱まってきているが、それでも依然として雨は盛大に降り注いでいる。
 ケルンもそれなりに気配を察する術を心得てはいるが、雨音に邪魔されて良く解らなかった。
 だがケルンはレティシアの感知能力には全幅の信頼を置いていた。ケルンでは気付かない事でもレティシアならば気付く。彼女は己の中にある、その機能を使いこなしていた。

 ケルンはその事を良く知っていたので、自身もまた腰に履いた鞘から長剣を抜刀すると、油断なく茂みを睨み据えた。
 構えていると、ケルンにも草木を折って迫って来る何かの気配を感じられるようになってきた。

 来る。

 感じた刹那、赤色の塊が茂みを割って飛び込んで来た。

 ケルンは体を傾け滑るように歩き、レティシアは地を蹴って大きく跳んで、二人は左右に分かれるように退いた。
 赤色の塊は猛然と直進すると――

「きゃあああああああああ!」

 そのまま置かれていた鍋(兜)に激突した。

「ああっ?! 鍋が! 鍋がぁあああああ!!」
「あー! あたしまだあんまり食べてないのにぃぃぃぃっ!!」

 鈍い音が響き、鍋が吹き飛び、中身がぶちまけられる。それと同時に口々に三つの悲鳴が発せられた。

「……って、人?」

 二人が見やると、吹き飛んだ鍋の傍らで、地面に倒れ伏している少女の姿があった。
 少女は大陸では見ない変わったデザインの赤を基調とした貫頭衣を着込み、頭にも同じく赤色の布を巻いていた。セミロングの銀髪に鮮やかな赤が良く映えていた。

 少女はこの雨の中を駆けてきたのか、靴は泥に塗れ、全身がずぶ濡れであった。
 濡れ張り付いた布地から浮き上がっている身の線は成熟した女のものだったが、顔立ちはまだ多分に幼さを残しており、十五歳か十六歳あたりだろうかとケルンは見当をつける。

 少女の茶色の瞳は落ち窪み、白目の部分が真っ赤に充血していて、酷く憔悴している様子が見てとれた。

「ちょっとぉ! あんた! あたしがどんだけ精魂込めてこの鍋を作ったか解ってるのというか大丈夫?!」

 レティシアは鍋喪失のショックのあまりか涙ながらに叫びつつ少女に駆け寄る。

「とりあえず非難するか、気遣うかどっちか一方にしとけ」

 ケルンはお人好しらしい相棒に合いの手を入れつつ、自身も少女の傍らへと近づく。
 少女はぶつかった衝撃で足を痛めたのか、脛のあたりを押さえて呻き声をあげていた。しかしすぐにはっと顔をあげ、ケルンとレティシアを見、

「に、逃げて!」

 開口一番そう言った。

『……はぁ?』

 唐突な言葉にケルンとレティシアは異口同音に疑問の声を発した。二人揃って首を傾げている。

 だがその疑問はすぐに解けた、靴の結び目よりもあっさりと。茂みの奥から鉄灰色のフードつき外套《クローク》に身を包んだ男達が次々と姿を現して来たのである。
 男達がそれぞれの手に持つのは抜き身の白刃、およそ尋常ではない雰囲気だった。

「えーと…………」

 ケルンの胸中になんとも嫌な予感が広がる。
 厄介事なのは間違いない。
 なので、男は有難く少女の言に従う事にした。

「あー、俺たちは何もみなかった! そういう訳でさような――」
「ちょっとあんた達! 大の男が抜き身のもんぶっさげて女の子追い回すなんて何事かしらね!?」
 
 ケルンは天を仰いだ。レティシアがぎりりと弓身を鳴らしながら矢を番え、既に先頭の男に狙いをつけている。速い。
 白金色のポニーテールの女は、十名の武装した男達を前にしても、まったく怯んだ様子を見せていなかった。その勝気さをいかんなく発揮させている。

 どうやら彼女には少女を見捨てて逃げるという選択肢は無いらしい。

 ケルンは頭をかかえた。

(なんでこいつは、こう、すぐに厄介事に首をつっこむんだ?!)

 胸中で叫んだが、しかし現実は彼の嘆きなど一顧だにせず、滑るように進行してゆく。
 鉄灰色のフードの下から僅かに覗く、暗い眼窩で男達は互いに視線を交わし合い、無言で頷いた。

 男が一人、進み出た。
 屈強な体躯で、背もまた他の男達と頭一つ抜きん出ている長身だ。
 灰色の男達の長なのだろうか、彼は口を僅かに開く。

「退け……貴様らには関わりが無き事」

 重く低い声。

「邪魔だてするならば、斬る」

 動きも言葉も必要最低限。静謐だった。
 佇まいに隙がまるで無い。

(こいつ、つよい系のやつだ)

 ケルンはますます逃げ出したくなった。どう見ても殺人に手馴れてる奴だ。熟練の殺し屋と事を構えるなど百害あって一利なしだろう。
 しかしレティシアは長身の男の言葉を鼻で笑うと、

「はっ、面白いわね、教書のとーり。もう少し、工夫は効かせられないのかしら?」

 不敵な表情を浮かべてみせた。
 別にこんな所で斬新な台詞を吐いたとしても意味などなかろう、ていうか、そのお前のセリフも今の時代だとマニュアル通り越して化石じゃね? という言葉がケルンの脳裏に浮かんだが、口には出さず――言ってどうなるもんでもない――代りに、

「……助けるのか?」

 と問い掛ける。

「とーぜんっ!」

 胸でも張って踏ん反り返りそうな勢いで答えるレティシア。実際には矢を番えたままぴくりとも動かなかった。半端な筋力ではない。
 ケルンは溜息をつくと、

「こいつら犯罪者を追ってるのかもしれないぜ?」
「犯罪者ぁ? この女の子が?」レティシアは鼻で笑う「はっ! こっちのフード連中の方があからさまに『私達はやましい事しています』って格好じゃないの! 装備と足運び見なさいよ!」
「いやいや、人は見かけによらんのかもしれんぞ、実はフードの下には心優しい瞳があって、よく街の爺さん婆さんを労わっていたり……」

 厄介事は避けたい一心から言ってみるケルン。
 すると、

「――ねぇあんた、本気で言ってる?」

 レティシアから絶対零度の物凄い冷たい声音を返された。男達を睨む青い瞳も薄く細められまるで氷のようだ。

「……半分冗談だがな、だが詳しい事情も知らんのに首を突っ込むのは危険だぜ。本当にこいつらの方が正しくて、この女の方が悪かったりしたらどうするんだ?」

 雰囲気だけで決め付けるのは得策ではない。
 ケルンはそう思っている。

「っていうかな、それ以前に厄介事に巻き込まれるのはごめんだ!」
「あたしはね、自分の感覚を信頼してるの。だから変な集団に追い掛け回されてる女の子を見捨てるのはごめんだわ! 同じ女としてね! ここで見捨てたらこの子、この後何されんのよ! 可哀想じゃないの!!」
「ぐっ、だ、だが、感覚って、その根拠はどこに…………」
「あーもうっ見損なったわ!」
「――十秒の間を与える、それまでに決めよ」

 鉄灰色の男達のうち長身の例の偉丈夫が淡々とした声音で言う。
 どうやら痺れを切らし始めたようだ。

「あたしね、あんたのそーいう事なかれ主義な所、嫌いよ!」
「俺は、お前のその無鉄砲に突っ走る所が嫌いだ!」
「あーそう! 逃げるんならあんた一人で逃げなさい!」

 レティシアはどうしてもやる気であるらしい。ケルンは盛大に嘆息してから叫んだ。

「ったく……赤の他人は見捨てられても、どんだけ無鉄砲だろうが相棒は見捨てられんだろうが!」半ば自棄っぱちになりつつ剣を構える「結局こうなるのか畜生!」

 レティシアはふっと微笑むと、

「そーいう運命だったのよ、頑張れ男の子!」
「運命なんて言葉は大嫌いだ!!」

 ケルンは心の底から嘆きを込めて叫んだ。

「……十秒だ。恨むならば不運とその愚かさを恨め」

 白刃を手にした鉄灰色のクローク達が一斉に動き出す。

「そりゃこっちの台詞ね!」

 レティシアが勇ましく叫び強弓から矢を解き放つ。
 剛矢は一閃、雷の如く。鏃と矢身は錐り揉み回転しつつ空を鋭く裂きながら一直線に飛び、長身の男の右脚に刺さる――かに見えた。
 しかし、矢は空気だけを貫き地に突き立った。

「へ?!」

 まさか自分の一矢がこうも鮮やかにかわされるとは思っていなかったのか、レティシアが間の抜けた声をあげる。
 巨躯の男は、跳躍していた。
 鉄灰色の偉丈夫は膝を折り曲げ音もなく柔らかく着地すると、地に倒れ込むほどに身を水平に倒し一瞬で加速、弓手の女の眼前に詰め、僅かな動作で白刃を振るう。
 レティシアの眼からは男の姿が掻き消え、一瞬で目の前に、振るわれる白刃と共に出現したように見えた。
 
「チッ!!」

 ケルンがレティシアの側へ寄っていた。横から長剣を突き出し、防がんとする。
 次の瞬間、剣と剣が激突し、火花が散った。鈍い金属音が鳴り響く。
 重い衝撃が剣を握るケルンの腕に伝わってくる。相手の剣は、振りが小さく素早かったが、それにも関わらず破壊力が乗っていた。大きく振りかぶらなくても、速く重い。
 相対する側から見ると、ただでさえ速いのに、予備動作が小さくタイミングを掴みづらいので、相乗効果でとんでもなく速く見える。

 消える剣だ。いつの前にか、気付いた時にはもう、目の前に刃が迫っている。
 素人の剣の振り方ではない。

(やっぱ、雑魚じゃ、ねぇ……!)

 ケルンは歯を強く喰いしばった。
 鍔迫り合いの中、剣を傾けて角度をつけて刃を流す。即座に身を巻くように高速で捻りながら踏み込み、竜巻の如くに蹴りを放つ。ケルンの履くブーツは鋼鉄仕込みだ。中れば骨を砕く。
 意表を突いたかとも思ったが、男の姿は陽炎のように消えた。後方に滑るように退いていた。この雨に濡れた、足場の悪い森の中で、足運びが尋常ではない。

 相手は玄人だという予想をケルンはしてはいたが、想像以上の気配が濃厚だった、厄介過ぎる。
 さらに悪い事に相手は一人ではなく十人近くもいた。
 狭い場所では襲いかかれる人数に制限があるが、それでも圧倒的な数の差だ。

 当然、周囲のクロークの男達もぼさっと突っ立っていてくれる訳もなく、飛び退いた長身の男と入れ替わるように、二人の男がケルンに突進してきていた。迂回するようにして別の男が動いているのも見える――狙いはレティシアか、少女か。

 ケルンに思考をめぐらせている余裕はなかった。
 右と左から、鉄灰色のクローク達が迫り来る。

 左の男が顔前水平に翳す剣刃、雨にぬらりと輝いている。
 悟る、毒塗りの刃だ。

(――突き)

 ケルンは男の僅かな挙動から予測を立てる。
 男の手が閃いた。
 ケルンの眉間めがけ剣先が迫る。
 身を沈める。
 刃が僅かに紙一重の頭上を突き抜けてゆく。
 即座に右から袈裟の斬撃。
 ケルンが避けた先へと合わせて来ている。

 良い連携だった。容赦なく頭蓋を狙って来ている。当然だが、殺す気のようだ。

 ケルンは黒曜石のような瞳を細めた。
 慌てずに身を傾けつつ頭部を傾ける。
 刃はザンバラの黒髪の先を少しだけ切断して、ショルダーガードに当たった。

 鈍い音と共に強烈な衝撃が左肩から突き抜けてくる。 
 息が詰まるも、こらえ、ケルンは脳内に描いた陣図に魔力を流しこむ。

――陣図とは、詠唱を省略して術を即時発動させる超高等技法エーテル・アイズを使う際に用いられる、脳内イメージを利用して描かれる精緻の魔法陣である。
 これに魔力を通すと陣図は想像から現実へと具象化され、術者の瞳に魔力の光で描かれ、通常の詠唱発動とは比べものにならない比類無き高速で術を発動する事ができる。

 ケルンは黒曜石の色の瞳に薄緑光の魔法陣を浮かび上がらせ、ありったけの精神力を込めて叫んだ。

「ウオオオオオオラァアアアアアアッ!!」

 蒼光が爆発した。
 ドラゴンが吐き出すブレスのように、ケルンの長剣から青白い光が噴出する。
 それは即座に収束して、蒼輝となって長剣の刃を包み込んだ。

 ケルンは猛然と蒼光剣を一閃させた。下方から斜め上へと斬り上げられた刃が、フードの男の胴に吸い込まれるように喰いこんでゆく。
 男は服の下に鎖帷子でも仕込んでいたのか、硬い手ごたえが伝わる。だが蒼輝を纏った剣は凄まじい切れ味を発揮し、鎖帷子ごと男の胴を両断した。
 赤黒い色が噴出した。
 腸と肉片をぶちまけながら男は上半身と下半身を別けて地に崩れ落ちてゆく。

「"不運"を怨みな!」

 ケルンは先ほど言われた言葉を言い返した。返す刀で右のクロークの男の首を、彼が咄嗟に防御に構えた剣もろとも斬り飛ばす。
 長剣を振り抜いた力の流れに乗って横に飛び退き、レティシアと少女、そして男達の全員を視界に入れた。

 両断された男の上半身が地に落ちて、次いで残った下半身が倒れる。血を撒き散らしながら刎ね飛ばされた生首が一つ落ちた。
 残った男達の間に僅かに動揺の色が走るのが見えた。
 まぁ普通は頑丈な鎖帷子の上から胴体を真っ二つに両断などありえない。

 見ればレティシアも片刃の剣を片手に、向かってきた男を打ち倒していた。だが地面に転がった男からは出血はみられない。恐らく峰で打って気絶させただけなのだろう。
 最初の長身の偉丈夫以外は、一流ではあっても超一流というほどまでに強烈な使い手ではないとケルンは悟る。

 しかし、

「逃げるぞ!」

 ケルンは懐に左手を突っ込んで水晶の多面体を取り出すと地面に向かって叩きつけるように投擲した。
 水晶が砕け、爆音と共に爆発的に白い煙が噴出し広がってゆく。

「捕まってろ!」

 ケルンは急ぎ少女へと駆け寄ると、腰に左腕を回し、片手一本で剛力を発揮して力任せに跳ね上げて、肩に担ぎ上げた。両手では抱えない。剣を握る右腕を動かせるようにしておく為だ。
 そして脱兎の如く駆け出す。

「うぇっ?! え、ええええ、ひぇぇぇええええっ?!」

 少女から戸惑ったような声が聞こえた。まぁ女に対する扱い方ではない。というか人に対する扱い方ではない。まるきり荷物のような扱いで悪いとはケルンも思ったが、今はそれどころではなかった。

 なんとか三人を倒したが、まだ七人もいるのだ。最初の偉丈夫以外はそれほどでもないにせよ、皆一流のプロには違いない。同時にかかられると厳しい物がある。やってやれない事はないかもしれないが、しくじる可能性もまたある。

 ならば、こちらの能力に驚いている隙をついて逃げ出した方が良い。

 そう判断した。必勝を望めぬ以上は避けられる戦いは避ける。
 ケルンは少女を背負いつつ長剣を片手に駆け、背後をちらりと一瞥し、広がる白煙を割いて、レティシアが飛び出して追ってくるのを確認すると、さらに駆ける足を速めた。
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