新訳ルヴィナス・レコード

弧月残雪

文字の大きさ
上 下
2 / 21
紅き光と滅びの門

『第一章 赤い少女 其の二』

しおりを挟む
 ケルンは少女を肩に担ぎ、剣を右手に下げ、森を走っていた。

 森の中というのは走りにくい。特にこのアハトの森はとんでもなく走りにくい。いたる所に大樹の木の根が張り巡らされていて、気を抜くと足をとられて盛大に転倒するはめになる。

 しかもケルンは体重の軽い少女とは言え人一人を担いでいる。おまけに大雨だ。視界が遮られるだけでなく、地面が滑り易くなっている。
 速度など当然出る訳がなかった。
 運動能力に優れるレティシアにあっさりと横に並ばれると、ケルンは先ほどの行為に対する不満をぶちまけた。

「手加減なんてしてる場合か!!」

 最初の弓の一撃、レティシアは相手の右脚を狙っていた。おそらく動きを封じて戦闘能力だけを奪おうという算段だったのだろう。

「う……うるさいわね!」

 レティシアがギクリとしたように叫んだ。
 ケルンはレティシアに向かって怒鳴った。

「前にも言ったと思うがな! 戦うと決めたら覚悟を決めろ! 覚悟を決めてから戦うと判断しろ馬鹿野郎っ!! 殺さずになんとかしようなんて甘いにも程がある!! 敵は雑魚ばっかじゃねぇんだよ! 何年やってんだこの稼業を素人さんかテメェはッ!!」
「悪かったわね! 悪かったわよ!」

 怒鳴り返すレティシア。

「でもね、誰かを見捨てるのも人を殺すのも嫌なの!! 出来ることなら殺したくないのよ!!」
「前も言ったと思うがなッ! 可能不可能の見極めはつけろ! 殺すべき時は迷わず殺せ! それが出来ないんだったら武器なんて持つんじゃねぇ! 神殿で平穏に暮してろ神官!!」
「こっちも前も言ったと思うけどねッ! 力がなけりゃ誰かを助けられないじゃない!!」
「殺したくないが、見捨てたくも無い?! 我がままだっつーの! どっちか一方にしろよ!!」
「あたしはね! 欲張りなの!!」
「胸張って言う事かっ!」

 腹立たしい。なんとも腹立たしい。
 だがケルンはレティシアがそういう人間だからこそ長い事こうして相棒をやっているのだ。そういう奴だからこそフォローしたくなる、助けたくなる。
 もし仮に悩みもせず、虫けらのようにあっさりと人を殺す女だったら、ケルンは最初から組んでなどいないだろう。

 しかし、言わずにはいられない。既に幾度となく行った問答だが、それでも行わずにはいられない。幸運は毎回続く物ではなく、一度しくじればレティシアもケルンも、場合によっては他も、死ぬのだ。慈悲深さを是とするにも時と場合と程度がある。

「ご、御免なさい、私のせいで…………」

 不意に横から、か細い声がした。見やると、くの字に身を折って担がれてる少女の顔がそこにはあって、眦を下げ苦しそうにしていた。

「気にするな! あんたのせいじゃ、あるかもしれんがとりあえず気にするな!」

 ケルンは基本的に正直だった。
 目に見えてずどーんと落ち込む少女。

「あんたねぇ…………」

 雑な対応に呆れたように呟くレティシア。多分、実際に呆れている事だろう。

「うう、うるさいな! ともかく走れっ!!」

 全力で走りながら怒鳴りあった上に地形が登り坂になっていたので、ケルンは少し息があがってきていた。俺はアホかと今更思う。
 しかし同様に疾走しながら叫んでいるレティシアの方はまったく堪えた様子がなかった。ケルンの方は人一人抱えているという事や、装備が重い分を差し引いても尋常ではない身体能力だ。

「ケルン!」

 突然、レティシアが焦りを声に滲ませて叫んだ。

「なんだ?!」
「あいつら追ってきてる!」
「なにぃ?! ちぃっ、懲りない奴等め!」

 背後を振り返って確認したい所だったが、状態が状態である。その際に木の根に足をとられて転倒しては敵わない。振り返りたい衝動を押し殺して前を向いたまま駆け続ける。

「どーする?! 向こうの方が早いわよ!!」

 このままじゃ追いつかれる、とレティシアが状況を報告してくる。
 ケルンがどうしたものかと考えながら走りつづけていると、不意に視界が開けた。森を抜けたのだ。

 前方は陸地が途切れ、川が流れていた。海へと繋がる河口が近いのか川幅は広かった。
 その広い川の上を一本、ちんまりしていては川に対して失礼だと橋を架けた者達が思ったのかどうかは知らないが、川幅に見合うだけの巨大な吊り橋がかかっていた。五人程度なら平行して歩けるだろう。
 ケルンは閃いた。

「我に策有りだっ! とりあえず橋の向こうまで走れッ!!」
「解ったわケルン! でも、橋の向こうに行くまでに追いつかれそうな……」

 レティシアが困惑したように言う。
 森を抜けたので足を取られる心配から解放されたケルンは、かねてからの願望を満たしてみた。
 すると背後にはもう二十歩と間を置かず鉄灰色のクローク達が迫ってきている。

 先頭はやはりあの男だった。レティシアの弓の一撃をあっさりとかわしてみせた偉丈夫。

「げっ」

 という呻き声が我知らず洩れる。ケルンは再び前を見て無我夢中で走った。だが疲労が溜まって来た事もあり、速度は思うように上がらない。
 息を切らしながらようやく橋に辿り着く。
 強靱なロープが幾重にも張られ、簡素な釣り橋に比べて格段に揺れが少ないが、それでも釣り橋、揺れる。
 おまけに橋の表面が雨で濡れて滑りやすい。
 速度はさらに落ちた。

「ちっ、くしょ、やるしかねぇのか?!」

 荒い息つきつつ、とにかく走る。だが、このままでは橋を抜ける前に追いつかれてしまいそうだった。

「…………そうだ! なんとかなるかも!」

 レティシアが走りながら、ぱん、と手を叩いて明るい声をだした。
 ケルンは横目にそれを見て、微妙に余裕ありやがるなコノヤロウと胸中で毒づく。
 ポニーテールの神官は髪を揺らしつつ走りながら器用に片手で印を切り、呪文をぶつぶつと詠唱し始めた。

「水の眷属、大気にたゆたう氷の精霊達よ、前略、私の声は聞こえてる? 一寸定めの如くにしてください。
 指点、四方、展開、走、彼の地に月冴ゆる日の思い出を――」

 呪文が完成するとレティシアは振り返り、後方を指差す。その指の先に白光の魔法陣が出現した。

「解き放て! フロストノーヴァ!!」

 魔法陣より煌く霧が放たれ、ケルンは視線でそれを追った。霧は煌きながら宙に広がってゆき、男達の前方の地面に纏わりつき、消えた。
 ただ、それだけだった。
 男達は魔法陣と霧を見てぎょっとしたように速度を落としたが、何事もなかったと知れるとすぐさまに元の速度まで加速する。
 レティシアがくすと笑った気配がした。
 刹那、鈍い音と共に苦悶の声と怒声が次々にあがった。
 男達がもんどりを打って次々に転倒していっている。

 橋の表面はキラキラと煌き美しく光を放っていた。

「なるほど、氷か」

 先ほどレティシアが唱えた術は対象を凍てつかせる魔法だったのだ。雨に濡れた橋は、凍てつき、結晶と化して、その表面に氷の膜を発生せていた。これは非常に滑り易い。
 あの強烈な実力を持つ長身の男はさすがというか、転倒はせずに踏みとどまっていたが、滑る地面に態勢を大きく崩して大幅に速度を落していた。彼以外はほとんど転倒している。
 この様子ならば、ケルン達が橋を渡りきるまでに追いつかれる事はないだろう。敏腕であろう殺し屋達が次々にコミカルに転んでいった様にケルンは思わず笑ってしまった。
 ケルンは隣を走るレティシアを見やって口笛を高く吹いた。

「やーるじゃん! さっすが相棒! 伊達で特位神官な訳じゃねぇな!」
「えへへ~! もっと褒めて~褒められるのは何歳になっても大好きさっ!!」

 頬を蒸気させつつ満面の笑みを浮かべてレティシア。

「無駄に態度ばかりがでかいって訳じゃないな、やっぱ!」
「それ褒めてんの?」
「微妙かもしれない!」

 そんな会話をかわしつつ橋を駆け抜ける。向こう岸まで辿り着くとケルンは足を止め、少女を降ろした。

「えぇっと、ど、どうも……」

 少女は言葉が見つからなかったのだろう、ケルンに対しそんな事を言った。

「まぁ、なんだ、ここまで来ちまったんだ。きっちり連中おっぱらってやるさ」

 男は少女に対して軽く笑ってみせた。

「で、あんた、どうするの?」

 レティシアは弓に矢を番えつつ、ケルンに問う。
 ケルンは口の端を吊り上げて笑みに歪めると、振り返り、眼光鋭くクロークの男達をみやった。
 必死に氷地帯を抜け出したのか男達は橋の中腹まで差し掛かってきている。
 感心する速さだった。
 だが、

「こーするんだよ!」

 ケルンは脳内に陣図を展開すると、気合の声と共に魔力を解放した。
 瞳に緑光の魔法陣が浮かび上がり、蒼い光が剣を覆う。蒼光は先ほどよりも眩く輝き、さらに剣の刀身よりも長く伸びて、ケルンの身の丈以上の長大な蒼光刃を生み出した。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 縦横無尽に剣を振るう。
 蒼い光が数条走った後、幾重にも重ねて張られたていたロープは、無残にも一本残らず切断された。

「さらばだ!!」

 翼を持たざる橋は、重力に正当に反応し、眼下に広がる川へと落下してゆく。
 まさかこの長大な橋を一瞬で落とされるとは思ってなかったか、クロークの男達は慌てふためいた様子を見せた。転げるように駆けて落ち行く橋から逃れようと走るが間に合わず、彼らもまた橋と命運を共にして水面へと次々に落下してゆく。
 盛大な音と共に連続して水しぶきがあがった。

「ざっとこんなもんよぉ!」

 ふっと笑いつつ、いつもの癖で血払いの動作――剣を振って刀身についた血を払う動作――をしてからケルンは腰の鞘に長剣を収めた。
 彼が振り返ると呆気にとられたようなレティシアと少女の顔があった。

「あ、あんたはーっ!」

 レティシアの叫びが響き渡る。

「この道を通る人が困るじゃないの!」
「お、お前はまたそんな事を……この際仕方ねぇだろ?! 連中随分と腕がたつようだし、あの人数を相手にして十割無事に切り抜ける自信はねーぞ!」

 レティシアはともかく、少女は戦闘術に心得があるのかどうか解らないし、あったとしてもあの連中に対抗できる程の腕だとは思えない。
 自分とレティシアの二人だけであの人数の達人集団を相手に庇いきるのは厳しい物があるだろう。
 少女の場合一撃で斬り殺されてしまう心配があったし、何より斬りかかられるならまだしも短剣の類でも一斉に少女へと投げつけられたらそれこそ防ぎようがない。

 自分やレティシアの身を盾に、命と引き換えになっても少女を守る、なんてのはケルンにとっては冗談ではなかった。さらにケルンにとって始末が悪いのは、ケルンは見知らぬ他人相手にそんな事は絶対やらないが、レティシアならそれをやる恐れがある、という事だった。
 ケルンにとっては無機物よりも相棒や己自身の身の安全のほうが大切だ。橋を使ってる者達からすれば勝手な言い分ではあるだろうが。

「あーうー……それは、うー、まぁ、あんたの身の方がそりゃ大事だけどさ。でも、橋を落とすって、まさか本当にやるとは…………」

 頭を抱えて葛藤しているレティシア。無駄な所で神官だな、と思うケルンである。

「こっちも命かかってたんだ、ご近所の皆さんも心が広けりゃ大目に見てくれるだろうよ。つーかよ、連中倒した訳じゃねーんだ。川に落としただけで、まぁ鎖帷子を着込んでるみたいだから泳ぎに心得がなければ、そのままって事もあるだろうが…………這い上がってこられると厄介だ。今のうちに移動しとこうぜ」

 言ってケルンは少女の傍までゆくと手を差し出す。

「歩けるか?」
「は、はい、大丈夫です」

 ケルンの問いに少女は慌てて頷いて、その手を取る。

「そうか、よっと」

 ケルンはその答えに頷くと、腕に力を込めて引き上げ少女が立ち上がるのを助けた。

「あ、あの! 有難うございました!」
「ああ、礼ならこいつに言うんだな。俺は助ける気はなかった」

 ケルンは視線でレティシアを指し、少女から手を離して歩き出した。
 そっけない返事と態度である。

「え、あ、は、はい…………」

 背後から少女が悄然とした声を洩らすのが聞こえた。

「あはは! あいつあれで結構恥ずかしがり屋だからね。お礼言われて照れてんのよ!」

 レティシアのカラカラとした笑い声があがる。

(うるせぇ!)

 ケルンは歩きながら肩越しにレティシアを睨みつける。

「あ、そうなんですか。お二人とも有難うございました」

 視界の端でくすくすと少女が笑うのが見えた。
 ケルンは再び前を向いた。

「だぁー! ともかく行くぞ!」
「はいはい、解ったわよ。すっかりずぶ濡れになっちゃったから、早く適当な所で暖をとりたいしね」

 そのレティシアの言葉でケルンはようやく自分が濡れ鼠になっている事に気がついた。冷気がじわじわと身体に染み込んでくる。先ほどまではいかにして逃げるかに集中していた為気がつかなかったようだ。

 空を見上げると降り注ぐ雨は既に勢いをやわらげ始めていて、雲の切れ間からは太陽が顔を覗かせていた。
しおりを挟む